南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

ベトナム編

投稿者: kirakira_tori 投稿日時: 2005/02/07 00:06 投稿番号: [7188 / 29399]
私の村は地獄になった

韓国軍がベトナムで行った残虐行為の
被害者たちが真実を語りはじめた


1理由なき無差別の殺戮

2見つかったのは肉片だけ

3「首を切り落としてやる」

4補償より謝罪の言葉を

http://210.160.208.40//search/20000412/wa_sug1.html

インド編

投稿者: odennzuki77777 投稿日時: 2005/02/06 23:59 投稿番号: [7187 / 29399]
1945年(昭和20)8月18日、台湾の台北空港で「天皇陛下と寺内さん(寺内寿一・南方総軍総司令官)によろしく」という言葉を残して、日本と共に戦ったインドの英雄がこの世を去りました。日本の敗戦から3日後のことでした。

その人の名はスバス・チャンドラ・ボース、インドの独立運動の指導者「ネタージ(指導者)」と呼ばれ、現在でもインドで尊敬を集めている有名な人物です。

しかし、その彼の墓が、日本の蓮光寺というお寺にあることは、日本でもあまり知られていません。

また、カルカッタにある彼の邸宅を改装したボース記念館では、彼の残した演説や、彼が指揮したインド国民軍の愛唱歌の入ったテープが販売されていますが、愛唱歌のなかには、なんとヒンズー語で歌われた日本の歌「愛国行進曲」が収められています。

さらに、ボースがインド人民に向けて訴えた演説の一節をご紹介しましょう。「…大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」(1944.3.20自由インド放送より)このボースの演説内容に驚かれる方も多いことでしょう。無理もありません。私たちの多くは、先の大戦をアメリカ・イギリスなどの自由主義・民主主義陣営と、自由を抑圧するドイツ・日本のファシズム陣営の戦いであったと教えられてきたからです。しかし、ボースはここではっきりと、アメリカとイギリスを「帝国主義者」と呼び、その「侵略の軍隊」をアジアから追い出さなければ、アジアの自由はないのだと言っています。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_4.html

ミャンマー(旧ビルマ)編

投稿者: odennzuki77777 投稿日時: 2005/02/06 23:57 投稿番号: [7186 / 29399]
“♪守るも攻むるも鋼鉄の   浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の   皇国の四方を守るべし
まがねのその艦日の本に   仇なす国を攻めよかし♪”

この歌を知っている人いますか?歌詞は知らなくってもメロディーを聴けば誰でも分かる、実はこれ軍艦マーチなんです。“軍艦マーチ”??という人も、パチンコ屋さんで威勢良くかかっている曲って言えば、分かってもらえるんではないでしょうか。

このような説明をしなければならなくなってしまったこの曲は、日本が戦争に負けるまでは海軍の誇りであった名曲でした。しかし、今ではなんだか情けない役割にされています。ところが驚くなかれ、この曲が今でも誇りとともに演奏される名誉ある存在でいられるのは、遠くミャンマーの“国軍記念日”という晴れ舞台なのです。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_3.html

マレーシア編

投稿者: odennzuki77777 投稿日時: 2005/02/06 23:54 投稿番号: [7185 / 29399]
1991(平成3)年12月、マレーシアのコタバルを首都とするケランタン州政府は、日本軍の上陸50周年を記念して特別式典を開催し、さらに戦争博物館を設立しました。その館長でケランタン州副知事のロザリー・イソハック氏はこんなふうに言っています。

「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」

マレーシアの人々が祝う1991年から50年前といえば、1941(昭和16)年の12月。しかし、わたしたち戦後世代の日本人にとっての昭和16年12月8日は“戦争を始めた日”としてなんとなくマイナス・イメージを持たされているのではないでしょうか?そこで語られるのはアジアへの侵略であったり、現地住民の虐殺といったことばかりだったのではないのでしょうか。しかし当のマレーシアでは日本軍の上陸を祝って記念式典が行われていたのです。こんな重要なこと、私たちはまったく知らされていません。これは一体どういうことなのか、なぜ日本軍のマレー上陸がマレー人に祝福されるようなことなのか、やはり知っておかなければ恥かしいことですので、ここで少し勉強しておきましょう。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_2.html

インドネシア編

投稿者: odennzuki77777 投稿日時: 2005/02/06 23:52 投稿番号: [7184 / 29399]
こんな歌を知っていますか?インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」です。

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり   己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと   玉散ることもいとわず
進め   進め   義勇軍   アジアとインドネシアの英雄   清き東洋に幸あれ
古きアジア   不幸に苦しむ   烈しき圧制に   幾世紀も忍ぶ
大日本   雄々しく立てり   アジアを救い   我らを守る
進め   進め   義勇軍   アジアとインドネシアの英雄   清き東洋に幸あれ…”



http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html

おっよよ! なんてこった。

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/02/06 21:01 投稿番号: [7183 / 29399]
インドネシア
>モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」

>インドネシア
モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです

アジアの希望だった日本、、、?
アジア人の戦争を日本が代表して、、、?

