>「遺族実質勝訴」の謎
投稿者: watanabe1937 投稿日時: 2005/08/27 17:35 投稿番号: [9890 / 29399]
toitatoiさん:>これは、百人斬りが明確に虚偽だと認められれば、問題となるようなことでしょうが、...
えーっとですね、判決文は順を追って説明しているのであり、「百人斬りが明確に虚偽だと認められれば、問題となるようなこと」などとは言っていません。棄却された訴訟の判決文要旨から拡大解釈しないようにしてください。
・M.Nの件ですが、これは「原告ら」の特定ができるか、「原告ら」に対する名誉毀損がなりたつかどうかという部分で主張されたものです。(本多他2003年12月1日準備書面)
これについて、裁判所は M,Nと書いても誰のことか特定できるとしながらも、被告は「原告ら」の経歴、行状などには言及していないから「この点に関する原告らの主張も、採用することができない」(p.108)と原告側の主張が退けられています。
掲示板などに投稿された内容が事実であるとすれば、高池弁護士は匿名の件について何か勘違いされているようです。
ところで、これは視点を変えると、もはやM,Nなどと匿名にして気兼ねをする必要がないということになるので、原告の利益にはなりません。
・捕虜の殺害が「両少尉の社会的評価を低下させる重大な事実」であることは確かでしょう。戦争中とはいえ違法なことだからこそ、捕虜の据えもの斬りが歴史の問題となっているわけです。
>しかし、虚偽とも真実とも判断できない、ということで、原告側(遺族側)の実質勝訴という状況に救われたとも言えます。
・「虚偽とも真実とも判断できない」などとは判決はいっていません。「その歴史的事実の評価は、未だ、さだまっていない状況」にあり、死者の名誉毀損の判断基準である、摘示事実が「一見して明白に虚偽である」ことは「認めるに足りない」と言っているのです。要するに、議論がある歴史事実について論考を発表しても、「一見して明白に虚偽」でなければ違法ではないとしています。これは、城山三郎『落日燃ゆ』の、1、2審判決と基本的には同じ内容であり、本多勝一の論考に違法性がないことは明確に示されています。原告の完全敗訴です。
どこが「実質勝訴」ですか?結局、判決の部分を繋ぎ合わせて「虚偽とも真実とも判断できない」などと作って詭弁を労しているにすぎません。
では、仮に「虚偽とも真実とも判断できない」としましょう。それでも、被告側、そして私自身も願っている『「百人斬り」は「歴史的論争」として...歴史的事実の問題として解決すべきものである』(本多他12月1日準備書面)という主張は100%認められているのです。歴史事実の論争の判定を裁判所にもってゆくようなことはやめましょう。
>毎日新聞については、排斥期間の適用となり、これも含め、
>「百人斬り」が事実かどうか、ということは関係ない状況の判断でした。
毎日新聞は事実かどうかなど最初から争っていません。戦前の日本では賞賛され地元で大歓迎を受けたことを、戦後何十年も経ってから、あれは「虚偽」です、ほら話しでした、その記事は名誉毀損ですと言って通用するでしょうか。
時効や除斥期間20年によって、我々はそういう無茶な要求から法的に守られています。
えーっとですね、判決文は順を追って説明しているのであり、「百人斬りが明確に虚偽だと認められれば、問題となるようなこと」などとは言っていません。棄却された訴訟の判決文要旨から拡大解釈しないようにしてください。
・M.Nの件ですが、これは「原告ら」の特定ができるか、「原告ら」に対する名誉毀損がなりたつかどうかという部分で主張されたものです。(本多他2003年12月1日準備書面)
これについて、裁判所は M,Nと書いても誰のことか特定できるとしながらも、被告は「原告ら」の経歴、行状などには言及していないから「この点に関する原告らの主張も、採用することができない」(p.108)と原告側の主張が退けられています。
掲示板などに投稿された内容が事実であるとすれば、高池弁護士は匿名の件について何か勘違いされているようです。
ところで、これは視点を変えると、もはやM,Nなどと匿名にして気兼ねをする必要がないということになるので、原告の利益にはなりません。
・捕虜の殺害が「両少尉の社会的評価を低下させる重大な事実」であることは確かでしょう。戦争中とはいえ違法なことだからこそ、捕虜の据えもの斬りが歴史の問題となっているわけです。
>しかし、虚偽とも真実とも判断できない、ということで、原告側(遺族側)の実質勝訴という状況に救われたとも言えます。
・「虚偽とも真実とも判断できない」などとは判決はいっていません。「その歴史的事実の評価は、未だ、さだまっていない状況」にあり、死者の名誉毀損の判断基準である、摘示事実が「一見して明白に虚偽である」ことは「認めるに足りない」と言っているのです。要するに、議論がある歴史事実について論考を発表しても、「一見して明白に虚偽」でなければ違法ではないとしています。これは、城山三郎『落日燃ゆ』の、1、2審判決と基本的には同じ内容であり、本多勝一の論考に違法性がないことは明確に示されています。原告の完全敗訴です。
どこが「実質勝訴」ですか?結局、判決の部分を繋ぎ合わせて「虚偽とも真実とも判断できない」などと作って詭弁を労しているにすぎません。
では、仮に「虚偽とも真実とも判断できない」としましょう。それでも、被告側、そして私自身も願っている『「百人斬り」は「歴史的論争」として...歴史的事実の問題として解決すべきものである』(本多他12月1日準備書面)という主張は100%認められているのです。歴史事実の論争の判定を裁判所にもってゆくようなことはやめましょう。
>毎日新聞については、排斥期間の適用となり、これも含め、
>「百人斬り」が事実かどうか、ということは関係ない状況の判断でした。
毎日新聞は事実かどうかなど最初から争っていません。戦前の日本では賞賛され地元で大歓迎を受けたことを、戦後何十年も経ってから、あれは「虚偽」です、ほら話しでした、その記事は名誉毀損ですと言って通用するでしょうか。
時効や除斥期間20年によって、我々はそういう無茶な要求から法的に守られています。
これは メッセージ 9883 (toitatoi さん)への返信です.