南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

南京事件に至るまで〜12(武藤章)

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/13 16:12 投稿番号: [5881 / 29399]
南京事件に至るまで〜12(武藤章 )

上海攻略戦は、武藤章や拡大派が楽観的に考えていた様に、強力な一撃を加えれば中国は簡単に屈服し、日本の要求を国民政府に呑ませて、事変は一気に解決出来るなどというものではなかった。

蒋介石は第一次上海事変( 32年)が上海や華中に多くの利権を持つ英国、米国など列強の圧力で停戦協定が結ばれたように、
今回の第二次上海事変においても、英国、米国の干渉を誘い出して停戦にこぎつける事、あるいは国際連盟加盟国に九カ国条約加盟国による対日軍事・経済制裁を引き出すことを期待して、上海防衛戦に最大勢力を結集した。

しかも、蒋介石は国民政府の精鋭部隊の殆どを投入し、ドイツから派遣された軍事顧問(団長フォウルゲンハウゼン) がドイツ製武器で武装し、ドイツ陸軍式に訓練された精鋭部隊に市街戦、陣地戦の高等技術を直接指導した、上海市民の支援も受けて、中国軍将兵の抗戦士気は高かったのである。(笠原「南京防衛戦と中国軍」)

応急的に動員されて上海戦に投入された日本上海派遣軍は中国軍の激しい抵抗を受け、戦果を拡大することが出来ないまま、戦闘は長期化していった。

わずか三ヶ月間の戦いで戦傷者三万人を数えたとある。

上海戦の苦戦は中国軍の抗戦力を軽視した結果であり、拡大派の一撃論が誤っていた事を露呈したものである。

が、日本軍部、国民、政府には中国を「侮日」「暴涙なる支那」と見て、よりいっそうの一撃を与え、中国を屈伏させよという強硬論が大勢を占めるようになり、不拡大派は軍部の内外において孤立していった。

戦後、天皇は「二個師団の兵力では上海は悲惨な目に遭うと思ったので、私はさかんに兵力の増加を督促したが、石原はやはりソ連を恐れて、満足な兵力を送らぬ」と語っている
(「昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記」)
武藤章作戦課長らは石原の反対を押し切って、九月七日、台湾軍から応急動員部隊の上海派遣と華北からの後備歩兵10大隊の上海への転用、九月十一日、第九.第十三・第百一師団及び有力砲兵部隊の上海派遣を断行することを参謀本部に決定させた。

上海戦への兵力増強には天皇の意思と指導も強く働いていた。(藤原「南京の日本軍」)

不拡大を主張していた石原完爾は参謀本部の作戦の重点が華北から上海攻略戦に移行するに従い、関東軍参謀副長に更迭された。

南京事件に至るまで〜13(武藤章 )に続く
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)