これほどまでに持ち上げて、、、およよよ!!!

それは戦時賠償金を受け取ったからなのか?
それとも戦時賠償金を受け取る前なのだろうか?

日本に戦時賠償金を請求した国は
1954年   ビルマ
1956年   フィリッピン
1958年   インドネシア
1959年   南ベトナム

アジア人の代表として戦った日本政府に賠償しろとは、、ど〜〜いうこった?

いい加減にしてほしいね。(笑)

”ヒロシ   です”
物を貰うと、口も軽くなるとです。

世界は大東亜戦争をいかに評価しているか

投稿者: llkenta_gonran78 投稿日時: 2005/02/06 19:27 投稿番号: [7182 / 29399]
オランダ
サンティン・アムステルダム市長   現内務大臣
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」(1985年日本側傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)


タイ
ククリット・プラモード 元首相
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」

マレーシア
ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」

ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」


ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に大きな“触媒”の役割を果たした。」

インドネシア
モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」

インドネシア
モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」

http://www.kokusairinri.org/database/30.html

●捏造はシナ人の常套手段!大嘘南京虐殺

投稿者: chiyandan2004 投稿日時: 2005/02/06 11:29 投稿番号: [7181 / 29399]
シナって呼ぶな、礼儀もないやつが他人を説得すんな!
南京にいたか、お前こそ捏造すんな!!

●捏造はシナ人の常套手段!大嘘南京虐殺

投稿者: dokusaiwotatake 投稿日時: 2005/02/05 22:11 投稿番号: [7180 / 29399]
南京虐殺なんて捏造に決まってるだろ!
アホか??

シナ人が主張する「証拠」はどれもこれも
いいかげんなものばかりで信憑性0!!
バカバカしい!

こんなものを信じ込むなんてもはや洗脳であり単なるアホだ1

共産党独裁国のシナは歴史も体制も
すべて独裁維持に都合がいいように作られていて、捏造は当たり前!
歴史は政治と独裁の道具。

なんで、こんな邪悪なやつらに騙されるなつーの。。

南京虐殺なんか捏造だよ!ちょっと調べりゃすぐにわかるだろ!!

小中華思想の韓国にも騙されるな!

それよりも、今チベットやウイグルで日常的に拷問と強制労働と虐殺がおこなわれているぞ!

http://www.history.gr.jp/nanking/

●捏造はシナ人の常套手段!大嘘南京虐殺

投稿者: dokusaiwotatake 投稿日時: 2005/02/05 22:09 投稿番号: [7179 / 29399]
南京虐殺なんて捏造に決まってるだろ!
アホか??

シナ人が主張する「証拠」はどれもこれも
いいかげんなものばかりで信憑性0!!
バカバカしい!

こんなものを信じ込むなんてもはや洗脳であり単なるアホだ1

共産党独裁国のシナは歴史も体制も
すべて独裁維持に集うがいいように作られていて、捏造は当たり前!
歴史は政治と独裁の道具!

なんで、こんな邪悪なやつらに騙されるなつーの。。

南京虐殺なんか捏造だよ!ちょっと調べりゃすぐにわかるだろ!!

http://www.history.gr.jp/nanking/

>>強制連行も南京大虐殺も史実なのに

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/02/05 20:21 投稿番号: [7178 / 29399]
>上海から南京へ駆け上がる進軍中、沿道の村々を襲い、略奪、暴行、虐殺を行っています。

証拠(資料)は?

日本軍による南京市民虐殺を目撃したと主張する当時ニューヨーク・タイムズ記者ダーティンは、小森義久のインタビューで以下のように言っているようですが。

>――上海から南京近郊に到達するまでの過程で日本軍が中国側の捕虜や民間人を多数殺したという話しは当時あったのですか。

  「いや、それはありませんでした。中国軍は日本軍に正面から戦いを挑まず、撤退していたし、地元の住民もみな避難していたからでしょう。
  私は当時、虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。虐殺は日本軍が南京を占領してからなのです」
 
  ダーティン氏のこの言葉は「上海から南京までの間で日本軍による大規模な殺害や略奪があった」という一部の説とはくいちがっている。
http://www.history.gr.jp/nanking/dathin.html
 
