南京周辺で激戦があったのは確かでしょう
投稿者: penguin_attack7 投稿日時: 2004/08/27 15:45 投稿番号: [5951 / 29399]
私が山砲小隊長として配属された歩兵第45連隊左側支隊(総兵力250)は、昭和12年12月12日夜から江東門より約1キロ北西のすでに廃墟となった新河鎮部落に待機していました。13日朝6時ごろ、敵の斥候の信号弾とともに南京城内から脱出してきた中国兵約2万の総攻撃を受けました。
そばには揚子江が流れており、まわりは湿地帯で、歩くとひざまでつかるような所でした。そこに突撃してきた中国兵の死体や負傷者が横たわり、湿地帯は枕木を敷いたようになりました。その死体を乗り越えてくる敵がまた倒れるということで、死体は重なり合い、最後にはその上を走って通れるくらいまでなりました。
督戦隊は「督戦」という腕章をつけ、大型けん銃を構え、約4歩間隔で横に並んで中国兵の後ろにいました。中国兵の突撃部隊を日本軍の方向へと押し出すのが彼らの任務で、後ろへ逃げ出そうとする中国兵はようしゃなく撃ち殺されていました。
当時の日本兵の証言です。かなり冷静で正確に記載されています。戦闘による多数の死者(主に中国側)があったのは間違えなさそうです。一般市民は脱出、あるいは安全区にいたようで、巻き込まれた市民はそれほどいなかったようです。
http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html#13
これは メッセージ 5950 (st300gakitahi さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/5951.html