toitatoiさん、
投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/07/22 23:54 投稿番号: [5568 / 29399]
レス遅くなりました。
一寸忙しいので。
>>★以下、『週刊金曜日』 4月23日号, p.32 の一部を引用いたします。 ----
>ご紹介の内容は承知しています。
それが何か?
【野田少尉】自身が出した手紙(新聞にはあて先の住所・氏名が記載されている)に、戦友が作った百人斬りの歌や、百人斬りの模様を自慢げに紹介していると言う事。
もし、百人斬りの事実が全く無いとしたら、【かなり入念】な大嘘を彼は友人にもついている事になりますね。
>>え?
>>いつの記事を指してるんですか?
>11/30付の最初の記事です。
>>>聞いた話を材料にして「捏造しました」が正しくない?
佐藤氏は元となった材料を聞いただけ、ですよ。
>>意味が良く分からないのですが。
>佐藤氏が聞いたのは「これからやる」。
同じことを聞いて、浅海氏が書いたのは「今、やってる最中」
だから、【これから百人斬りを達成する】・・つまり実行途中であると言う事じゃないの?
あなたの言う11月30日の記事を見ると・・・
★1937年11月30日付朝刊(第1報)
(見出し)百人斬り競争! 両少尉、早くも八十人
(本文)[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発] 常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、
まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある、
無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。
無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、
出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた
その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り
【記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。】
向井少尉 この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ
野田少尉 僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ
(本多『南京への道』p.160-162、本多『殺す側の論理』p.187-188)
★実際に【百人斬り競争】が始まっている事を、かなり彼らは具体的に証言していますね。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nichinichi.htm
一寸忙しいので。
>>★以下、『週刊金曜日』 4月23日号, p.32 の一部を引用いたします。 ----
>ご紹介の内容は承知しています。
それが何か?
【野田少尉】自身が出した手紙(新聞にはあて先の住所・氏名が記載されている)に、戦友が作った百人斬りの歌や、百人斬りの模様を自慢げに紹介していると言う事。
もし、百人斬りの事実が全く無いとしたら、【かなり入念】な大嘘を彼は友人にもついている事になりますね。
>>え?
>>いつの記事を指してるんですか?
>11/30付の最初の記事です。
>>>聞いた話を材料にして「捏造しました」が正しくない?
佐藤氏は元となった材料を聞いただけ、ですよ。
>>意味が良く分からないのですが。
>佐藤氏が聞いたのは「これからやる」。
同じことを聞いて、浅海氏が書いたのは「今、やってる最中」
だから、【これから百人斬りを達成する】・・つまり実行途中であると言う事じゃないの?
あなたの言う11月30日の記事を見ると・・・
★1937年11月30日付朝刊(第1報)
(見出し)百人斬り競争! 両少尉、早くも八十人
(本文)[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発] 常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、
まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある、
無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。
無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、
出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた
その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り
【記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。】
向井少尉 この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ
野田少尉 僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ
(本多『南京への道』p.160-162、本多『殺す側の論理』p.187-188)
★実際に【百人斬り競争】が始まっている事を、かなり彼らは具体的に証言していますね。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nichinichi.htm
これは メッセージ 5529 (toitatoi さん)への返信です.