>   ――どうしてですか。
 
  「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかったからです。
  上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。
  漢口市内では日本軍は中国人を処刑したが、それでも規模はごく小さかった。
  南京はそれまでの日本軍の行動パターンとは違っていたのです。南京市民にとっても、それはまったく予期せぬ事態でした」

http://www.history.gr.jp/nanking/dathin.html

>>。。。

投稿者: chiyandan2004 投稿日時: 2005/02/05 01:11 投稿番号: [7177 / 29399]
すげえまずかった。。。

アジアにおける大東亜戦争

投稿者: sakurasaku787878 投稿日時: 2005/02/04 23:39 投稿番号: [7176 / 29399]
日本の為に、また、アジアの為に
戦った下さった英霊たちよ・・安らかに・・・。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03.html

★国旗をクリックして下さい

dorawasabi5001さん

投稿者: ilovejapan20031102 投稿日時: 2005/02/04 21:54 投稿番号: [7175 / 29399]
どうしたんですか?

どうぞご説明を

克明に映像に記録されている南京の様子

投稿者: sakurasaku787878 投稿日時: 2005/02/04 20:51 投稿番号: [7174 / 29399]
東宝文化映画部作品
戦線後方記録映画「南京」。

南京大虐殺が有ったとされる期間、南京陥落の翌日の昭和12(1937)年14日の昼から翌年の1月上旬に至るまでの間、南京城内外周辺を克明に撮影した記録映画が存在します。
  それが東宝文化映画部製作「南京」です。


http://www.history.gr.jp/nanking/video.html

証拠として通用せず 

投稿者: sakurasaku787878 投稿日時: 2005/02/04 20:31 投稿番号: [7173 / 29399]
「南京大虐殺」流布写真143枚、証拠として通用せず   東中野・亜大教授検証

明らかな合成/日本兵と違う軍服
  「南京大虐殺」の証拠として流布する写真の検証作業を続けていた東中野修道・亜細亜大学教授は三十一日、都内で会見し、証拠写真として入手しうる百四十三枚のうち、証拠として通用するものは一枚もなかったとする検証結果を発表した。
  東中野教授は「大虐殺」に触れた著作物を可能な限り収集、そこに掲載されていた約三万五千点の写真の中から「大虐殺」の証拠とされるものを抽出して検証した。「虐殺の有無を検証しようとしたのではなく、虐殺の証拠に使われている写真が、証拠として通用するものかどうかを検証した。そこを理解してほしい」と東中野教授。
  検証の結果、今日流布する証拠写真の多くは、昭和十二年十二月の南京攻略戦から七カ月後に出版された「日寇暴行実録」(国民政府軍事委員会政治部編)と「外人目撃中の日軍暴行」(ティンパーリー編)の二冊を源流としていたことが明らかになった。
  この二冊に掲載された七十枚は、いつ、どこで、だれが撮ったものか不明なものが大半であり、細部を詰めてゆくと、明らかに合成と分かるもの▽軍服が日本兵のものでないもの▽初夏に撮られたとみられるもの−が多数あった。さらには、日本の写真雑誌に掲載された写真のキャプションを改竄(かいざん)して掲載した例も。
  東中野教授によれば、こうした写真が「大虐殺」の証拠として検証されることなく次々に使用されていったという。典型的な例は、昭和十二年十二月五日発行の「朝日版支那事変画報」の裏表紙に掲載された、代価を払って鶏を買った兵士の写真。「日本軍の行くところ略奪されて鶏も犬もいなくなった」とキャプションを改竄されて「日寇暴行実録」に掲載され、さらに朝日新聞記者だった本多勝一氏の著作に「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」という説明をつけて掲載された。
  「源流の二冊は、反日プロパガンダとして作成されたもの。そこに掲載された写真を検証なしで流布したマスコミの責任は極めて重い」と東中野教授は話している。
  検証をまとめた「南京事件『証拠写真』を検証する」は、草思社から二月三日に刊行される。
      ◇
  「南京大虐殺」   昭和12年12月に南京を占領した日本軍が起こしたとされる虐殺・略奪事件。中国側は犠牲者を30万−40万人と主張するが、日本側には虐殺はなかったという意見もある。その真相をめぐって現在も論争が続く。
(産経新聞) - 2月1日2時57分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050201-00000021-san-soci

南京大虐殺・・・。

投稿者: sakurasaku787878 投稿日時: 2005/02/04 20:25 投稿番号: [7172 / 29399]
どうして日本軍が中国の首都の南京を攻めたのですか?。

中国軍が上海で戦争をしかけて、日本と戦争になったからです。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A06.html

こんばんは。史料です・・・。

投稿者: sakurasaku787878 投稿日時: 2005/02/04 20:18 投稿番号: [7171 / 29399]
大虐殺派のウソ写真と証言

★(悲惨な写真ですので、自己責任でご覧下さい。責任は負えません)

http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html

タイムマシーンがあれば一目瞭然ですが・・・。

>南京陥落後に撮影された風景とヒロシ

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/02/04 18:17 投稿番号: [7170 / 29399]
”ヒロシです”
南京の写真はすべてねつ造されたものじゃなかっとですか?

