南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/20 18:54 投稿番号: [26602 / 29399]
前述で引用した   海軍将校の記録は、当時の状況を
比較的冷静な視点から観察し、事実を客観的に述べている。
そのうえで、以下のように   率直な感想が記述されている。

   私は、この二目間に   下関で見た   合計約二十台分の、
   言いかえれぱ、少なくとも合計五百人以上の中国人の
   処刑だけでも、大虐殺であった、と信じている。
   もっとも、
   どれだけの被害者があれば大虐殺であるかについては、
   人それぞれに   見解の相違が   あるかも知れないが。

   それらに加えて、玄武湖の湖上や湖岸で見た大量の死体の
   こととも考え合わせて、正確な数字は   分からなかったが、
   莫大な数の   中国人の犠牲者が   あったのではないか、
   と考えざるをえなかった。

   そうだとすれば、それは、明らかに、
   国際法上の大間題ではないかと思われた。
   が、当時の私には、そのことを突っ込んで検討する時間的な
   余裕がなかった。   その後間もなく、私自身が   作戦飛行に
   従事せねばならなかったからであった。
   (以上、奥宮正武「私の見た南京事件」より抜粋・引用)

南京事件当時   海軍大尉だった奥宮は、2日間だけで、しかも
限られた地域だけで、少なくとも   500人以上の   中国人が
殺戮された状況を目撃した。   彼は、それを大虐殺と断定する。
当時、現場において   真実に触れ得た者の証言が   ここにある。
次に、やはり現状を目撃した   陸軍兵士の記述を   引用しよう。
第16師団経理部予備主計少尉による12月14日付の日記だ。

   (中山門外にて)
   最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にして
   きたので見に行った。   色々な奴がいる。
   武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は
   直ちに銃殺、間もなく   一人づつ   一丁ばかり離れた所へ
   引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す ---- -
   中に女一名あり、殺して   陰部に木片を突っこむ。
   外に二千名が逃げていると話していた。
   戦友の遺骨を胸にさげながら突き殺す兵がいた。

前者の海軍将校が目撃した処刑風景と比較すると、後者の方は
かなり   激情に駆られた   行動であるように   思える。
野蛮な戦争は、人間の心から   冷静さを奪い、理性を失わせる
という現実を   ここでも思い知らせられるが、一方で   これが
一部の   個人的な犯罪にとどまらず、組織的に行われた背景を
冷静に   探る必要があるのではないか   と考える。

日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/20 18:53 投稿番号: [26601 / 29399]
日本軍兵士のよる虐殺は、一部の不届き者が   衝動に駆られて
偶発的に引き起こしたものではないことが、多くの   目撃談や
記録資料によって   明白となっている。
さらに、前述の   海軍将校の記録の続きを   引用しておこう。

   十二月二十七日。この日は市内の西部を重点的に見回る予定
   であった。   が、前々日の光景が   あまりにも鮮明に記憶に
   残っていたので念のために、まず再び下関に行くことにした。
   下関の処刑場に近づくと、この日もまた、城内の方から、
   中国人を乗せた   無蓋のトラックが、続々とやってきて、
   倉庫地帯に消えていた。   再び、警戒中の哨兵にことわって、
   門を入ったところ、前々日と同じような処刑が行なわれていた。

   そこで、ある種の疑間が   生じた。
   それは、   「多数の中国人を   大した混乱もなく、どうして、
   ここまで連れてくることができるか」   ということであった。
   そこで、処刑場の入口付近にいた一人の下士官に、その理由を
   尋ねた。  

   ところが、彼は、何のためらいもなく、   「城内で、戦場の
   跡片付けをさせている中国人に、“腹のすいた者は手を上げよ”
   と言って、手を上げた者を食事の場所に連れていくかのように
   して、トラックに乗せているとのことです」と説明してくれた。  

   そこで、更に、「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」
   と質間したところ、  
   「上官から、弾薬を   節約するために、そうするように
   命じられているからです」   との答が返ってきた。
   このような処刑が、南京占領から   二週間近くを経た後の
   二十五日と二十七日に   手際よく行なわれていた。

   もっとも二十六日と二十五日前と二十七日後に   どのような
   処刑が行なわれていたかは   分からなかったが(中略)
   二日間のことから察して、それが戦場にありがちな一時的な、
   興盲状態での対敵行動であるとは   私には思われなかった。
   この日もまた、一連の処刑が、ある種の統制のとれた行動で
   あるように感じた。

戦争中であっても、また、たとえ   敵国の人民だからといって
何をしても許される   ということには、ならない。
ましてや、戦闘に巻き込まれたとか   敵対行為を働いたという
状況ではなく、戦闘終了後、占領から   2週間を経た時点で
無抵抗な人々を   言葉巧みに騙して   次々と命を奪った行為は
やはり、「大虐殺」   と言うほかに   適当な表現はないと思う。  

そして   問題とすべきは、この蛮行が   上部の命令に従って
「統制のとれた行動」   として、遂行されていたことだ。
これは、一海軍将校の個人的見解に過ぎない   という反論も
あるかも知れない。   しかし、もしも   仮に、一部の兵士が
一時的な激情に駆られて対敵行動に走った結果だ   としても
その蛮行を制止できなかった   軍の管理監督責任が問われる。
 

日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/20 18:53 投稿番号: [26600 / 29399]
当時の中国の首都、南京を武力占領したのは   陸軍であるため、
大虐殺があった事実を示す   多くの証言や記録は、おもに陸軍の
関係者によるものだが、貴重な資料として、海軍の関係者による
記述についても   参考として、ここで   引用しておきたい。

南京周辺で撃墜された   海軍機の乗務員を   捜索するため、
占領直後の南京に入った   海軍将校が、そこで   目撃した
状況に関し、客観的な視点から   率直に   記録している。
以下、奥宮正武『私の見た南京事件』より「下関の光景」引用。

   下関は、南京と揚子江の対岸にある浦ロとともに、交通の
   要衝であった。   浦ロは、私が上海着任直後に、最初に、
   爆撃したところでもあった。   下関には   かなり大規模な
   停車場と開源碼頭(波止場)があった。

   そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が
   多数の中国人を   文字通り虐殺している現場を見た。(略)
   構内の広場に入って見ると両手を後ろ手に縛られた中国人
   十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、
   軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江に投棄されていた。

   岸辺に近いところは、かなり深く目に見えるほどの速さの
   流れがあったので、ほとんどの死体は下流の方向に流れ去って
   いた。   が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、
   江岸から少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので
   付近は血の川となっていた。

   そして、死にきれないものは銃撃によって止めが刺されていた。
   この一連の処刑は、流れ作業のように、極めて手順よく
   行なわれていた。   大声で指示する人々もいなかった。
   そのことから見て、明らかに陸軍の上級者の指示によるもの
   であると推察せざるをえなかった。
   したがって、部外者である私が   ロを出す余地は   ないと
   感じた次第であった。 ---- -

奥宮が目撃した虐殺の様子からは、戦闘の混乱の中で中国兵を
殺害したのではなく、抵抗できない中国人たちを   組織的に、
「流れ作業のように、極めて手順よく」   処刑していたことが
分かる。   その状況からみて、上部からの指示によるものだと
軍人の専門的な視点から推察できた   という事実も判明する。
上記に続けて   奥宮は、次のように   記述している。

