続き
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/08/04 21:44 投稿番号: [9520 / 29399]
そもそも当時の天皇が懸念していたことは「国体護持」(天皇制の存続)と自分の地位だったようです。1945年7月31日、昭和天皇は木戸幸一に次のように語っています。
「先日、内大臣の話した伊勢神宮のことは誠に重大なことと思ひ、種々考へて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。而しこれを何時御移しするかは人心に与ふる影響をも考へ、余程慎重を要すると思ふ。
自分の考へでは度々御移しするのも如何かと思ふ故、信州の方へ御移することの心組で考へてはどうかと思ふ。
此辺、宮内大臣と篤と相談し、政府とも交渉して決定して貰ひたい。万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」(「木戸幸一日記」より)
天皇にとっては国民の生命よりも
【三種の神器の方が】余程愛しかったことでしょう。
(P-215)読み物コラム 東京裁判について考える
「GHQは占領直後から新聞、雑誌、ラジオ、映画の全てにわたって言論に対する厳しい検閲を行った。
また、日本の戦争がいかに不当なものであったかを、マスメディアを通じて宣伝した。
こうした宣伝は、日本の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい、戦後の日本人の歴史に対する見方に影響を与えた」
この「教科書」の執筆陣の日頃の主張そのままです。
「日本の戦争が不当であった」ことも認めず、「自国の戦争に対する罪悪感」もどこ吹く風の方々がこのように喚きたくなるのも無理はないでしょうが、・・
(P-219)経済復興と日米安保条約改定
(岸信介は「日米安保条約の改定をめざし、1960年1月、新条約を調印した、これにより日米両国はより対等な関係に近づいた」
・・・
聞くところによると執筆者の一人である岡崎久彦氏は、「今回の歴史教科書からは反米色を一掃した」と述べていたそうです。
骨の髄までアメリカの奴隷である彼ら執筆陣にとっては、安保反対運動など「大衆騒動」に過ぎず、樺美智子さんが警官に撲殺された事件も記述に値しないのでしょう。
(P-223)
昭和天皇の死去に伴う弔問客が集合している写真をわざわざ掲載していますが、ついでにあのときの「自粛」騒ぎの異様さについても言及していただきたいものです(笑)
(P-225)人物コラム 昭和天皇
1945年9月27日、天皇がマッカーサーとの会見に於いて「私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした」と語り、マッカーサーが「私は大きい感動にゆすぶられた」という伝聞を取り上げていますが、
・・
●また、第一回会見(昭和天皇が「自分が責任をとる」と発言した、とされる)の通訳を努めた奥村勝蔵氏の記録には、その発言は存在しません。
★どら・・この教科書の検定経過を見ると
【日本の加害を隠し、被害を誇張、異常な共産党敵視が露呈・・笑。】
これでは【先の政府見解・近隣諸国条項】とも相容れない内容だと思うけど、
今の【小泉政権】の極右ぶりが良くわかる右翼【検定】ですね。
検定経過↓
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/05051801/16-35.htm
「先日、内大臣の話した伊勢神宮のことは誠に重大なことと思ひ、種々考へて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。而しこれを何時御移しするかは人心に与ふる影響をも考へ、余程慎重を要すると思ふ。
自分の考へでは度々御移しするのも如何かと思ふ故、信州の方へ御移することの心組で考へてはどうかと思ふ。
此辺、宮内大臣と篤と相談し、政府とも交渉して決定して貰ひたい。万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」(「木戸幸一日記」より)
天皇にとっては国民の生命よりも
【三種の神器の方が】余程愛しかったことでしょう。
(P-215)読み物コラム 東京裁判について考える
「GHQは占領直後から新聞、雑誌、ラジオ、映画の全てにわたって言論に対する厳しい検閲を行った。
また、日本の戦争がいかに不当なものであったかを、マスメディアを通じて宣伝した。
こうした宣伝は、日本の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい、戦後の日本人の歴史に対する見方に影響を与えた」
この「教科書」の執筆陣の日頃の主張そのままです。
「日本の戦争が不当であった」ことも認めず、「自国の戦争に対する罪悪感」もどこ吹く風の方々がこのように喚きたくなるのも無理はないでしょうが、・・
(P-219)経済復興と日米安保条約改定
(岸信介は「日米安保条約の改定をめざし、1960年1月、新条約を調印した、これにより日米両国はより対等な関係に近づいた」
・・・
聞くところによると執筆者の一人である岡崎久彦氏は、「今回の歴史教科書からは反米色を一掃した」と述べていたそうです。
骨の髄までアメリカの奴隷である彼ら執筆陣にとっては、安保反対運動など「大衆騒動」に過ぎず、樺美智子さんが警官に撲殺された事件も記述に値しないのでしょう。
(P-223)
昭和天皇の死去に伴う弔問客が集合している写真をわざわざ掲載していますが、ついでにあのときの「自粛」騒ぎの異様さについても言及していただきたいものです(笑)
(P-225)人物コラム 昭和天皇
1945年9月27日、天皇がマッカーサーとの会見に於いて「私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした」と語り、マッカーサーが「私は大きい感動にゆすぶられた」という伝聞を取り上げていますが、
・・
●また、第一回会見(昭和天皇が「自分が責任をとる」と発言した、とされる)の通訳を努めた奥村勝蔵氏の記録には、その発言は存在しません。
★どら・・この教科書の検定経過を見ると
【日本の加害を隠し、被害を誇張、異常な共産党敵視が露呈・・笑。】
これでは【先の政府見解・近隣諸国条項】とも相容れない内容だと思うけど、
今の【小泉政権】の極右ぶりが良くわかる右翼【検定】ですね。
検定経過↓
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/05051801/16-35.htm
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.