”ヒロシです”
シナ人と日本人は戦争していたのじゃナカトですか。

”ヒロシです”
何か物をもらうと、よかとです。

おいちゃん、偉そうに^^

投稿者: dream180jp 投稿日時: 2005/02/04 11:24 投稿番号: [7169 / 29399]
お前が戦争判ってんのか(爆)、お前の言い分だと、今度は「上海〜南京大虐殺」かい(嘲)何処まで広げるんだ。まるで乞食中国の代弁者じゃないか、証拠写真も捏造と鑑定され、昨今圧倒的に「虐殺」に疑問を持つ人が増えてきた。お前のレスには具体的な根拠が何も無い・・頑張れよ!!呆痴国家・・大中国の為に(笑)

資料の一つとしてどうぞ・・・。

投稿者: sakurasaku787878 投稿日時: 2005/02/04 11:20 投稿番号: [7168 / 29399]
あなたは在日韓国・朝鮮人の真実を
どこまでご存知ですか?

http://posting.hp.infoseek.co.jp/#label1

南京陥落後に撮影された風景

投稿者: sakurasaku787878 投稿日時: 2005/02/04 10:41 投稿番号: [7167 / 29399]
昭和12(1937)年12月13日、南京事件が起きたとされる時期である陥落以降に撮影された写真ばかりを集めました。
  陥落当時には120名をこえる報道陣が南京に滞在していました。(外国人記者達を含めて)
  彼らの多くは戦争が終わり、南京が平和に復興する様子を写真などによって撮影、記録しています。
  日本兵と中国人との心温まる交流も多数記録されているのです。


http://www.history.gr.jp/nanking/fukei.html

>強制連行も南京大虐殺も史実なのに

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/02/04 06:56 投稿番号: [7166 / 29399]
>南京城区で6週間という人もいれば、上海から南京特別市の範囲で2ヶ月と言ってる人もいます。


どちらも正解です。

上海から南京へ駆け上がる進軍中、沿道の村々を襲い、略奪、暴行、虐殺を行っています。

ほとんどの認めたくない輩は、南京城内だけを特定し、虐殺は無かったと都合良く解釈していますが、南京城外での虐殺が頻繁に行われていました。

当時   20万にしか居なかったということも南京城内に限ってのことでしょう。
この人数にしても確証が在るわけでもありません。

当時   南京特別市には近郊を含め150万人の人口を抱える都市を形成しており、日本政府の「宣戦布告も警告も無し」、いきなりの空爆により、富裕階層からの南京脱出が始まりその数ヶ月後には上海派遣軍の侵略が始まったのです。

その人口動勢を誰が調査し、人口20万人となったのか?疑問の残る問題です。
上海派遣軍も、上海制圧した段階で日本に帰る予定で、招集された兵士(予備役、後備役の兵士)は突然、南京攻略へ向けて、作戦変更を強いられたのです。
食料など持ち合わせなど在るわけ無いですよ。

食料は「現地調達主義」と言うことです。
日本軍は南京に限らず、戦場、戦地においては「食料は現地調達」を通達しております。
ですから、電撃進軍、攻撃が可能ということでした。

貴方のように「ここからは虐殺、ここからは通常の戦闘」などと分けること自体が戦争を解っていないと言うことでしょう。

虐殺の事実を認めたく無いと言うことでしょうね。

>無かったと言い張る輩は哀れ。

投稿者: ilovejapan20031102 投稿日時: 2005/02/03 23:56 投稿番号: [7165 / 29399]
まだこんなのがいるんだ!

ほんじゃその史実とやらの証明は?

以前にも数人に同じ質問したんだけど

誰も答えてくれないんであなたにお願いしちゃっていいかな♪

よろしくね

>。。。

投稿者: ilovejapan20031102 投稿日時: 2005/02/03 23:52 投稿番号: [7164 / 29399]
食ってみてよ♪

おいしいんでしょ?

>強制連行も南京大虐殺も史実なのに

投稿者: tnkhss 投稿日時: 2005/02/03 23:41 投稿番号: [7163 / 29399]
南京大虐殺についてお尋ねします。
史実では、区域や期間はどうなっていますか?