   そこで、私は、付近にいた一人の若い陸軍士官に、尋ねた。
   「なぜこのようなことをするのか」
   答えて日く、   「数日前の夜、一人の勇敢な中国人が、わが
   陸軍の小隊長級の若い士官十名か十一名かは分かりませんが
   寝ている寝室に侵入して、全員を刺殺したそうです。そこで、
   彼らの戦友や部下たちが、報復のために、その宿舎の付近の
   住民を処刑しているとのことです」
   彼の説明が正しかったか否かは   私には分からなかった。
   そう説明するように教えられていたのか知れなかった。

奥宮に対する   陸軍士官の説明が、もしも   正しかったとしたら、
宿舎付近の住民を   つかまえて、「処刑」   したということであり
復讐心に駆られた日本兵による非戦闘員の惨殺だったことになる。
 

Re: ユダヤ人虐殺

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 16:54 投稿番号: [26599 / 29399]
>終戦後は十分に証言も出来たし反対も出来たよね、之が今話題の中心の時代のことだよ>

おいらは現代の話をしてるんだけどね。
まあ、終戦後アイヒマンなど、多数のナチスが南米に逃亡してるのは、
なんでだろ〜、なんでだろ〜、♪♪

Re: ユダヤ人虐殺

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 16:38 投稿番号: [26598 / 29399]
終戦後は十分に証言も出来たし反対も出来たよね、之が今話題の中心の時代のことだよ、嘘吐く君。

君の病気は良く知られたことだよね、嘘吐く君。

Re: ユダヤ人虐殺

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 15:57 投稿番号: [26597 / 29399]
>ドイツでは1994年から「ホロコースト否定」が刑法130条第3項で禁じられている。
2004年にはイスラエルで、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定された。
時間的経過を無視したいんだね、嘘吐く君。>

ごめん、ニャンコチャンが病気だという事を忘れていました。
天才によくある症状ですね。

Re: ユダヤ人虐殺

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 15:28 投稿番号: [26596 / 29399]
ドイツでは1994年から「ホロコースト否定」が刑法130条第3項で禁じられている。
2004年にはイスラエルで、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定された。

時間的経過を無視したいんだね、嘘吐く君。

Re: ユダヤ人虐殺

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 15:16 投稿番号: [26595 / 29399]
>>違うだろ〜。ドイツではユダヤ人虐殺を否定すると
ナチス法で処罰されるからだよ。

>否定しての処罰されません、嘘吐く君。

また〜、ウソばっかり。

(wikipedia引用)

ドイツ、フランス、ポーランド、ポルトガル、チェコなどのヨーロッパ諸国において、ホロコーストの否定は刑事罰の対象になる。特に加害者であるドイツでは3ヶ月以上5年以下の懲役刑、被害が最も大きかったポーランドでは罰金または3年以下の懲役刑になるなど、社会的にも最大のタブーとされている。ポーランドではユダヤ人総人口の9割がホロコーストで死滅したとされている。

>>又、うそついて。誰が証言してんの?
ユダヤ人を殺したと言えば、戦犯として刑務所に入れられちゃうから、
証言なんかするわけ無いじゃんか。

>証言者は処刑されましたよ、嘘吐く君。

戦犯以外で証言したドイツ人の名前をあげてくださいね。
回答はなるべく正確にお願いします。

Re: ユダヤ人虐殺

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 15:07 投稿番号: [26594 / 29399]
違うだろ〜。ドイツではユダヤ人虐殺を否定すると
ナチス法で処罰されるからだよ。

否定しての処罰されません、嘘吐く君。

又、うそついて。誰が証言してんの?
ユダヤ人を殺したと言えば、戦犯として刑務所に入れられちゃうから、
証言なんかするわけ無いじゃんか。

証言者は処刑されましたよ、嘘吐く君。

Re: ユダヤ人虐殺

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 15:00 投稿番号: [26593 / 29399]
>>1)ドイツ国民はなぜユダヤ人虐殺はウソだと言わないのか?
>事実として認めているから。

違うだろ〜。ドイツではユダヤ人虐殺を否定すると
ナチス法で処罰されるからだよ。

>>2)ナチス戦犯以外にどうしてユダヤ人を虐殺したという元ドイツ軍人の証言がないのか?
>元軍人は殺すことはヒトラーの命令だったと証言した。

又、うそついて。誰が証言してんの?
ユダヤ人を殺したと言えば、戦犯として刑務所に入れられちゃうから、
証言なんかするわけ無いじゃんか。

ナチスの戦犯には時効が無いのはニャンコチャンも知ってるだろ。

つまり、ドイツではユダヤ人虐殺を否定することが法的に許されない。
一方、日本では南京大虐殺を否定しても処罰されない。
だから、ニャンコチャンのように、本当は南京大虐殺が
あった事はよく知っているのに、しらばっくれる悪質な確信犯がいるんだよ。

だから、日本も法的にバカウヨのウソを取り締まる法律が必要なんだよ。

Re: ユダヤ人虐殺

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 13:48 投稿番号: [26592 / 29399]
1)ドイツ国民はなぜユダヤ人虐殺はウソだと言わないのか?

事実として認めているから。

2)ナチス戦犯以外にどうしてユダヤ人を虐殺したという元ドイツ軍人の
   証言がないのか?

元軍人は殺すことはヒトラーの命令だったと証言した。

ユダヤ人虐殺

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 13:25 投稿番号: [26591 / 29399]
>猶太人虐殺と、南京虐殺の関連を述べよ

うん、ニャンコチャンに質問があるんだよ。

1)ドイツ国民はなぜユダヤ人虐殺はウソだと言わないのか?
2)ナチス戦犯以外にどうしてユダヤ人を虐殺したという元ドイツ軍人の
   証言がないのか?

博学のニャンコチャンには簡単な質問だよね。アンサー、プリーズ。

Re: 兵士の陣中日記 横

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 12:53 投稿番号: [26590 / 29399]
猶太人虐殺と、南京虐殺の関連を述べよ、脳無しみたいだね、同じ事を繰り返すのは、嘘吐く君。

Re: 兵士の陣中日記 横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 10:38 投稿番号: [26589 / 29399]
>南京虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、日本の軍隊上出来ない、だから夢幻の捏造事件である。

ユダヤ人虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、
ドイツの軍隊上出来ない、だから夢幻の捏造事件である。
だよね〜?ニャンコチャン。

Re: 兵士の陣中日記 横

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 10:12 投稿番号: [26588 / 29399]
個人の日記を出しても中身が正規の陣中日記と違うのじゃ話にならん、増して南京市内に入ったことも無い部隊が、然も入ったような記述をしているなど、捏造と言わずに何と言う、嘘付が捏造を引き合いに出したがるのは理解できる、嘘吐くと云う点で、嘘吐く君。

Re: 兵士の陣中日記 横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 09:48 投稿番号: [26587 / 29399]
>南京虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、日本の軍隊上出来ない、云々

出来ない、出来ないって、もっと自信を持ちなよ。
田中軍吉さんて人は中国で300人の中国兵をたたっ切った英雄だよ。
田中さんのように剣の達人が1000人いれば、中国人を30万人
やっつけるのは、簡単じゃん。

