関東大震災時の朝鮮人虐殺数?
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/04/29 22:29 投稿番号: [7842 / 29399]
戒厳令司令部詳報に残る記録では
9月3日午後3時ころ、野戦重砲第一連隊第二中隊の岩波少尉以下69名、騎兵14連隊三浦孝三少尉以下11名、は群集と警官四、五十名が「約二百名の鮮人団を連れて来て、その始末を協議中」のところへ行き合わせ、全員を殺害した。
なお、備考欄には「本鮮人団、シナ労働者なりとの説あるも、軍隊側は鮮人と確信し足るものなり」とわざわざ注釈を入れている。
岩崎留次郎氏は「20~30人づつ連れてこられて、幾重にも取り囲まれて、逃げられるような状態ではなかった、無残なことだったよ」と語っている。
事件の始末記(警視庁管轄内事件のみ)
警視庁は事件の翌日、事件の概要(中国人および朝鮮人を三百名ないし四百名を3回にわたり銃殺、撲殺した)を把握し、野戦重砲第三旅団長および戒厳司令部参謀長に死体処理と中国人保護方を要請している。
加害者を軍隊、自警団と明記し、警察官を入れていない。
警視庁広瀬外事課長談
「目下東京地方にあるシナ人は約四千五百名にして内二千名は労働者なるところ、9月3日大島町7丁目に於いて、鮮人放火嫌疑に関連してシナ人および朝鮮人三百名ないし四百名を3回に亘り銃殺、または撲殺せられたり。
第一回は同日朝、軍隊に於いて青年団より引渡しを受けたる2名のシナ人を銃殺し、
第二回目は午後一時ころ、軍隊および自警団(青年団、在郷軍人団など)に於いて約二百名を銃殺又は撲殺。
第三回目は午後4時ころ、約百名を同様殺害せり。
右、支、鮮人の死体は4日まで何ら処理されず、警視庁に於いては野戦重砲兵第3旅団長金子直少将および戒厳司令部参謀長に対し、右死体処理方をおよび同地残余の二百名および至三百名のシナ人保護方を要請し、とりあえず鴻之台(国府台)兵営において集団的保護をなす手筈となりたり。
警視庁から連絡を受けた戒厳司令部は即刻森五六参謀を現場に走らせた。
「江東地区で中国人土工約二百名が日本人飯場土工により虐殺されたのを現場検証した」
と1962年11月21日京大人文科学研究所で話され松尾尊充「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(「思想」1963年9月号)に記録されている。
死体の焼却
検屍後も放置され、5日夜半から7日までかかって焼却された。
大島の田中某が人夫たちを使役して警察の指揮の下に行われた。
(木戸四郎氏談)
まだ、書こうか?(笑)
これでも、まだ一部地域の事だよ。
これは メッセージ 7838 (exorcist_lll さん)への返信です.
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