南京城区で6週間という人もいれば、上海から南京特別市の範囲で2ヶ月と言ってる人もいます。

どちらかが間違っているか嘘を言ってる、または両方間違っていることになります。

。。。

投稿者: chiyandan2004 投稿日時: 2005/02/03 18:09 投稿番号: [7162 / 29399]
おもろいこといってるな〜
食ってやるか?

南京虐殺などは中国赤軍の責任転嫁

投稿者: mina_minasts 投稿日時: 2005/02/03 14:09 投稿番号: [7161 / 29399]
一般人の虐殺は南京とは言わず重慶などでもあった。
ただし、その死者の大半は毛沢東率いる中国赤軍に因るものだ。
確かに、日本軍もそれなりの人数を殺しているだろうが、
それらは中国赤軍による蒋介石率いる国民党支持勢力に対する『計画的な虐殺』に比較すると桁違いに少ない。
当時、南京〜武漢〜重慶ルートなど都市部及びそれらに至る経路は国民党が貴重な国宝の避難ルートに使うくらい国民党の勢力が強くかった。
劣勢だった毛沢東率いる中国赤軍が脅迫や洗脳で農村部を手中にした後、
これらの地域で国民党の勢力の殲滅の為に『計画的な虐殺』を行った。
戦後、覇権を握った中国赤軍は過去の大罪を隠蔽すると共に、残った国民党支持勢力を一掃する為に二つの事を行った。
大罪の隠蔽は規模が大きすぎるので隠蔽しきれないので総てを日本軍に転嫁すること。
日本は敗戦国で占領されていたので反論も出来ない状況だった。
国民党支持勢力に対しては『文化大革命』を口実に餓死させて殲滅した。

似たような、同じような事は金日成の北朝鮮やポル・ポトのカンボジアでも行われてきたし、ベトナムでも行われ、
現在ネパールで中国の息の掛かった勢力が平和だったネパール国内で民間人襲撃、虐殺を行っている。

強制連行も南京大虐殺も史実なのに

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/02/03 12:45 投稿番号: [7160 / 29399]
無かったと言い張る輩は哀れ。

まあ、この国の首相からして空虚な言葉しか吐けない「電通から指導された」といわれる短いキャッチフレーズ連発の首相だから仕方ない。


子供の学力心配してる場合じゃないわね、日本は。

「南京大虐殺」流布写真143枚 通用せず

投稿者: dokusaiwotatake 投稿日時: 2005/02/01 10:32 投稿番号: [7159 / 29399]
やはり南京事件は捏造だ!

===============

「南京大虐殺」流布写真143枚、証拠として通用せず   東中野・亜大教授検証

明らかな合成/日本兵と違う軍服
  「南京大虐殺」の証拠として流布する写真の検証作業を続けていた東中野修道・亜細亜大学教授は三十一日、都内で会見し、証拠写真として入手しうる百四十三枚のうち、証拠として通用するものは一枚もなかったとする検証結果を発表した。
  東中野教授は「大虐殺」に触れた著作物を可能な限り収集、そこに掲載されていた約三万五千点の写真の中から「大虐殺」の証拠とされるものを抽出して検証した。「虐殺の有無を検証しようとしたのではなく、虐殺の証拠に使われている写真が、証拠として通用するものかどうかを検証した。そこを理解してほしい」と東中野教授。
  検証の結果、今日流布する証拠写真の多くは、昭和十二年十二月の南京攻略戦から七カ月後に出版された「日寇暴行実録」(国民政府軍事委員会政治部編)と「外人目撃中の日軍暴行」(ティンパーリー編)の二冊を源流としていたことが明らかになった。
  この二冊に掲載された七十枚は、いつ、どこで、だれが撮ったものか不明なものが大半であり、細部を詰めてゆくと、明らかに合成と分かるもの▽軍服が日本兵のものでないもの▽初夏に撮られたとみられるもの−が多数あった。さらには、日本の写真雑誌に掲載された写真のキャプションを改竄(かいざん)して掲載した例も。
  東中野教授によれば、こうした写真が「大虐殺」の証拠として検証されることなく次々に使用されていったという。典型的な例は、昭和十二年十二月五日発行の「朝日版支那事変画報」の裏表紙に掲載された、代価を払って鶏を買った兵士の写真。「日本軍の行くところ略奪されて鶏も犬もいなくなった」とキャプションを改竄されて「日寇暴行実録」に掲載され、さらに朝日新聞記者だった本多勝一氏の著作に「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」という説明をつけて掲載された。
  「源流の二冊は、反日プロパガンダとして作成されたもの。そこに掲載された写真を検証なしで流布したマスコミの責任は極めて重い」と東中野教授は話している。
  検証をまとめた「南京事件『証拠写真』を検証する」は、草思社から二月三日に刊行される。
      ◇
  「南京大虐殺」   昭和12年12月に南京を占領した日本軍が起こしたとされる虐殺・略奪事件。中国側は犠牲者を30万−40万人と主張するが、日本側には虐殺はなかったという意見もある。その真相をめぐって現在も論争が続く。
(産経新聞) - 2月1日2時57分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050201-00000021-san-soci