もっと楽観的になりなよ、ニャンコチャン。

Re: 兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 07:44 投稿番号: [26586 / 29399]
南京虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、日本の軍隊上出来ない、だから夢幻の捏造事件である。

物理的に出来ない理由、

1.当時弾薬が三〇萬人を殺せる程なかった。

2.当時の政治状況は表では紛争、裏側では蒋介石と日本政府は、紛争解決に交渉中であった。

3.日本も、蒋介石も紛争早期終結を目論んでいた。

4.日本軍の現地参謀将校により蒋介石政府と停戦交渉が行われて居た。

5.現地参謀の交渉を現地の司令官は全て承知していた。

6.南京安全委員会の報告書には市民が虐殺されたという報告はなく、俘虜選別に関して日本軍と協力したという報告はある。

7.南京城入城時には戦闘は終了しており、以後銃声は聞かれていない。

8.南京俘虜は翌年全て解放されているが、其の解放時の記録が残っている。

兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 21:52 投稿番号: [26585 / 29399]
山砲兵第19連隊第3大隊   上等兵の日記の記述は
さらに、次のように   続いている。

  拾二月拾五日   晴
   南京城外其地に我が拾三師団は休養する事となった、
   午前馬糧の徴発に忙しかった、敵首都南京城も助川部隊
   が拾三日午前拾時三十分に占領してしまったのである、
   城内にも入城する事が出来た。
  拾二月拾六日   晴
   午后一時我が段列より二十名は残兵掃湯の目的にて馬風山
   方面 に向ふ 、二三日前捕慮せし支那兵の一部五千名を
   揚子江の沿岸に連れ出し   機関銃を以て射殺す、
   其の后銃剣にて思う存分に突刺す、
   自分も此の時ばかりと憎き支那兵を三十人も突刺した事で
   あろう。
   山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは
   鬼をもひしがん勇気が出て力一ぱいに突刺したり、
   うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も
   居る、   一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、
   こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった、
   (略)
   帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれて居た。
   (『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P350〜351)
 
次は、山砲兵第19連隊第8中隊の伍長に日記の記述。

  〔十二月〕十四日
   午前四時起床、直ちに出発する、道路暗くて而も寒い、
   前進して午前八時頃敵の降伏兵の一団に逢ひ敗残者の
   悲哀、武装解除に珍らしき目を見張る、
   更に数団、全部にて三千名に達せん、
   揚子江を船で逃げる兵を小銃軽機にて射撃するのも面白し、
   目の前に南京城を見て降伏兵の一段を馬上より見下すのも
   気持が悪くない、南京牧場宿営、女を混じへた敵兵の姿。
   (略)
  〔十二月〕十六日
  (略)夕方二万の捕慮が火災を起し警戒に行った中隊の兵の
   交代に行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日
   揚子江畔にて銃殺と決し   護衛に行く、
   そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。
   月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、
   断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、
   戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、
   一生忘るる事の出来ざる光影であった。

この兵士の記録にも   大勢の捕虜を   揚子江の畔に連れ出して
機関銃による銃殺や   銃剣による刺殺によって   殺害したこと、
また、12月16日には、自分も30人ほどを突き殺したことなどを
記録している。   南京攻略に従軍した   日本軍の兵力は10万以上。
この兵士だけが特別で異常な存在でなければ、数日間のうちに
何万もの中国人を   殺害するのは、じつに   容易いことだった。

兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 21:52 投稿番号: [26584 / 29399]
前述した歩兵第65連隊連隊砲中隊一等兵の陣中メモには
12月17日に   捕虜1万数千人を銃殺し、翌18日から
その遺体の片付け作業に日数が費やされたと記録している。
遺体片付けについては、同連隊所属の別の兵士の日記にも、
次のような   記録がある。

  12月18日
   入城式も終はって、今度は一時にひまとなった。
   朝飯を食してより南京見物に行く。   (中略)
   中隊では死体片づけに全員行っている。   夕方になる。
   夕飯の準備をしているうちに戦友が真っ黒な顔をして
   帰ってくる。   聞いてみれば、煙にて染まったとか。

中隊全員で   朝から夕方までかかって、遺体の片付けに
当たっていた。   もちろん、日本軍兵士の遺体ではない。
次に、同じ時期のことを記録した   山砲兵第19連隊
第3大隊段列・編成   伍長の陣中日記を   引用しよう。

  十二月十六日   晴天   南京城外
   休養、市内に徴発に行く、(中略)午後四時山田部隊にて
   捕いたる敵兵約七千人を銃殺す、揚子江岸壁も一時死人の
   山となる、実に惨たる様なりき。
  十二月十七日   晴天   南京城外
   午前九時宿営地出発、軍司令官の南京入場式、
   歴史的盛儀に参列す、
   午後五時敵兵約一万三千名を銃殺の使役に行く、
   二日間にて山田部隊   二万人近く銃殺す、各部隊の捕慮は
   全部銃殺するものの如し。
  十二月十八日   晴天   南京城外
   午前三時頃より風あり雨となる、朝起床して見ると各山々は
   白く雪を頂初雪となる、   南京城内外に集結せる部隊数
   約十ヶ師団との事なり、午後五時残敵一万三千程銃殺す
   (『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P373)

次に、山砲兵第19連隊第3大隊   上等兵の日記を引用する。

  拾二月拾三日   晴
   七時半某地を出発した、揚子江附近の道路を通過する際
   我が海軍の軍艦がゆうゆうと進江して居るのがよく見えた
   敵の敗残兵は諸所に殺されて居た、午后八時某地に到着
   宿営す。
  拾二月拾四日   晴
   午前三時半出発して前線に進む、(略)   途中敗残兵を
   六五にて   一千八百名以上   捕慮にして   其の他沢山の
   正規兵で合計五千人の敗残兵を拾三師団にて捕慮にした
   全部武装解除をしたのも見事なものである、
   命令我が大隊は馬風山砲台を占領して東外村に宿営す、
    (略)
   捕慮兵は両手をしばられ歩兵に警戒せられて或る広場に
   集められて居た、馬風山砲台には日章旗高く揚げられて
   万歳を唱へられた、
   種々なる感想を浮べて前進を続け東外村に宿営す、(略)

兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 21:51 投稿番号: [26583 / 29399]
日本軍兵士たちの陣中日記には、南京戦を   実体験した
兵士だけが見た   そのときの真実が   記録されている。
次に引用するのは、歩兵第65連隊   本部通信班所属の
有線分隊長・編成   伍長の記録した日記から   抜粋する。

  十二月十四日
   未明油座君支那の工兵大尉を一人とらへ来る。
   年、二十五才なりと、R本部は五時出発、
   吾は第五有線班の撤収をまちて八時半出発。
   午後一時四十分敗残兵一人を銃殺。
   敵の銃をひろひて撃てるものなり。
   第一大隊は一万四千余人の捕虜を道上にカンシしあり。
   天気よし、彼の工兵大尉に車をひかせて南京へ向かふ、
   鹵獲銃は道路に打ちくだく。
   一丘をこえて南京の城壁目(間)近に見ゆ。
   城壁一千米手前にて彼の工兵大尉を切る、
   沈着従容たり、時午後四時也。
   午後五時半、R本部に至るも本部未着六時四十分頃着す。
  十二月十五日
   午前九時朝食、十時頃より×××伍長と二人して徴撥に
   出かける、何もなし、唐詩三百首、一冊を得てかへる、
   すでに五時なり。   揚子江岸に捕虜の銃殺を見る、
   三四十名づつ一度に行ふものなり。

