東京裁判における南京虐殺事件調書2
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/07/25 19:58 投稿番号: [5585 / 29399]
ハイダー
報告された事件は1937年11月に起きたモノですか?
武藤 いや、11月ではない。南京入城後に初めて起きたのです。
ハイダー そうすると、大体何日頃の事ですか?
武藤 12月12日から14日頃の間に入城したので、そうした事件が起き始めたのはこのころだったと思います。
****
虐殺事件について日本軍の高級将校のうち誰が知っているのか、又、責任者を処罰するに何が行われたかを尋問した。
武藤は南京に入城した2つの軍の内一つ(上海派遣軍)は「朝香宮」が指揮していたこと、南京に関して軍法会議が少なくとも1回開かれたのを記憶していることを明らかにした。
又、尋問官に日本軍の犯罪行為は何千件にも及んだのではないかとの追求に「報告されているのは10件ないし20件だけだ」と繰り返し主張した。
南京での残虐行為で軍法会議にかけられた日本兵の数については、武藤は「思い出せない」と答え、尋問官が「思い出せないというのは、貴方が虐殺事件など少しも重視していなかったからではないか?」と切り返し、
米人が「南京大虐殺」を告発する本を出したことについて「職業軍人として、自軍の行動行為を糾弾する本が書かれ、そうした出来事が記録されたことを恥じと思わないか?」との問いに
武藤は「日本の軍隊にとって恥だと 感じた」と答えるのが精一杯であった。
尋問官= マニラの虐殺事件が起きたときも、貴方は山下大将の参謀長として現地にいた。
これは偶然の一致でしょうか?
武藤= 南京の婆合いは2.3個大隊が市内に入る予定だったのに、軍全体が壁の内側に入って、南京の事件を生んだ。マニラの方は山下大将は市内での戦闘を避けたいと考えたのだが、海軍の一部や陸軍でも山下大将の指揮下にない部隊が市内に留まった。そこで米軍がマニラ市内を攻撃する仕儀となったわけです。
尋問官= マニラ市内で戦闘が起きたことは あなた方の兵隊によるマニラの女性への婦女暴行事件を正当化するものですか?
武藤= そうした行為は正当化できません。
尋問官= マニラ市内で戦闘が起きたことはあなた方の兵隊が、女性や幼児を含む何千という人をガソリンで焼いたり機関銃で撃ったりして、殺したという事実を正当化するものですか?
武藤= そうしたことは、全く正当化できません。
尋問官= 日本軍や日本政府が行っている教育に照らして、これらの部隊の行動を説明すると、どういう事になるのですか?
武藤= 貴方が そんな質問をするのは遺憾である。子供や一般市民を撃ち殺せと指示するような軍隊、政府がどこにもあるものか。
尋問官= 中国、フィッリッピンで、それほど多くの罪のない女性や子供たちが殺されたり、乱暴されたりしたことを知って、貴方は良心の呵責を感じなかったのですか?
武藤= 南京、マニラの残虐行為の後で、両事件発生の際に現地派遣軍の参謀部に居た者として、私は日本軍の教育に何か欠けているものがある、、と感じました。
尋問官= 貴方の考えでは、何が欠けているのですか?
武藤= 南京やマニラで残虐行為を犯した部隊は、大急ぎで動員された兵士達です。チャンとした軍事教育、訓練が行われていませんでした。
***
武藤は南京事件の後 将校同士の会話では「日清、日露戦争では、日本軍はそうした残虐行為を行わなかったのに、1910年のシベリア出兵の頃から目立ち始めた。
つまり、日本人の質と性格が,徐徐に悪化している証拠だ」などと話あっていたことを明らかにし、軍規、軍律の乱れという傾向を逆転させる為の方法、なり行動をとらなかったことについて、自分の責任は無いと繰り返し、
彼はあくまで参謀であり、将兵の行動に影響を及ぼすのは司令官のみであると主張 強調した。
12月22日 絞首刑
武藤 いや、11月ではない。南京入城後に初めて起きたのです。
ハイダー そうすると、大体何日頃の事ですか?
