お粗末 その6
投稿者: kakuyasu_koukuuken 投稿日時: 2005/04/30 03:19 投稿番号: [7856 / 29399]
>否定派のウソ
9
「遺体埋葬記録は信用できない。たくさんの人は死んでいない」
「事実」
紅卍会という宗教団体が埋葬した記録をつくっているが、1937年12月から翌年3月にかけて南京市内で4万体以上の死体を埋葬した記録がある。(正確には40371体)この記録は他のいくつかの記録とも符号していて、信憑性の高いものである。また崇善堂という慈善団体も埋葬の行動をしており、これは11万2266体と記録している。その大半は1938年4月に南京城外で10万5千体を埋葬したとなっている。その時期までに城内の死体埋葬はほぼ終了していた。崇善堂は数千の死体埋葬をすませていた。4月になると気温も上昇し、死体の腐敗もすすむという状況になったので、それまで死体に軽く土をかけただけのものなどが城外に放置されていた。
これ以外に日本軍が揚子江に流してしまった遺体などは記録されていないのだから、実態は当然もっと多いことになる。
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・数千の死体が腐敗したらどうなるか分かっているのか?
悪臭、衛生の著しい悪化等でその近所にはしばらく人が住める状態ではなくなる。
それが何万にものぼったら・・・・。
だから肯定派は「燃やした」「爆撃で燃えた」などというが水だらけの人間は簡単には燃えてくれません。
これは簡単に論破されていることだから割愛するが、死体処理に関しては「南京大虐殺などなかったとはっきり言える証拠」とされている。
何千もの死体を川に流したとて腐敗のもの凄さは同じことである。
矛盾だらけである。
>否定派のウソ
10
「とらえた捕虜が暴動をおこしたので、仕方なく発砲した」
「事実」
1937年12月13日の戦闘で1万8千人の中国兵が無抵抗で捕虜となった。16日に捕虜収容所内でボヤが発生したが、捕虜の逃亡も銃撃もなかった。この夜、軍命令で揚子江岸の魚雷営で2千人から3千人が試験的に虐殺され、死体はその夜のうちに揚子江に流された。残りの捕虜を翌17日に上元門から約2キロ下流の大湾子で虐殺した。この日の虐殺は大量だったため、薄暗くなるころからはじまった虐殺が18日の明け方まで続いた。そして、死体処理には18・19日の2日間かかった。大量の死体は揚子江に流された。[3]
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・これも「事実である根拠」が一切書かれていない。
「物語」のレベルであれば「真実」と見なすことは無理であろう。
これは メッセージ 7855 (kakuyasu_koukuuken さん)への返信です.
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