次は、歩兵第65連隊連隊砲中隊・編成   一等兵の陣中メモ。

  〔十二、〕十四
   午後五時出発夜頃より敵兵続々と捕虜トス、幕府山要塞を
   占領し午後二時戦斗を中止す、廠舎に捕虜を収容し其の前
   に宿営警戒す、捕虜数約一万五千。
  〔十二、〕十五
   今日も引続き捕虜あり、総計約弐万となる。
  〔十二、〕十六
   飛行便の書葉到着す、谷地より正午頃兵舎に火災あり、
   約半数焼失す、夕方より捕虜の一部を揚子江岸に引出
   銃殺に附す。
  〔十二、〕十七
   未曾有の盛儀南京入場式に参加、一時半式開始。
   朝香宮殿下、松井軍司令官閣下の閲兵あり、
   捕虜残部一万数千銃殺に附す
  〔十二、〕十八
   朝より小雪が降った、銃殺敵兵の片付に行く、臭気甚し
  〔十二、〕十九
   本日も敵兵の片付に行く、自分は行かなかった。

12月17日、同連隊だけで、捕虜の殺害数は1万数千人。
その遺体の処理に日数を要し、小雪が降る季節であるにも
かかわらず、「臭気甚だしい」   という状況だったという。

兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 21:50 投稿番号: [26582 / 29399]
さらに別の   日本軍兵士の   陣中日記を   引用してみたい。
次は、歩兵第65連隊   第1中隊・編成   上等兵の日記だ。

  十二月十三日   晴
   午前六時宿営出発。   余(途)中数十名の敗残兵を
   射殺し   十時銃胞(砲)声の中に   入りたるの感あり、
   銃胞(砲)声を近くに聞く事始めての我等は、
   胸の度きをおぼゆる。いつか一ヶ中隊だけ独立となり、
   且、一小隊わ将校斥候に出て居らず、此の附近、
   道には地雷を二十米をき位にあり、山わざんごうあり、
   鉄条網ありて厳強なる陣地の如し。
   午后三時頃はからず烏龍山砲台なるを知り占領。
   砲台は主として揚子江に面し陸にはとちかを築き
   陣地の補強工事中なり。
  十二月十四日   晴
   警備。   敗残兵掃蕩のため中隊長准尉一小隊の一分隊と
   我四分隊とで砲台に行く。   幾名とも知れず射殺す。
  十二月十五日   晴
   敗残兵数百降伏し来るとの報に一同出動、約二千米。
   山中に小銃約百丁、チェック四、銃重機二其の他多数の
   弾薬を置き逃走。右武器を前日占領の自動車にて中隊に
   運ぶ。
   (略)
  十二月十七日   晴
   警備。(略)毎日敗残兵の銃殺幾名とも知れず。

毎日、敗残兵を   銃殺した。  
その数は、「幾名とも知れず」   という記録だ。
次は、歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充   少尉の日記。

  十二月十五日
   一昨日来の疲れのため下士官以下に警戒をたのみ睡眠す
   本日も出発の様子なく警戒に任ず。中隊は衛兵を多数出し
   又自分は巡察将校を命ぜられ全く警戒のため非常に疲労す。
   夕方より一部食事をやる、兵へも食糧配給出来ざる様にて
   捕慮兵の給食は勿論容易なるものでない。

  十二月十六日
   警戒の厳重は益々加はりそれでも(午)前十時に
   第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも
   疎の間で午食事中俄に火災起り
   非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時
   大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮兵約三千を
   揚子江岸に引率し之を射殺す、
   戦場ならでは出来ず又見れぬ 光景である。

やはり、大隊として   「取るべき手段」との判断のもとで
無抵抗の   大量の捕虜を、組織的に殺害したことがわかる。
参考資料:『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
小野賢二ほか編、大月書店(1996年3月発行)

兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 21:50 投稿番号: [26581 / 29399]
南京虐殺事件「マボロシ論」   の中には、何十万人もの捕虜を
殺害することは物理的に不可能だから   大虐殺があったという
証言は   すべてウソだ、などと   いう主張もある。   しかし、
それは   故意に事実をねじ曲げたものか、あるいは   単なる
歴史に無知なうえでの事実誤認にもとづく主張であると思う。

大量虐殺は、南京城陥落直後の数日間に限ったことではなく、
長期にわたる   攻防戦と占領後の掃蕩作戦の中で   発生した
事件であることを理解すべきだ。   そして、一部の無法者が
犯した行為ではなく、十万にのぼる兵力が   組織的に実行した。
したがって   無抵抗の   何十万の命を奪うのは   可能だった。

その実態は、夥しい証言と記事により浮き彫りになっている。
一例として   南京戦にあたった将校の陣中日記を見てみよう。
以下は、歩兵第65連隊   第1大隊本部・上等兵の日記だ。

  ◇十二月十四日
   朝四時出発。三十分位にて捕虜千名、十時頃二千名位有り
   計一万五千名位 。
  ◇十二月十五日
   今日一日捕虜多く来たり、いそがしい。
  ◇十二月十六日
   今日南京城に物資徴発に行く。
   捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
  ◇十二月十七日
   今日は南京入城なり(一部分)。
   俺等は今日も捕虜の始末だ。
   一万五千名、今日は山で。   大隊で負傷、戦死有り。

第65連隊の   第1大隊だけ、しかも   2日間だけで、
捕虜を   1万7500名も   殺害した   という記録だ。
日本軍全体で、捕虜の処理に   何日間もかけたとすれば、
殺害された捕虜の総数は、想像を絶するものだ。
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成   上等兵の陣中日記。

  拾二月拾七日
   (略)午后一時から   南京入場式。
   夕方は   大隊と一所の処で   四中隊で   一泊した。
   その夜は   敵のほりょ二万人ばかり揚子江にて銃殺した。
  拾二月拾八日
   大隊本部に行った、そして午后   銃殺場所見学した、
   実にひどいざん場でした。

やはり、戦闘によって   敵兵を殺傷したのではなく、
「捕虜」を大量に   銃殺処分にしたことを   記録している。
降伏した敵兵、捕虜を   武装解除後に   殺害することは
違法行為であり、それ以前に   人道上   許されない。

参考資料:『南京戦史資料集2』南京戦史編集委員会編
(増補改訂版   平成5年12月8日)

Re: 南京慰安婦問題最終解決法

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/19 13:16 投稿番号: [26580 / 29399]
>身のない投降をする者..云々

おいらはバカウヨに(投降)しないから勘違いすんなよ、ノ〜タリン。

Re: 南京慰安婦問題最終解決法

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/19 12:11 投稿番号: [26579 / 29399]
一部の反体制主義者が売名行為として巻いた種を育てたのは、fukagawatohei の如き反動的な自慰的精神弱者である。

