伊藤博文の暗殺について、、!
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/02/14 06:46 投稿番号: [7244 / 29399]
>ところで、伊藤博文は日露戦争後の関係調整のために満州に来て、ロシアの大蔵大臣に頼まれてロシア兵の閲兵(えっぺい)した直後に安重根に暗殺されました。
>安重根は、ロシア兵の間から突然現れて至近距離で発砲し、ロシア兵に一旦どこかに連行されてから日本側に引き渡されています。
1910年2月14日のこと。
伊藤は四十二年十月十六日満州開発の可能性視察の為、大磯の自宅を出て下関に向い、鉄嶺丸で大連に向った。
同月二十五日、北上し、ロシア蔵相ココウツォフと東清鉄道等に関し協議する為、二十六日午前九時ハルピン駅に着き出迎えたココウツォフと車内で二十分間懇談した後、プラットホームに降り、川上領事の先導で、露清両国軍隊、各国外交団、露清文武大官、日本人歓迎団体が整列している中を進み、用意された馬車の方に進もうとしたところ突然とび出して来た男の為に狙撃され、腹部に三発の弾丸をうけて中村(是公)満鉄総裁の腕の中に倒れかかった。
直ちに車内にかつぎこんで手当をしたが、間もなく意識不明となり午前十時死亡した。
犯人は安重根という朝鮮人の独立党員で彼は旅順の日本法廷で裁判にかけられ次の十五ヶ条を伊藤博文暗殺の理由としてあげ、翌四十三年三月二十六日、同地で死刑に処せられた。
一、朝鮮王妃の殺害、
二、韓国保護条約五ヶ条、
三、日韓新協約七ヶ条、
四、韓国皇帝の廃立、
五、陸軍の解散、
六、良民殺戮、
七、利権剥奪、
八、教科書廃棄、
九、新聞購読禁止、
十、銀行券の発行、
十一、三百万円国債の募集、
十二、東洋平和の攪乱、
十三、保護政策の名実伴わざること、
十四、日本先帝孝明天皇を殺害したること、
十五、日本及び世界を瞞着したること。
いずれも日本の植民地主義者にとって耳の痛いことであるが、孝明天皇(慶応二年十二月二十五日没)の死まで伊藤の責任とするのはいかがなものであろうか。
となっておりやすよ!
これは メッセージ 7243 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
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