>教えてよ。
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/08/04 21:33 投稿番号: [9519 / 29399]
>>日本政府の見解・・・侵略や植民地への謝罪・・・とはだいぶ違いますが、
>具体的にはどこが違うの?まず、教えてね。
まず日本の教科書検定にはこのような経過で【近隣諸国条項】がある。
これに違反していると思われる
↓
★二、 このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、
今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。
我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。
三、 【このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する。】
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/miyazawa.html
★政府の謝罪
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、
【植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします】
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
★この教科書への批判・・・
続いて・・・P-206〜207はまともに読み気も起こりません。
「アジアに広がる独立への希望」と題して、「日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドに独立への夢と勇気を育んだ」「東南アジアのおける日本の破竹の進撃は現地の人々の協力があってこそ可能だった」などと
【侵略戦争を賛美する言葉が並び、】
・・
また、「日本を解放軍として迎えたインドネシアの人々」と題して、インドネシア占領統治が善行であったかのように述べていますが、・・
(どら・・住民虐殺等皇軍の大罪への記述は少ないようです。南京大虐殺もただの南京事件)
(P-211)欄外「聖断の後の昭和天皇の発言」
昭和天皇は「聖断」の後に、
「・・・一人でも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来再び立ち上がってもらう以外に、この日本に子孫を伝える方法はないと思う。みなの者は、この場合、私のことを心配してくれると思うが、私はどうなっても構わない」と述べたと書かれています。
しかし、1945年2月に重臣ら7名が天皇に戦局の見通しを述べた時、その中の一人の近衛文麿が、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存じ候」と述べ戦争終結を提言したところ、
天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」と反対したそうです。
【その後3月に東京大空襲、4月からに凄惨な沖縄戦、8月には広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦・・・と、多くの国民が犠牲になったことは言わずもがなです。】
>具体的にはどこが違うの?まず、教えてね。
まず日本の教科書検定にはこのような経過で【近隣諸国条項】がある。
これに違反していると思われる
↓
★二、 このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、
今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。
我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。
三、 【このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する。】
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/miyazawa.html
★政府の謝罪
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、
【植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします】
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
★この教科書への批判・・・
続いて・・・P-206〜207はまともに読み気も起こりません。
「アジアに広がる独立への希望」と題して、「日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドに独立への夢と勇気を育んだ」「東南アジアのおける日本の破竹の進撃は現地の人々の協力があってこそ可能だった」などと
【侵略戦争を賛美する言葉が並び、】
・・
また、「日本を解放軍として迎えたインドネシアの人々」と題して、インドネシア占領統治が善行であったかのように述べていますが、・・
(どら・・住民虐殺等皇軍の大罪への記述は少ないようです。南京大虐殺もただの南京事件)
(P-211)欄外「聖断の後の昭和天皇の発言」
昭和天皇は「聖断」の後に、
「・・・一人でも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来再び立ち上がってもらう以外に、この日本に子孫を伝える方法はないと思う。みなの者は、この場合、私のことを心配してくれると思うが、私はどうなっても構わない」と述べたと書かれています。
しかし、1945年2月に重臣ら7名が天皇に戦局の見通しを述べた時、その中の一人の近衛文麿が、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存じ候」と述べ戦争終結を提言したところ、
天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」と反対したそうです。
【その後3月に東京大空襲、4月からに凄惨な沖縄戦、8月には広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦・・・と、多くの国民が犠牲になったことは言わずもがなです。】
これは メッセージ 9516 (yousunwai さん)への返信です.