朝鮮通信使 4
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/01/06 17:58 投稿番号: [249 / 402]
このトピは第十回通信使の動向を元に紹介しているが、タネ本の『朝鮮通信使による日本見聞録』には、次の十一回通信使の資料が何も書かれていない。
彼らは大阪に入りこう残している。
十一回朝鮮通信使金仁謙の著書『日東壮遊歌』千七百六十四年一月二十二日大坂にて。
「倭の十一隻の金の桜船が命を受けて迎えに来ていた・・・その豪華絢爛 万古に例を見ない見事さである」
「その昔、桜船で下る王濬(おうしゅん)が益州を称えた詩があるがここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう」
「百万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「信じられない。三神山の金闕銀台(シナ伝説の楽園)とは、まことこの地のことであろう」
「大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の十倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。この贅沢さは異常だ。」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
「我が国の都城の内は実際には一里に及ばない・・・(大阪は)ほぼ十里と言われる土地は全て利用され、その全てが繁栄している。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。」
ここまでは日本の地方都市でビックラこいていたのが、大阪という日本最大の商業都市を目の当たりにして素直に、その繁栄振りに腰が抜けて小便を洩らしたところだ。しかし、最後の行を見てくれ。
「穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。」
なんだこりゃ!
ま、怨念がらみの醜い嫉妬にいちいち抗弁するのも面倒くさいが、それにしても朝鮮人の主観とは、なぜ、こうもグロテスクなのだ?
ただ、周の時代に有力な一族が日本列島に渡ったと朝鮮人は認識していたらしい。もちろん一万数千年前の縄文時代から、日本列島には文化を養うだけの人口がいたのだから、周末の来航者はその時代のニューカマーといって良いだろう。
そして朝鮮人は、日本人を自分たちとはちがう民族とはっきり認識しているのだ。
確かに日本の幕末期から日朝や日ユ同祖論を唱えた学者がいたが、それらは学問や科学が発展するにつれ苦笑混じりのトンデモ論になり、今では誰も口にしない。
しかし、今さかんに韓国人が、日本人をわれらの子孫だなどと言っている。日本人にとってこのうえない迷惑である。
ともあれ、周の滅亡期、前3世紀に相当な勢力を持った周の遺臣たちが郎党・民衆を引き連れ、日本列島に渡ったということが推察される貴重な一文だ。
さて、大阪で、彼らはまた火事騒ぎを起こす。幸い火消し役の活躍で大火事には至らなかったが、出火原因は正使付下官金福才という者が、塩硝を取り扱った際、煙草の火が移って燃え広がったものだという。
塩硝=焔硝=硝石(硝酸カリウム)=つまり有煙火薬のことである。(広辞苑)
日本側への献上品目に焔硝は含まれていないので、これは通信使がアトラクション用に爆竹や花火に使ったものだろうか。
なんにしても、火薬を扱っているところで煙草を吸ったようだ。こんなのありなのか!
窓口役の対馬藩は信使付家老杉村大蔵を遣わし見舞いを述べた後、「鰐浦では副使船の火事があり、ここでまた火事を起こすのは火を粗末に扱うからであり、罪人は必ず罰するようにと申し入れたら、三使は見舞いの礼を述べ、火の用心は油断なく申し付けてはいるが、下々の者には不心得者もおり申し訳ない。罰の件は本人がやけどで静止をさまよっている状態なので見合わせるという。
火傷がひどいので、外科の医者を付けてほしいと上々官より願い出があり、外科医二人が遣わされ療治にあたった』
目眩めく大阪に十日間滞在の後、五月一日信使一行は淀に向けて川船で溯航する。
奉使録『河岸では雨のなか彩色した傘をさして見物する男女が、錦の幔幕を敷いたようでその豪華で華麗なことは筆舌に尽くし難く、・・・』
朝鮮というのはよほど色のなく、粒子の粗いモノクロみたいな社会だったようだ。
とまれ、奉使録では、「船団は逆風のため枚方で船中泊まりとなり、翌日無事淀の船着場に着く。ここから諸大名が徴用した人馬で陸路を江戸に向うのだ。
本土上陸である。
ここに、淀藩士朝鮮人饗応役渡辺善右衛門が墨筆で描いたスケッチが残されている。
彼らは大阪に入りこう残している。
十一回朝鮮通信使金仁謙の著書『日東壮遊歌』千七百六十四年一月二十二日大坂にて。
「倭の十一隻の金の桜船が命を受けて迎えに来ていた・・・その豪華絢爛 万古に例を見ない見事さである」
「その昔、桜船で下る王濬(おうしゅん)が益州を称えた詩があるがここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう」
「百万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「信じられない。三神山の金闕銀台(シナ伝説の楽園)とは、まことこの地のことであろう」
「大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の十倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。この贅沢さは異常だ。」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
「我が国の都城の内は実際には一里に及ばない・・・(大阪は)ほぼ十里と言われる土地は全て利用され、その全てが繁栄している。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。」
ここまでは日本の地方都市でビックラこいていたのが、大阪という日本最大の商業都市を目の当たりにして素直に、その繁栄振りに腰が抜けて小便を洩らしたところだ。しかし、最後の行を見てくれ。
「穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。」
なんだこりゃ!