武藤 12月12日から14日頃の間に入城したので、そうした事件が起き始めたのはこのころだったと思います。
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虐殺事件について日本軍の高級将校のうち誰が知っているのか、又、責任者を処罰するに何が行われたかを尋問した。
武藤は南京に入城した2つの軍の内一つ(上海派遣軍)は「朝香宮」が指揮していたこと、南京に関して軍法会議が少なくとも1回開かれたのを記憶していることを明らかにした。
又、尋問官に日本軍の犯罪行為は何千件にも及んだのではないかとの追求に「報告されているのは10件ないし20件だけだ」と繰り返し主張した。
南京での残虐行為で軍法会議にかけられた日本兵の数については、武藤は「思い出せない」と答え、尋問官が「思い出せないというのは、貴方が虐殺事件など少しも重視していなかったからではないか?」と切り返し、
米人が「南京大虐殺」を告発する本を出したことについて「職業軍人として、自軍の行動行為を糾弾する本が書かれ、そうした出来事が記録されたことを恥じと思わないか?」との問いに
武藤は「日本の軍隊にとって恥だと 感じた」と答えるのが精一杯であった。
尋問官= マニラの虐殺事件が起きたときも、貴方は山下大将の参謀長として現地にいた。
これは偶然の一致でしょうか?
武藤= 南京の婆合いは2.3個大隊が市内に入る予定だったのに、軍全体が壁の内側に入って、南京の事件を生んだ。マニラの方は山下大将は市内での戦闘を避けたいと考えたのだが、海軍の一部や陸軍でも山下大将の指揮下にない部隊が市内に留まった。そこで米軍がマニラ市内を攻撃する仕儀となったわけです。
尋問官= マニラ市内で戦闘が起きたことは あなた方の兵隊によるマニラの女性への婦女暴行事件を正当化するものですか?
武藤= そうした行為は正当化できません。
尋問官= マニラ市内で戦闘が起きたことはあなた方の兵隊が、女性や幼児を含む何千という人をガソリンで焼いたり機関銃で撃ったりして、殺したという事実を正当化するものですか?
武藤= そうしたことは、全く正当化できません。
尋問官= 日本軍や日本政府が行っている教育に照らして、これらの部隊の行動を説明すると、どういう事になるのですか?
武藤= 貴方が そんな質問をするのは遺憾である。子供や一般市民を撃ち殺せと指示するような軍隊、政府がどこにもあるものか。
尋問官= 中国、フィッリッピンで、それほど多くの罪のない女性や子供たちが殺されたり、乱暴されたりしたことを知って、貴方は良心の呵責を感じなかったのですか?
武藤= 南京、マニラの残虐行為の後で、両事件発生の際に現地派遣軍の参謀部に居た者として、私は日本軍の教育に何か欠けているものがある、、と感じました。
尋問官= 貴方の考えでは、何が欠けているのですか?
武藤= 南京やマニラで残虐行為を犯した部隊は、大急ぎで動員された兵士達です。チャンとした軍事教育、訓練が行われていませんでした。
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武藤は南京事件の後 将校同士の会話では「日清、日露戦争では、日本軍はそうした残虐行為を行わなかったのに、1910年のシベリア出兵の頃から目立ち始めた。
つまり、日本人の質と性格が,徐徐に悪化している証拠だ」などと話あっていたことを明らかにし、軍規、軍律の乱れという傾向を逆転させる為の方法、なり行動をとらなかったことについて、自分の責任は無いと繰り返し、
彼はあくまで参謀であり、将兵の行動に影響を及ぼすのは司令官のみであると主張 強調した。
12月22日 絞首刑
これは メッセージ 5583 (kinngyoya301 さん)への返信です.