知りもせず、調べもしない自慰的精神弱者は、自我を己自身で確立することが出来ずに、権威や体制に依存して反体制的な発想や主張に誘導されて、今はなき帝国日本政府や旧日本軍の仕立てられた虚構の実態を否定することで自己保存の礎とする精神的根無し草。

幾ら帝国日本政府や旧日本軍を否定しようと、日本人として生まれたその身は彼らの子孫である。

現実に存在した帝国日本とその国民や旧日本軍の実像を自ら調べる努力も知る努力もしないで否定すれば、精神的文化的な根無し草となる。
それでもその物質的存在は、帝国日本の国民の子孫である。

自身の物質的なルーツを持つ身でありながら、精神的文化的にそのルーツを否定する輩など、どの地域どの国家の人民からも尊敬されないばかりか見下される。
だが、自己基準でしかものを判断認識することしか出来ない無思慮な利己主義者には、そんな当然の審理すら分からない。

本日は、北朝鮮の金正日の死亡が伝えられた節目の日となった。
表題に「南京慰安婦問題最終解決法」などと付けて身のない投降をする者も、今日を節目に自己を見直して欲しいものである。

Re: 慰安婦問題の責任は日本にある!

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/19 11:51 投稿番号: [26578 / 29399]
戦後日韓条約で総ては解決している、朝鮮民族は恥を知れ。

Re: 日本軍「慰安婦」被害者に正義を!

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/19 11:49 投稿番号: [26577 / 29399]
<nukabosi>
本年8月30日には、韓国憲法裁判所が「韓国政府が日本軍『慰安婦』問題の解決のために日本政府と交渉しないのは憲法違反だ」との判断を示しました。そして韓国外交通商部は外務省に政府間協議を申し入れました。私たちは、日本政府が韓国政府との協議に応じて、解決の道筋を進めることを要望します。


事後遡及の立法を平気で成立させている国の司法が何をどうほざいても気にすることはない。

韓国が必死にロビー活動をして国連などの人権機関からこの十数年の間、拘束力のない勧告が出されていたことなども気にすることはない。
韓国の同様の働きかけで、台湾・アメリカ・カナダ・オランダ・EU議会が、何の拘束力も発動力もない議会採択をしたことも気にすることはない。

従軍慰安婦問題に関心が強い国民が相当数以上いる国など、韓国と日本ぐらいのものだ。
北朝鮮ですら、そんなことに関心を抱く国民は多くいない。

まして欧米などからすれば、本音としては今更どうでも良い話しでしかない。
自分達が追い出された旧領に置き去りにした自国民が、当該地域の違法な特殊慰安所開設に伴い詐欺的に収容されて、性的慰安をさせられたとされるオランダでさえ、殆どの人はこの問題に関心を持たないだけでなく知らない。

実態被害が明確に出来ない韓国人が、一部の売名的反体制反政府主義信望者によって捏造されたデマゴーグの尻馬に乗って騒ぎ立て、韓国政府が繊細費がい国民の賠償を反故にしている事すらよく分からずに、日本政府に賠償を求めているが、多くの韓国人は関心を抱いていない。

関心を持たざる得ない一定数の韓国人は、従軍慰安婦の強制連行と言う捏造問題の当事者とされたことによる風評被害を懸念して、迷惑がって関心を持たざる得ないのだ。

韓国政府は、従軍慰安婦の強制連行にあったとされる被害者を日本から韓国政府が受け取った損害賠償で保障する戦争被害者の対象になるとは、終戦当初から考えていなかったのだ。

現代史も碌に知らない日本の政治化同様、現在の韓国大統領やそのブレインは、自国と日本との賠償に関する取り決めすら知らずに、声ばかり大きい自称従軍慰安婦(ハルモニ)を引き連れた戦時性暴力問題連絡協議会/日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010の尻馬に乗ったのだ。

そもそも、戦後になって戦勝国だと喚いていた朝鮮人の主張はGHQによって否定され、戦勝国だと自称したその口で植民地だったと言い張ること自体が矛盾なのだ。

朝鮮系日本人として、ハングルの読み書きに始まり日本人と同様の義務教育を受け、勉学に励んだ多くの勤勉な努力家の朝鮮人が日本人と同等に各方面で活躍し、徴兵もしていない環境で募集を遥かに上回る志願兵希望者が殺到し、数多く将兵が日本軍としてアジア各国の戦地へ赴き、多くの将官や将校を排出したのが現実である。

そして、朝鮮人も日本人と一緒に敗戦した。
敗戦と同時に、朝鮮人テロリスト達やロシアの革命主義の支援を受けた盗賊集団が、朝鮮半島で朝鮮人として実権を握るようになった。

その結果、反体制主義のテロリスト達の軍事独裁政権とロシアの革命主義の支援を受ける盗賊集団による軍事独裁政権が生まれ、半島を二分することになったのだ。
そのうち、南側の軍事政権が民主政権に転換したのは、1987年6月29日宣言を以って以来のことであり、30年にも満たない民主化の歴史なのだ。

南京慰安婦問題最終解決法

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/19 10:29 投稿番号: [26576 / 29399]
正直、中国と韓国もいい加減にせい、と言いたいが、もともと
これらの問題は日本が戦争を起こさなければ発生しなかったことである。
つまり、問題の原因を作ったのはあくまで日本側であり、被害者である
相手をいくら非難しても、永遠にこの問題は解決しない。
それでは、日本人、我々の子孫にも災いを残すことであろう。

やはり、日本がまいた種は日本がからねばならない。
そこで、私は人道上の観点から、南京、慰安婦をうそだという
バカウヨを100人皇居の前で公開縛り首にする事を提案する。

まづ、その手始めに次の三名をつるす:

1)3K新聞社長クマバカ某
2)さくらチャン寝る社長水島ぶた社長
3)バカウヨ女性評論家桜井わる子

その他順次、バカウヨをせいばいしていけば、中国と韓国もこれ以上
日本にいちゃもんをつける事ができなくなる。

つまり、これらのバカウヨは救国の志士として、永遠に靖国神社に
祭られるであろう。

Re: 20年まったく進歩のない否定論

投稿者: hane1940 投稿日時: 2011/12/19 10:03 投稿番号: [26575 / 29399]
>ですから、これから先も延々と虚構の問題設定を繰り返すでしょう。

これからも創作を書き続けるということですか。本当にご苦労さん。

サラっと嘘を創作されることに何の躊躇もない人の言論に人は動きません

Re: 20年まったく進歩のない否定論

投稿者: saikusa443 投稿日時: 2011/12/19 08:57 投稿番号: [26574 / 29399]
>ですから、これから先も延々と虚構の問題設定を繰り返すでしょう。

5w1hということをしっているの。いつも色々書いているが、まったく
信ぴょう性がないのだが。

ついでに、そのばーさんの当時の住所はどこなんだ。ぜひ教えてね。

上に引用したように、あなたが今から先も物語を創作していくことは
理解した。ご苦労さん

Re: 20年まったく進歩のない否定論

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/12/18 21:39 投稿番号: [26573 / 29399]
韓国政府に抗議すれば良いんでないの〜?

日本人の慰安婦には同情もせず、ひたすら日本国に集る根所は唾棄されるべし!

