南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

投稿者: meronnmannjyu 投稿日時: 2005/04/03 12:12 投稿番号: [7462 / 29399]
南京大虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)は、日中戦争(当時は支那事変と呼んだ)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都 南京市を占領した際、約2ヶ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。

中国では南京大屠殺と呼び、欧米ではNanking AtrocitiesあるいはRape of Nankingと呼ぶ。日本では単に南京虐殺、南京事件とも呼ばれる。南京事件という呼び方は、不法殺害の他に暴行・略奪・放火も含めて事件全体を論じる場合によく使われる。

事件の背景として、南京の前にも、日本軍は移動中に上海、蘇州、無錫、嘉興、杭州、紹興、常州のような場所でも捕虜や市民への虐殺・略奪を続けていたとされ、日本軍兵士・将校の従軍日記や回想録から、進軍中にそれらが常態化していたのではないかと疑われている。

この戦争犯罪としての責任を問われ、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)では、事件当時に中支那方面軍司令官であった陸軍大将 松井石根が起訴され死刑となった。 南京で開かれた戦犯裁判軍事法廷では、第六師団長の陸軍中将 谷寿夫が起訴され死刑となった。 松井は自ら抗弁しなかったが、谷は申弁書の中で虐殺は中島部隊(第十六師団)で起きたものであり自分の第六師団は無関係と申し立てている。

目次 [表示非表示]
1 事件の概要

2 南京陥落までの状況

2.1 日本側
2.2 中国(中華民国)側


3 中支那方面軍の編成

4 南京大虐殺を描いた作品

5 関連項目

6 外部リンク



事件の概要
日本軍は1937年12月13日の南京陥落の翌日から約6週間にわたり、南京城の城内・城外の掃討を行った。城内は主に第十六師団(師団長:中島今朝吾)が掃討を行った。 その際に南京市民や中華民国軍捕虜の相当数を不法に殺害し、また同時に非武装の兵士や市民に対する殺戮だけでなく、掠奪や放火、強姦が多発したと言われる。

当時の中国政府が、この事件を公式に非難したという記録は無いと言われていたが、中国が国際連盟で上海事変以降の日本軍の暴行を訴えていた記録が発見された。

この事件は主に軍人や外国の情報に触れる事の多かった外交官の間で伝わっており(前者の代表的な例としては陸軍中将 岡村寧次関係の記録が、後者の代表的な例としては外務省欧亜局長 石井猪太郎の日記が、夫々挙げられる)、日本の民衆の間でも流言蜚語として広まっていた(流言の伝わるルートとしては軍人が戦地から内地に宛てた手紙が挙げられる)。また、日本の外へ目を向けてみると、欧米では『シカゴ・デイリーニューズ』や『ニューヨークタイムズ』、中国では『大公報』などのマスコミによって“The Rape of Nanking”、“Nanking Atrocities”として報道されていた。

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