でっち上げに

投稿者: suwsan1962 投稿日時: 2005/02/01 01:39 投稿番号: [7158 / 29399]
決まってるだろう!

あったと認めた事ではない

投稿者: vvp_lan_do 投稿日時: 2005/01/30 22:03 投稿番号: [7157 / 29399]
1200万円の請求で150万円の受け取り。
これじゃ原告弁護士は大赤字だ。
計算も出来ないんだな。
支那との往復費用等と10年の歳月。

出版差し止めや回収でない。
内容は真実と言う事だ。

消された戦場の証言って・・・

投稿者: donchan5656 投稿日時: 2005/01/30 21:19 投稿番号: [7156 / 29399]
米機密文書詳報(6−3) 【中国スパイ網の実像】( 5/ 2)

  ▽五三年三月十七日、在日米軍第四四一防諜部隊所属、ロバート・ガンビーノ特務員報告書

  日本国内にH2機関と呼ばれる中国の対日工作網が設置された。

H2機関はソ連情報機関の指導で設立された革命闘争前線委員会の支配下にあり、H2機関本部は香港に存在する。

香港本部トップは李平凡だ。H2機関は日本国内に六つの支部を持ち、活動目的は米軍などに関する情報収集とともに「中日合作指導部」を通じた日本共産党への指導と監視にある。

同指導部は五〇年ごろに設置されたとみられる。

  ▽在日米軍第四四一防諜部隊佐世保支部所属、ジョン・マゾーラ特務員報告書

  中国対日工作グループについて次のような情報がI58によってもたらされた。

このグループは中国からの帰還者で作られたもので「一〇一機関」、あるいは「中共帰国者情報機関」と呼ばれている。最上部組織は「中共政治華東局」で、その下に「対日人民工作軍政人員訓練団」が設けられた。

訓練所は旅順・大連地区▽広東地区▽天津地区の三カ所に設置され、旅順・大連地区にはさらに東京担当、北九州担当、武器密輸担当の三グループがある。

東京地区グループのリーダーは陳で、北九州地区は周だが、二人とも北京大出身の中国人でありながら中国からの帰還者第二陣に紛れて五三年に日本に潜入した。

任務は日本におけるスパイ活動のほか日本共産党員に資金と武器を提供し革命を奨励することにある。

  一九五四年二月後半、周は長崎県平戸市周辺に二千丁の拳銃を密輸しようとして失敗している。近く中国紅十字総会の代表と中国新民主主義青年団の廖承志が友好を理由に当地を訪問するが、目的は日共党員との連絡とみられる。

  ▽六七年八月二十六日、在日米軍第七〇四情報部隊所属、ウィリアム・ルビー特務員報告書

  日中友好協会にいる米側情報源によると、LT貿易(日中間の準政府協定に基づく貿易)に従事するS(報告書では中国名)は一九六七年四月、中国に呼び戻され、元日共メンバーの組織化失敗を強く叱責(しっせき)された。

このため失脚が予想されたが、対日工作に戦術的変更があり、Sが再び反日共グループ組織化の責任者として派遣されることになった。

  新戦術は次の通り。

(1)「毛沢東思想の研究」出版をこれまでの「毛沢東思想研究会」ではなく新たにつくる「合同産業会社」に委ねる。さらに販売は「日本出版販売会社」で行う

(2)「毛沢東思想研究会」の元日共中央委メンバー、N(報告書では実名)を運営資金不正流用の疑いで左遷する。代わりに元日共メンバーで親中派のHらを任命する

(3)新日本共産党の旗揚げを準備し、初代党首には西園寺公一を迎える

(4)すべての親中派メンバーは日共の戦術を見習いそれぞれの組織にとどまって日共分子追放を目指す−など。

  ▽六八年四月、在日米軍第七〇四情報部隊所属、デビッド・トヤマ特務員報告書

  六八年一月から三月にかけて入手された情報によると、中華料理店「A(報告書は実名)飯店」を中心にした中国スパイ網は、日本の警視庁が青島グループと呼んで監視するグループと重なり、さらに「チェン・グループ」の活動にも深くかかわっていることがわかった。

