南京事件の真実とは何か(3−1)
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/05/24 22:45 投稿番号: [8770 / 29399]
南京事件の真実とは何か(3−1)
アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』への反論
■中 村 粲
■東 中 野 修 道
■小 山 和 伸
●はじめに
平成10年6月12日、東京・有楽町の外国人記者クラブにおいて、中国系アメリカ人ジャーナリストであるアイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』(ベーシック・ブックス社刊、邦訳は柏書房)への反論の記者会見が行われた。 チャン氏は、いわゆる「南京大虐殺」を扱った著書の中で「昭和12年12月から翌年1月、日本軍が南京を攻略・占領した際に30万人もの人々を殺害した」と記述している。そこで、南京問題についての我が国の専門家数名が、チャン氏は疑わしい史料に基づいて南京事件を描いており、その著書は信用できないと批判したのである。 これは、その記者会見の席で配布されたレジュメを、著者の了解を得て掲載したものである。
日本会議国際広報委員会
私は南京事件をかう観る
―実際に何が起き、何が起きなかつたのか
中村 粲 獨協大学教授(日本近代史専攻) 昭和史研究所代表
私は常理常識に基いて話したい。誇張したり一面に偏つたりせず、あつたことはあつたとして認める立場を取る。
A.支那側の責任に帰すべき問題
これは南京事件の背景と第一次責任に関する項目である。
1.中国側は我軍の降伏勧告を無視した。
2.馬超俊、蒋介石、唐生智をはじめとする行政・軍事の指導者は日本軍の到着を待たず、多数の兵士と市民を遺棄した儘、南京から脱出した。
3.中国側は全ての城門を閉鎖したため、日本軍に追撃されて退却してきた中国兵は城内に入れず、また城内20万人の市民も閉じ込められてしまつた。全城門を閉鎖するやうなことをしなければ、それらの市民は陥落以前に城外へ脱出出来たかも知れなかつたのである。
4.多くの中国兵は、お決りのやり方に従つて、軍服を便衣(平服)に着換へ、市民を装つて国際安全区(難民区)の中に潜伏した。このため、後日、日本軍によつて軍人と間違へられる市民が出ることになつた。 便衣兵が居なかつたならば、南京事件は発生しなかつたであらう。その証拠には、南京陥落後数カ月前に我軍が北平(北京)・天津を占領した際、何の事件も発生しなかつた。それは、中国軍将兵は全て平津を脱出して南下したからである。そこで我軍は残つた市民を国際法に従つて保護したのであつた。もし日本軍が元来野蛮な軍隊であるならば、何故北平や天津でも同様な虐殺事件が発生しなかつたのであろうか。
5.日本軍到着の前に、中国軍自身が放火、掠奪、強姦、殺戮などの暴虐を開始してゐた。これは敗走する中国軍のお決りのやり方である。このことは、南京駐留の米国副領事エスピーの報告にもあり、また南京防衛軍軍医蒋公穀の手記にも明記されてゐる。また南京に向ふ日本軍は、夜間、南京城内に上る火炎を目標にして進んだと云はれてもゐる。
B.南京事件の真実を知るために考慮すべき問題
1.日本軍に降伏したり、捕へられた中国軍の敗残兵は、状況によつて釈放された者も居り、処断された者も居た。
2.次のような場合もあつた。日本軍が釈放しようとした大量の中国軍捕虜が、猜疑心からパニックに陥り、叛乱したために日本軍警備兵との間に戦闘が起り、捕虜のうち約1千人が射殺されたと云はれてゐる。この事件では数名の日本軍将校と兵隊も殺された。
3.日本軍は市民と、市民に変装した便衣の中国兵を識別するのが困難なため、便衣兵と間違へて市民を殺害した不幸な場合もあつた。4.我軍の中にも軍紀軍律を犯す質の悪い兵隊も居たであらう。彼等が暴行、強姦、掠奪などをやつたであらうことを私は否認するものではない。だが同様な軍紀軍律の違反は連合軍にもあつたことだ。強調すべきは、一部兵隊による不法行為や暴虐は日本政府や日本軍の意図や方針とは全く関係がないと云ふことだ。
アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』への反論
■中 村 粲
■東 中 野 修 道
■小 山 和 伸
●はじめに
平成10年6月12日、東京・有楽町の外国人記者クラブにおいて、中国系アメリカ人ジャーナリストであるアイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』(ベーシック・ブックス社刊、邦訳は柏書房)への反論の記者会見が行われた。 チャン氏は、いわゆる「南京大虐殺」を扱った著書の中で「昭和12年12月から翌年1月、日本軍が南京を攻略・占領した際に30万人もの人々を殺害した」と記述している。そこで、南京問題についての我が国の専門家数名が、チャン氏は疑わしい史料に基づいて南京事件を描いており、その著書は信用できないと批判したのである。 これは、その記者会見の席で配布されたレジュメを、著者の了解を得て掲載したものである。
日本会議国際広報委員会
私は南京事件をかう観る
―実際に何が起き、何が起きなかつたのか
中村 粲 獨協大学教授(日本近代史専攻) 昭和史研究所代表
私は常理常識に基いて話したい。誇張したり一面に偏つたりせず、あつたことはあつたとして認める立場を取る。
A.支那側の責任に帰すべき問題
これは南京事件の背景と第一次責任に関する項目である。
1.中国側は我軍の降伏勧告を無視した。
2.馬超俊、蒋介石、唐生智をはじめとする行政・軍事の指導者は日本軍の到着を待たず、多数の兵士と市民を遺棄した儘、南京から脱出した。
3.中国側は全ての城門を閉鎖したため、日本軍に追撃されて退却してきた中国兵は城内に入れず、また城内20万人の市民も閉じ込められてしまつた。全城門を閉鎖するやうなことをしなければ、それらの市民は陥落以前に城外へ脱出出来たかも知れなかつたのである。
4.多くの中国兵は、お決りのやり方に従つて、軍服を便衣(平服)に着換へ、市民を装つて国際安全区(難民区)の中に潜伏した。このため、後日、日本軍によつて軍人と間違へられる市民が出ることになつた。 便衣兵が居なかつたならば、南京事件は発生しなかつたであらう。その証拠には、南京陥落後数カ月前に我軍が北平(北京)・天津を占領した際、何の事件も発生しなかつた。それは、中国軍将兵は全て平津を脱出して南下したからである。そこで我軍は残つた市民を国際法に従つて保護したのであつた。もし日本軍が元来野蛮な軍隊であるならば、何故北平や天津でも同様な虐殺事件が発生しなかつたのであろうか。
5.日本軍到着の前に、中国軍自身が放火、掠奪、強姦、殺戮などの暴虐を開始してゐた。これは敗走する中国軍のお決りのやり方である。このことは、南京駐留の米国副領事エスピーの報告にもあり、また南京防衛軍軍医蒋公穀の手記にも明記されてゐる。また南京に向ふ日本軍は、夜間、南京城内に上る火炎を目標にして進んだと云はれてもゐる。
B.南京事件の真実を知るために考慮すべき問題
1.日本軍に降伏したり、捕へられた中国軍の敗残兵は、状況によつて釈放された者も居り、処断された者も居た。
2.次のような場合もあつた。日本軍が釈放しようとした大量の中国軍捕虜が、猜疑心からパニックに陥り、叛乱したために日本軍警備兵との間に戦闘が起り、捕虜のうち約1千人が射殺されたと云はれてゐる。この事件では数名の日本軍将校と兵隊も殺された。
3.日本軍は市民と、市民に変装した便衣の中国兵を識別するのが困難なため、便衣兵と間違へて市民を殺害した不幸な場合もあつた。4.我軍の中にも軍紀軍律を犯す質の悪い兵隊も居たであらう。彼等が暴行、強姦、掠奪などをやつたであらうことを私は否認するものではない。だが同様な軍紀軍律の違反は連合軍にもあつたことだ。強調すべきは、一部兵隊による不法行為や暴虐は日本政府や日本軍の意図や方針とは全く関係がないと云ふことだ。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.