ま、怨念がらみの醜い嫉妬にいちいち抗弁するのも面倒くさいが、それにしても朝鮮人の主観とは、なぜ、こうもグロテスクなのだ?
ただ、周の時代に有力な一族が日本列島に渡ったと朝鮮人は認識していたらしい。もちろん一万数千年前の縄文時代から、日本列島には文化を養うだけの人口がいたのだから、周末の来航者はその時代のニューカマーといって良いだろう。
そして朝鮮人は、日本人を自分たちとはちがう民族とはっきり認識しているのだ。
確かに日本の幕末期から日朝や日ユ同祖論を唱えた学者がいたが、それらは学問や科学が発展するにつれ苦笑混じりのトンデモ論になり、今では誰も口にしない。
しかし、今さかんに韓国人が、日本人をわれらの子孫だなどと言っている。日本人にとってこのうえない迷惑である。
ともあれ、周の滅亡期、前3世紀に相当な勢力を持った周の遺臣たちが郎党・民衆を引き連れ、日本列島に渡ったということが推察される貴重な一文だ。
さて、大阪で、彼らはまた火事騒ぎを起こす。幸い火消し役の活躍で大火事には至らなかったが、出火原因は正使付下官金福才という者が、塩硝を取り扱った際、煙草の火が移って燃え広がったものだという。
塩硝=焔硝=硝石(硝酸カリウム)=つまり有煙火薬のことである。(広辞苑)
日本側への献上品目に焔硝は含まれていないので、これは通信使がアトラクション用に爆竹や花火に使ったものだろうか。
なんにしても、火薬を扱っているところで煙草を吸ったようだ。こんなのありなのか!
窓口役の対馬藩は信使付家老杉村大蔵を遣わし見舞いを述べた後、「鰐浦では副使船の火事があり、ここでまた火事を起こすのは火を粗末に扱うからであり、罪人は必ず罰するようにと申し入れたら、三使は見舞いの礼を述べ、火の用心は油断なく申し付けてはいるが、下々の者には不心得者もおり申し訳ない。罰の件は本人がやけどで静止をさまよっている状態なので見合わせるという。
火傷がひどいので、外科の医者を付けてほしいと上々官より願い出があり、外科医二人が遣わされ療治にあたった』
目眩めく大阪に十日間滞在の後、五月一日信使一行は淀に向けて川船で溯航する。
奉使録『河岸では雨のなか彩色した傘をさして見物する男女が、錦の幔幕を敷いたようでその豪華で華麗なことは筆舌に尽くし難く、・・・』
朝鮮というのはよほど色のなく、粒子の粗いモノクロみたいな社会だったようだ。
とまれ、奉使録では、「船団は逆風のため枚方で船中泊まりとなり、翌日無事淀の船着場に着く。ここから諸大名が徴用した人馬で陸路を江戸に向うのだ。
本土上陸である。
ここに、淀藩士朝鮮人饗応役渡辺善右衛門が墨筆で描いたスケッチが残されている。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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