  A飯店は山東省出身のS(報告書は中国名)が経営しており、Sは第二次大戦中、青島で三井物産に雇われていた経緯がある。しかし、その後、Sは四八年から四九年にかけて日本に密航した中国スパイとわかった。Sは違法に外国人登録を行った。

          ◇

  この情報を裏付けたのは(佐藤訪米やプエブロ号事件で情報収集を行ったチェン・グループ一員で米側スパイでもある)RU12で、別の報告書で「チェン・グループ」関西方面責任者とされた同志社大のT(報告書は日本名)教授はこの報告書にも登場している。

http://kaz1910032.hp.infoseek.co.jp/63supai140502.html

こいつらの証言のことですかー?

>>強制連行ではない(横)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/01/28 01:09 投稿番号: [7155 / 29399]
>台湾人は、どのように動員されたのですか?
>私は詳しくないので教えてください。

「台湾少年工」で検索してみると、いろいろ勉強になる。
台湾人も朝鮮人も徴用によって内地の企業と契約し日本に来たことには変わりない。
ただ、徴用令は日本人や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人に適用したのは1944年9月から1945年3月までのたった6ヶ月間だけだった。
徴用令どころか日本人(内地人)には徴兵令が多く出された。

(参考)
―――――――――――――――――――
幻の満州国皇帝救出作戦
旧日本軍の台湾人   邱さん

  五十八年前の夏、一機の軍用機が岐阜県各務原飛行場を飛び立った。日本は敗れ、日本が建国した満州国も崩壊した。軍用機は同国の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の救援機。溥儀は当時のソ連軍に捕まり、脱出できなかったことを自伝「わが半生」に記述しているが、日本軍が救援機を飛ばした史実を知る人は少ない。その作戦に加わった台湾人、邱錦春さん(78)が台北で健在だ。「作戦参加を今も誇りに思っています」という邱さんに敗戦直後の救出作戦を聞いた。

  邱さんは台湾・高雄市の出身。宮崎県の都城実業から栃木・宇都宮の陸軍学校に入り、陸軍第七飛行部隊(岐阜・各務原)に配属、そこで八月十五日の敗戦を迎えた。二日後、邱さんら五人は「満州国皇帝をお迎えに行く」との命令を言い渡された。邱さんは航空士(ナビゲーター)で伍長。翌十八日午前八時、兵舎から飛行場に行くと、「四式重爆(キ−67)」が待機していた。「救出命令に特別な気持ちはなかったが、機翼の日章旗と尾翼の部隊記号がペンキで塗りつぶされていたのは悲しかった。戦死したら、犬死にになる。靖国神社に祭られないのではないかと思った」

  ソウルに向かったが、敗戦のためか、無線連絡がとれない。「肉眼と地図を頼りの飛行だが、幸いに快晴で、順調だった」と振り返る。

  正午すぎにソウルに着陸。関東軍司令部から連絡はない。次に平壌を目指す。ここでも連絡がとれず、軍の招待所に宿泊。翌朝、関東軍からの無線連絡が入った。「満州国皇帝は奉天(現瀋陽)から平壌に行く。そこで即時、離陸できる態勢で待機せよ」。すぐに始動できるよう暖機運転を繰り返したが、その日も翌日も来ない。二十一日昼、緊急連絡。「皇帝は十九日、ソ連軍に逮捕され、平壌に日本軍の救出機が待機していることが知られてしまった。ソ連軍は平壌飛行場攻撃のため南下中。即時離陸せよ」。二十一日夕、各務原に帰還した。

  邱さんは帰国後、専売局勤めなどを経て、貿易会社を経営し、今は悠々自適。敗戦の最大の悲しみは「日本人から外国人になったこと」。今も戦友と親密な交際が続くが、五人のクルーのうち二人は他界し、昨年を最後に戦友会は解散。それが「寂しくてならない」と話した。
―――――――――――――――――――


>しかし、朝鮮人・中国人の強制連行は、裁判で「事実認定」されていますね。

ハァ?
そんな裁判は聞いた事がない。
私は詳しくないので教えてください。

>>強制連行は事実?

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/01/27 11:52 投稿番号: [7154 / 29399]
>日本にいて被爆した外国人への補償は国籍を問わず無差別に行なわれているはずであり、朝鮮人に限定したものではないでしょう。


どんな保障が行われているのですか?
被爆してから祖国に帰ったりして日本にいなければ、十分な医療も受けられなかったと認識していますが?
医療も期限付きじゃなかったですか?