20年まったく進歩のない否定論

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/18 21:34 投稿番号: [26572 / 29399]
慰安婦の碑に込められた意味と、20年まったく進歩のない否定論。
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20111215/p2 より抜粋


慰安婦問題についてさらにいえば、日本以外の国際社会では、女性への性暴力、人権の問題として認識されており、これは2007年に台湾、アメリカ、EU議会などで日本政府が慰安婦問題に真摯に対応をするよう求める決議が可決されている事実からもわかることです。

一方で、20年間、延々と「強制連行はなかった」、だから何の問題もないのだと繰り返す人々がいます。

ではそこで、どうのようなことが主張されているかといえば、

【主張】慰安婦の碑   首相は抗議し撤去求めよ - MSN産経ニュース
「そもそも、慰安婦を日本の軍や官憲が強制連行したという証拠は何一つなく、日本政府が賠償すべき筋合いの問題ではない」

といった毎回、同じ内容の否定論なのです。

皇軍が人身売買された未成年者を含めた女性を直接、間接的に集めて、軍専用の買春宿に入れ長期間拘束していたこと、さらにそれを国家が政策として推進していたということは十分に問題があると思うのですが、そういったことにはぜったいに触れることはありません。

(そもそもこの「証拠がない」というのは性暴力を犯した側の常套句ですし、通常は「文書による強制連行の証拠」なんて残さないことは歴史研究者が指摘済みのことなのですがね。)


んで、ここで1つはっきりと分かることがあります。

それは、この20年間、慰安婦問題の否定論を振りまいてきた人々というのは、実は慰安婦問題についてまともに考えたことが一度もないということです。

ですから、これから先も延々と虚構の問題設定を繰り返すでしょう。

日本政府は謝罪すべき(NY州議会上院議員)

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/18 21:32 投稿番号: [26571 / 29399]
従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求め、毎週水曜日に行われてきた集会が1000回を迎えたのに合わせ、日本や米国、カナダ、欧州など世界各地で14日、日本政府に抗議する集会が相次いで開かれました。

日本では14日正午から1時間にわたり、東京・霞が関にある日本の外務省を1300人の「人間の鎖」で取り巻きました。
また、「全国行動」は東京だけでなく、神奈川、沖縄など日本各地の13地域で集会やデモが行われました。

米国でも集会相次ぎ、ワシントンでは「ワシントン地区挺身隊問題対策委員会」が14日午前、日本大使館前で集会を行って、日本政府が慰安婦問題を公式に認め、被害者に対する謝罪と補償を行うべきだと訴えました。

13日夕には、ニューヨークで、韓国で1000回目の集会が行われる時間に合わせて、元慰安婦のイ・ヨンスさん、イ・オクソンさんとホロコーストの生存者による対話集会が行われ米国の政治家ら約100人が出席しました。

出席者のトニー・アベラ氏(ニューヨーク州議会上院議員)は「第2次大戦当時に行われた従軍慰安婦という深刻な人権侵害に対し、日本政府は必ず謝罪すべきだ」と述べました。


[資料]
2人の元慰安婦の生きざま
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/12/13/2011121301320.html より抜粋

  1924年に咸鏡道(現・北朝鮮領)で生まれたファンさんは、13歳のときに訳も分からないまま興南(現・咸鏡南道咸興市)のガラス工場へ連れていかれ、重労働を課せられた。そして3年後、間島(旧満州〈現・中国東北部〉の韓民族〈朝鮮民族〉居住地域)へ連れていかれ、日本軍の慰安婦として屈辱に満ちた生活を余儀なくされた。

  ファンさんは今夏以降、食べ物を飲み込めないほど健康状態が悪化し、入院した。江西区の関係者は「今では水も飲めないほどで、危険な状態だ。亡くなった場合、区の条例に従い、区民葬として葬儀を執り行う方針だ」と語った。

日本軍「慰安婦」被害者に正義を!

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/18 21:28 投稿番号: [26570 / 29399]
日本軍「慰安婦」被害者に正義を!
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20111212/p1

日本全国、世界各地で同時に行う『韓国水曜デモ1000回アクション』

外務省を「人間の鎖」で包囲しよう!
http://restoringhonor1000.info/

1991年8月14日、韓国の日本軍「慰安婦」被害者・金学順さんが初めて名乗り出て、既に20年が経過しました。また、翌92年1月8日に始まった、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める韓国水曜デモは、2011年12月14日で1000回を迎えます。

  日本の植民地下での戦争によって強いられた苦しみと屈辱の体験を、勇気を振りしぼって証言したハルモニたち(朝鮮・韓国語で「おばあさん」の意味)。戦後も韓国社会の中で蔑まれ、辛い人生を送らざるを得ませんでした。この事実はハルモニたちの勇気のある証言によって初めて明らかになりました。

  名乗り出た234名の被害女性は、現在齢80歳を超え無念のうちに亡くなられる方が相次いでいます。生存の方は65名になってしまいました。もはや時間は残されていません。

  国連などの人権機関からこの十数年の間出され続けてきた勧告や韓国・台湾・アメリカ・カナダ・オランダ・EU議会の決議も日本政府は無視し続けています。

本年8月30日には、韓国憲法裁判所が「韓国政府が日本軍『慰安婦』問題の解決のために日本政府と交渉しないのは憲法違反だ」との判断を示しました。そして韓国外交通商部は外務省に政府間協議を申し入れました。私たちは、日本政府が韓国政府との協議に応じて、解決の道筋を進めることを要望します。

  雨の日も、雪の日も、そして炎天下でも、ハルモニたちは、毎週水曜日、ソウルの日本大使館前にてデモを行ってきました。もうこれ以上、日本政府の黙殺を許してはいけません。被害女性の名誉回復、被害女性への謝罪と賠償を一日も早く果たすよう日本政府に要求します。

  その私たちの思いを訴えるため、韓国水曜デモが1000回を迎える12月14日、外務省を「人間の鎖」で取り囲みましょう。日本全国、そして世界各国で同時に行われるアクションです。多数の参加がなければ実現しません。是非、多くの方に声をかけていただき、一緒にご参加ください。
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主催:戦時性暴力問題連絡協議会/日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010


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ソウル「慰安婦」   福岡でも連帯を
2011年12月10日
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000001112100005

  旧日本軍の元「慰安婦」らが韓国・ソウルの日本大使館前で開いてきた抗議集会が今月14日、1千回目を迎える。世界各地でこれに呼応する催しがあり、福岡市でも集会が開かれる。
(中略)

  14日はドイツやオーストラリア、カナダなどで呼応した集会が開かれる。国内では、慰安婦への謝罪と補償の実現を目指して結成された市民団体「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」の呼びかけで、東京で外務省を人間の鎖で囲むイベント、大阪、名古屋などで集会がある。福岡では午後0時半から、天神地区の福岡パルコ前、天神コア前などで、「慰安婦」の遺影を掲げ黙祷をした後、リレートーク、チラシ配布、パネル展示をする。

  韓国政府が登録した「慰安婦」234人のうち生存者は67人にまで減っている。賠償問題は、韓国の憲法裁判所が8月、韓国政府に対し、日本政府と賠償について交渉を求める判決を出し、韓国は二国間協議を求めているが、日本は回答を先延ばしにしている。

Re: 慰安婦問題の責任は日本にある!

