Re: 美しい国日本 真珠湾攻撃外伝 1
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2007/12/09 22:09 投稿番号: [2 / 402]
「日中トピ」と「韓国カウントダウントピ」にも載せた、「真珠湾攻撃外伝」だけど、思いがけずにトピを作ってしまったので、何か投稿しなければならないと焦ってしまい、三度目だけど掲載させてもらう。
ご容赦。
一冊の文庫本がある。 著者は故牛島秀彦氏、早稲田を卒業後ハワイ大学東西文化センターに留学、更に、1973年からのハワイ生活のとき現地の文献を漁り同書を書き上げた。
「行こか メリケン、戻ろかジャパン ハワイ移民の100年」である。
明治元年から始まった日本人ハワイ移民の100年史であるが、さまざまなエピソードで成り立っている。
ただしここの載せるに、著者の趣旨を損ねないよう気をつけて若干削除、又は加筆することを許されたい。(著者の遺族と講談社の了解を得ている。また、ホノルルと日本国内の相当数の図書館に同書が置かれている)
ワイキキのあるオワフ島の西北に位置する隣島カウアイ島は、「ジェラシックパーク」で有名な観光地であるが、そのすぐ西隣にニイハウ(Niihau)島という小島が浮かんでいる。ハワイ8島の中で最も西北に位置する島でもある。
面積はカウアイの五分の一ほど、しかしこの島は当時も現在も個人所有となっている。
賭け事が好きだったカメハメハ4世が英国籍の婦人に1万ドルで売り渡したのだ。
その後、ロビンソンという人に所有が移ったが島内は完全な治外法権、銃を担いだ漢が目を光らせ、ごくごく限定された人しか入島できなかった。
住民300人ほどのほとんどは現地ハワイ人の使用人で、全島が牧場、それに住民用の小さな畑で自給して、必要なものは船で搬入させていた。
蛇足かもしれないが、こういった特殊な環境のおかげで、他島では死語となっているハワイ語が現在でも日常的に使用されている。
現在は、オファーがあれば条件付でヘリコプターを使って入島、観光することも可能だが、前日にカウアイ島に一泊しなければならないなど煩雑で、来訪者は多くはないようだ。
このような特殊な島に日系二世の原田義男(39)が夫人と2歳の娘を連れて支配人格として赴任、半年を経ていた。
1941年11月26日、大日本帝国海軍艦隊は遥か択捉島からハワイ真珠湾に向かい進撃を開始した。遮るものとてない茫々たる海原を,無線封鎖をした大艦隊が文字とおり静々粛々と、巨人との一大決戦に向けて航海を続けた。
米船と邂逅することなく、日本艦隊は奇跡的な13日を経てオワフ島北方にたどり着いた。
運命の‘41年12月8日の夜明け(現地時間)、日本海軍空母甲板上の飛行隊は、真珠湾に停泊する米空母・戦艦を殲滅すべく、乾坤一擲の気概を持って飛び立った。
そこにゼロ戦を駆る西開地重徳一等飛行兵曹(21)も参加していた。
彼が真珠湾上でどのように活躍したのかは定かではないが、自軍猛撃の最中、敵の機銃弾1発が西開地の操縦するゼロ戦のガソリンタンクを貫いた。
母艦に帰ろうと試みたがコントロールを失った原田機は、ニイハウ島に車輪も出せずに不時着した。
つづく
一冊の文庫本がある。 著者は故牛島秀彦氏、早稲田を卒業後ハワイ大学東西文化センターに留学、更に、1973年からのハワイ生活のとき現地の文献を漁り同書を書き上げた。
「行こか メリケン、戻ろかジャパン ハワイ移民の100年」である。
明治元年から始まった日本人ハワイ移民の100年史であるが、さまざまなエピソードで成り立っている。
ただしここの載せるに、著者の趣旨を損ねないよう気をつけて若干削除、又は加筆することを許されたい。(著者の遺族と講談社の了解を得ている。また、ホノルルと日本国内の相当数の図書館に同書が置かれている)
ワイキキのあるオワフ島の西北に位置する隣島カウアイ島は、「ジェラシックパーク」で有名な観光地であるが、そのすぐ西隣にニイハウ(Niihau)島という小島が浮かんでいる。ハワイ8島の中で最も西北に位置する島でもある。
面積はカウアイの五分の一ほど、しかしこの島は当時も現在も個人所有となっている。
賭け事が好きだったカメハメハ4世が英国籍の婦人に1万ドルで売り渡したのだ。
その後、ロビンソンという人に所有が移ったが島内は完全な治外法権、銃を担いだ漢が目を光らせ、ごくごく限定された人しか入島できなかった。
住民300人ほどのほとんどは現地ハワイ人の使用人で、全島が牧場、それに住民用の小さな畑で自給して、必要なものは船で搬入させていた。
蛇足かもしれないが、こういった特殊な環境のおかげで、他島では死語となっているハワイ語が現在でも日常的に使用されている。
現在は、オファーがあれば条件付でヘリコプターを使って入島、観光することも可能だが、前日にカウアイ島に一泊しなければならないなど煩雑で、来訪者は多くはないようだ。
このような特殊な島に日系二世の原田義男(39)が夫人と2歳の娘を連れて支配人格として赴任、半年を経ていた。
1941年11月26日、大日本帝国海軍艦隊は遥か択捉島からハワイ真珠湾に向かい進撃を開始した。遮るものとてない茫々たる海原を,無線封鎖をした大艦隊が文字とおり静々粛々と、巨人との一大決戦に向けて航海を続けた。
米船と邂逅することなく、日本艦隊は奇跡的な13日を経てオワフ島北方にたどり着いた。
運命の‘41年12月8日の夜明け(現地時間)、日本海軍空母甲板上の飛行隊は、真珠湾に停泊する米空母・戦艦を殲滅すべく、乾坤一擲の気概を持って飛び立った。
そこにゼロ戦を駆る西開地重徳一等飛行兵曹(21)も参加していた。
彼が真珠湾上でどのように活躍したのかは定かではないが、自軍猛撃の最中、敵の機銃弾1発が西開地の操縦するゼロ戦のガソリンタンクを貫いた。
母艦に帰ろうと試みたがコントロールを失った原田機は、ニイハウ島に車輪も出せずに不時着した。
つづく
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/hfea47a4a49qffckdc_1/2.html