しかもこれも戦後かなりたってからだったと思いますが。


>本来補償責任があるのは米国であり、日本政府は日本人にだけ責任を負えば良いのですが、平和国家日本は人道的見地から補償を行なっているのだと思います。


あら?
当時朝鮮人も「一応」同じ日本人だといっていなかったですか?
日本政府は。


しかし戦後「日本人ではなくなった」と言って切り捨てたんでしょ?

まず、日本が彼らを広島に「強制連行」したので、被爆したのですから。


アメリカの罪はそれからです。
日本と同じ大罪ですけどね。

>強制連行ではない

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/01/27 11:37 投稿番号: [7153 / 29399]
>戦後韓国人に戻ったからと言って、あれは強制連行だったから賠償せよと言うのは何か違うのでは。   それが証拠に、韓国人は何でも強制連行というが、同じように日本に併合された台湾人は強制連行されたといって日本政府を訴えた話は聞いたことがない。


そうですか。
台湾人は、どのように動員されたのですか?
私は詳しくないので教えてください。


しかし、朝鮮人・中国人の強制連行は、裁判で「事実認定」されていますね。

>インチキ歴史家らの敗訴確定

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/01/27 11:30 投稿番号: [7152 / 29399]
  >「南京虐殺の被害者ではないと本で名指しされ、名誉を傷つけられた」として、中国人女性の
李秀英さん(故人)が、著者で歴史研究家の松村俊夫氏らに1200万円の賠償などを求めた訴訟で、

>最高裁第1小法廷(島田仁郎裁判長)は20日付で、松村氏側の上告を退ける決定を出した。
松村氏らに150万円の賠償を命じた1、2審判決が確定した。


ああ、よかった!!
いんちき歴史家?撲滅!!



  >松村氏の著書「『南京虐殺』への大疑問」(展転社)は、南京虐殺被害を訴え国賠訴訟を起こした
李さんについて、「証言のたびごとに内容がクルクル変わるのは、実体験ではない証拠であろう」など
と記述した。



この件によって、李さんは「かなり体調を崩し」、死去してしまったそうです。


彼女は、日本軍に家族を虐殺されたばかりか、当時彼女自身も深い傷を負い、そして長い年月がたってまた、日本軍の亡霊たちによって、虐殺されたも同然ですね。

いんちき歴史家の罪は重く、そして、このいんちき歴史家のバックには、あのNHKに圧力をかけた彼らも当然いるのでしょう。


  >1、2審とも「合理的理由がないのに、被害者ではないと推測して名誉を棄損した」などと李さんの
訴えを認めていた。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20050125k0000m040037000c.html

インチキ歴史家らの敗訴確定

投稿者: Nico9Q 投稿日時: 2005/01/25 05:50 投稿番号: [7151 / 29399]
南京虐殺訴訟:被害女性の名誉棄損、歴史家らの敗訴確定
  「南京虐殺の被害者ではないと本で名指しされ、名誉を傷つけられた」として、中国人女性の
李秀英さん(故人)が、著者で歴史研究家の松村俊夫氏らに1200万円の賠償などを求めた訴訟で、
最高裁第1小法廷(島田仁郎裁判長)は20日付で、松村氏側の上告を退ける決定を出した。
松村氏らに150万円の賠償を命じた1、2審判決が確定した。

  松村氏の著書「『南京虐殺』への大疑問」(展転社)は、南京虐殺被害を訴え国賠訴訟を起こした
李さんについて、「証言のたびごとに内容がクルクル変わるのは、実体験ではない証拠であろう」など
と記述した。

  1、2審とも「合理的理由がないのに、被害者ではないと推測して名誉を棄損した」などと李さんの
訴えを認めていた。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20050125k0000m040037000c.html

事実という事で話が進んでいます。

投稿者: cico_p_q 投稿日時: 2005/01/22 21:31 投稿番号: [7150 / 29399]
作品ユーザーレビュー

パッチギ!
http://review.messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=movies2&action=l&tid=m321423&sid=2077605574&mid=1

強制連行ではない

投稿者: jnwing2001 投稿日時: 2005/01/22 17:39 投稿番号: [7149 / 29399]
  1910-1945年まで韓国は日本に併合され、韓国人も日本人として扱われた。   そのため戦争中の徴用や工場・炭鉱などで働くために動員された人は強制連行とは言わない。

戦後韓国人に戻ったからと言って、あれは強制連行だったから賠償せよと言うのは何か違うのでは。   それが証拠に、韓国人は何でも強制連行というが、同じように日本に併合された台湾人は強制連行されたといって日本政府を訴えた話は聞いたことがない。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)