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/18 12:56 投稿番号: [26569 / 29399]
>日本国総理大臣による慰安婦問題への謝罪

↑それがほんとなら、日本の総理大臣は實に無知だ。謝罪で問題が解決する
のは日本人と日本人の間の場合で、日本以外では謝罪は問題の発生点なのだ。

証言はいいから物理的証拠を示して下さい

投稿者: yasuhikom1966 投稿日時: 2011/12/18 11:43 投稿番号: [26568 / 29399]
  どんな犯罪でも事件でも証言だけで証拠にはなりません。
  だから、しっかりとした物理的根拠を示して下さい。
  例えば南京大虐殺で殺害された人達を証明する、戦闘状況や死体を確認した証明書など。
  当時の日本軍の戦闘詳報には、虐殺を示す文章も無ければ当時アメリカ人を含めた欧米人が南京にいましたが、誰も南京で民間人を殺害したという証明はありません。
  ゲリラが当時の南京にはいたから殺害した証明はあります。

  裏付けも同じ部隊の人が否定している適当な証言はどうでも良いので、物理的証明を行ってください。
  もう結構。
  本当に虐殺があるなら、それを明白に証明する資料を提示して下さい。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:19 投稿番号: [26567 / 29399]
16師団歩兵第38連隊第1大隊の   兵士の証言は次のとおり。

   南京の   和平門に着いた。   門が閉まっていて   野砲が
   どんどんと撃った。   抵抗がやんだので縄梯子で登った。
   中にいた敗残兵が、次々と   手を挙げて   出てきました。
   大隊長は「切れ」   という仕草をして両手を振り下ろし
   ました。    命令ですので   みんなで   突き殺しました。
   門を入ると捕虜を集めていました。   捕虜は、固まって
   こちらに   十五、六人、あちらにまた   十五、六人と
   たくさん   いました。   それを   集めていましたな。

第33連隊   第2大隊の   兵士の証言は   次のとおり。

   十二月十三日南京陥落後の翌日朝八時頃に南京の太平門に
   入りました。   そこで   十四日、十五日と   二日間警備を
   しました。   入った日の   前々日の攻撃で   死んだ死体が
   そのまま   放ったらかしてありました。
   松井司令官の命令で   各師団長に、師団長から各中隊長に
   伝わってきていたと思うんやが、兵隊は何事も命令なしで
   勝手にやってはならんからな。   当時分隊長が「男は皆
   殺してしまえ!」   と言って   話は覚えています。
    
下記は、同大隊に所属していた   別の兵士の証言だ。

   陥落してから、二日ぐらいしてから   南京城内で   掃蕩を
   しました。   家を一軒一軒調べて、男なら全部引き出した。
   調べることはせえへん。捕まえて調べるので引っ張ることも
   あるし、その場で   ぼんと銃でやってしまうこともあった。

次は、同隊の   別の兵士の証言。

   捕虜の処分は   師団命令です。
   実際に   私ら兵隊に   命令を下したのは、中隊長で、
   「捕虜にした者は全部殺せ」と言って指令されました。
   どのぐらいの人数を   殺したか、数は   分かりません。
   一日にだいたい一個小隊ぐらい、五十〜六十名ぐらいを
   処分しました。

同連隊の第3機関銃中隊の   兵士の証言は   次のとおり。

   私らは   小銃中隊の兵隊と一緒に   入城しました。
   小銃隊の兵隊が支那の兵隊を銃剣で突き刺しているのを
   目撃しました。   男は   みんな捕まえてましたな。
   でも、私ら   重機関銃隊は   そんなことをしてません。
   実際、南京戦で「支那人を殲滅しろ」   という命令が
   私ら   第三機関銃中隊に   来てましたけれど、
   各中隊にもそんな命令が出ていたかどうかわかりません。

こうした   膨大な証言から   判明することは、
大量殺戮が、兵士個々人の   犯罪ではない   という事実だ。
これは、日本軍という組織としての集団的犯罪に   ほかならない。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:18 投稿番号: [26566 / 29399]
前述した   第16師団歩兵第33連隊   第3機関銃中隊の
兵士の証言は、次のように   続いている。

   「今から上陸するところは米が穫れる、水牛がおる、」
   「支那人は全部殺せ、家は全部焼け」と言う命令でした。
    (略)
   上陸してから   常熟で一晩泊り   翌日の出発前に
   家を全部   焼き払いました。   民家の中のタンスやらを
   積んで火を点けたら全部燃えました。   結構広い部落が
   全部燃えました。   そうしたら、後方部隊が来るように
   なったので「家を焼くな」という命令が再び出たんです。
   それは無錫の手前でした。命令は小隊長から聞きました。

同中隊の   別の兵士の証言もある。   内容は   以下のとおり。

   中島師団長という人は剛胆な人で、「支那の家を全部焼いて
   しまえ」   と言いましてな。   白茆口へ   上陸した時です。
   「ここは抗日の一番ひどいとこやから各部落の家は全部焼け」
   とも言いました。   私も上陸してから露営して、すぐに家を
   焼きました。   仲間内で   伝わって来ましてな。
   「師団長が   言うたんで、やってしまえ」と。
    (略)
   師団長はそういう人ですので、支那兵はみんな殺してしまえと
   二十聯隊か   三十八聯隊か   九聯隊か   知らんけど、
   そういうことを   やりましたでしょうな。
   それが   問題になったわけです。
    (略)
   命令授与で   「風紀・軍紀厳正」   という命令は
   いつでもありましたけど、じっさいには、支那におった時には
   あんまり   やかましく   言われませんでした。
   日本の兵隊は   無茶なことしてますわ。
   強姦は   南京戦より徐州戦の方が   ひどかったくらいです。
   南京でも   もう乱れてましたな。

大量殺戮の背景には、無差別掃蕩命令の   存在があった。
同連隊第1大隊に属した   別の兵士の証言を   見てみよう。

   十二月十四日、揚子江岸で   捕虜を千二百人いっぺんに
   処分しました。日記に書いているように惨いことでした。
   処分がすんでから、悒江門から城内へ掃蕩に入りました。
   (略)
   捕虜剔出には人数を数える暇なくどんどん捕まえました。
   捕虜といっても   中国服を着た   男ばっかりでした。
   掃蕩をやる時は   中隊長の指揮によってです。
   注意事項というものはなく
   「戦争に耐えると思えるような者は全部殺してしまえ」と
   上部の命令として   言われていました。
   直接この命令を聞いた覚えはないが、中隊長か   大隊長が
   発したのだろう   と思っています。
   実際、男を敵兵として捕らえ、一人ひとりを調べることなど
   しませんでした。
   おとなしく   投降しても、中国人は全部   殺してしまう。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:18 投稿番号: [26565 / 29399]
第16師団   歩兵第33連隊   第1大隊と   第2大隊の兵士の
証言を引用した。   次に、第3大隊の兵士の証言を引用する。

   昭和十二年八月、大召集を受けて、九月に   久居を出発し、
   大阪港から出航しました。九月、十月、十一月は   河北の
   戦闘で   韓家頭や八里荘で   初めて戦闘を体験しました。
   (略)
   部隊本部から「韓家頭の部落を攻撃する。   部落に入ったら、
   猫の子でもいいから   生きとる者は、男でも女でも全部殺せ」
   と命令が出ました。
   それでわずか百メートル先に五十戸位の部落が見えたんです。

   これこそと   攻撃をかけたけど、猫の子一匹もいやしません。
   粗末な一軒の   農家の中のアンペラが   コソコソと動くので
   めくり上げると、四十歳位の   妊婦が   二人の幼児を
   両脇に   だきしめて   隠れていました。
   コノーと引きずり出すと   子供は泣き叫び   母親の後に
   しがみついている。

   母親は   もう一人の子を   クリークの中に   つっこんだ。
   ××伍長が   これこそ戦友の仇と   即座に   銃で三人を
   撃ち殺してしまった。
   その時は   気がたっていた   というか、女子供なのに
   酷いことを   しました。

同連隊   第1機関銃中隊の   兵士の証言は   次のとおり。

   私ら行った時は   白茆江やったかな。
   弾飛んで来えへんかったということは   敵おらへんかった。
   上陸の時   命令受領に行ったら「普通の男も殺せ、皆敵や」
   と言われていたで。
   家を焼けとの命もあって、うちの中隊でも   放火班があった。
   十人位で   火をつけたけども   常熟の前やったか、
   一日ぐらいで止めた。

後者の証言にある   白茆江は、南京城攻撃の   1か月前に
攻略した地点であり、すでに   この時点で無差別な殺害を
兵士たちは   命じられていた事実が伺える。
この事実を裏付ける   別の兵士の   証言もある。
以下は、同連隊   第3機関銃中隊の   兵士の証言だ。

   大連から南下して上海から揚子江を上にいった白茆口
   という所に   着きました。   そこでは   敵前上陸で、
   そこから   どんどん追撃して   南京まで行ったんです。
   その時、私は   上からの命令文を   見ました。
   「支那人は全部殺せ、家は全部焼け」と書いてありました。
   その命令は   白茆口に上陸する   前日に出たんです。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:17 投稿番号: [26564 / 29399]
非武装の民間人を   殺害することは、明確な   国際法違反だ。
その違法行為が、一部の個人による勝手な振る舞いではなく、
組織的に行われた点に、中国戦線における   日本軍全体の
問題が表れている。   兵士の証言を   続けて   検証しよう。

第16師団   歩兵第33連隊第1大隊所属の兵隊の証言は
他にもある。   たとえば、以下のようなものだ。

   行軍が早くて   どんどん進むもんでね。
   部落は   日本軍が火をつけて   焼けてますやろ。
   上陸した始めの頃は焼いてなかったけど、途中で
   そりゃもう、部落を   どんどん焼いてました。
   放火分隊って、上陸の時は   うちの中隊もありましたな。
   中隊長が   あの部落   焼いてこいって。
   家の中には、住民が隠れていてますわな。
   それを   殺さなならんのですわな。
   それで   兵隊嫌がってましたな。
   その命令が出ると。おると殺さないかんのです。
   (『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P302)

同大隊の某中隊指揮班の   兵士の記述は   次のとおり。

   中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が
   出ました。   つまり   虐殺でした。
   攻略戦で、その残虐さは   南京に入ったらすぐそうでした。
    (略)
   南京攻略戦は   ちょっと   やりすぎでした。
   反日の根拠地というので、南京に入るまでは   家を全部焼け
   という命令が   ずっと出てました。
   すると   また後続部隊が   泊まる所がないからといって、
   家を焼くのを中止したんです。   とにかく「家は全部焼いて
   人間は全部殺せ」   という命令でした。
   命令が出てなかったら   こっちは   しませんよ。
    (略)
   南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
   それも   もちろん命令が   あったからです。
   皆伝え聞いて   分かっていました。
   中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。
   その代わり   こっちの被害も   多かったですな。
   あそこは   支那の部隊も   集中してました。

次に、同連隊   第2大隊の   兵士の証言を   見てみよう。

   南京に向かう途中   どこの戦闘だったかは忘れたけれど、
   部落があって、あそこに共産党がいる   ということで、
   上から「負傷者に関わらず全部共産兵なので、全部殺せ」
   と命令してきたんです。
   それで部落に火を点けると、後ろから煙が上がってきました。
   その中から   オギャーオギャーと   赤ちゃんの泣き声が
   聞こえてきました。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:17 投稿番号: [26563 / 29399]
南京虐殺事件が   世界中に知れわたったのは、大量の中国人捕虜を
違法に殺害した状況を、外国人たちが目の当たりにしたことによる。
南京における   膨大な数の犠牲者、その   大部分を占めるのは、
日本軍によって   「処分」   された   捕虜たちだ。
捕虜の殺害は、当時としても   明確な   国際法違反だった。

しかし、歴史に刻まれた   南京虐殺事件の   より大きな特徴は、
捕虜以外の   一般市民に対する残虐行為が   頻発したという点だ。
非戦闘員である   一般市民の殺害も   当然ながら   違法であり、
また、人道・人権の観点からも   けっして   許されない蛮行だった。
まさに   世界の人々を   震撼させる   凶悪な犯罪に   ほかならない。

この違法行為が、大量に、大規模に、行われた   という事実が
日本軍関係者の   数多の証言、記録によって   証明されている。
それらの証言などから   確認できる   一つの事実は、
これが、一部の不届き者による犯行ではなく、「命令」によって
組織的に   行われた   集団的犯罪であった   ということだ。  

第16師団   歩兵第9連隊   第2大隊の兵士の手記には、
次のような記述がある。

   「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」
    と聯隊長の命令が   でました。
    二人とか   三人とかの百姓を   捕まえてきて、
   「そこらに兵隊はおるかおらんのか」などの尋問して
    地形を聞いて、後は   殺してしまうんです。
    クリークの縁に   連れ出して、そこに   座らせました。
    将校は、めったに   刀で首切りなんて   できへんのやから、
    軍刀持ってるさかいに   試し切りを   するんです。
    私ら兵隊は   突き殺しました。
    鉄砲の弾   できるだけ使うな   と言われてました。

また、同師団の歩兵第33連隊   第1大隊の兵士は   次のように
証言している。

    上海の近くで   敵前上陸して   南京に向かったな。
    途中、クリークや大きな池を越えたりして行くので
    大変やった。   工兵隊が橋を作ってくれたりしてな。
    南京へ攻めていって、揚子江で   たくさんの死体が
    流れていくのを見たな。   女や子どもも入っとるやろね。
    いや入ってて当然や。私も下関で軽機で撃っとるけどね。
    敵が(揚子江を)下って行くのを撃った。
    しかし南京のことは忘れてしまった、ぜんぜん憶えてない。
    ただ   上から「男見たら殺せ」   と命令されたことだけは
    よう憶えとる。
    南京へ行くまでに常熟か無錫辺りかな、もうそういう命令が
    出ていたな。   部隊長の××中尉が言ったんじゃないか。
    あるいは「人見たら殺せ」とな。
    (『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P159-160)

同じ大隊に属した   別の兵士の証言も   見てみよう。

    南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、
    その命令は   中隊長か小隊長から聞いたけど、
    「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう
    命令やった。   天皇陛下の命令やと   言ったな。
    当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
    (『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P271)
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