>横から失礼・・1
投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/05/30 22:18 投稿番号: [5280 / 29399]
>部下(直属の歩兵砲小隊長と、大隊副官)がこの様な事を行なうには上官(この場合、捕虜の取扱い・管理者は大隊長)の許可が「絶対に」必要となります。
そうですか?
当時の南京において、以下のように、【捕虜殺害許可】は、必要なかったようですが。
中島今朝吾中将(第16師団長) 日記 (12月13日)
・・・
一、【大体捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片付くることとなしたる】
(れ)ども、千五千一万の群集となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失ひ、ぞろぞろついてくるから安全なるものの、之が一旦掻擾(騒擾)せば始末に困るので ・・
一、後に至りて知る処に依りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、大平門(太平門)に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三○○其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
一、此七八千人之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百に分割したる後適当のヶ処(箇処)に誘きて処理する予定なり
『南京戦史資料集』
(笠原『南京事件』p.154-155)
『増刊歴史と人物』「南京攻略戦中島台十六師団長日記」
(内田『「戦後補償」を考える』p.34)
児玉義雄氏(第十六師団歩兵第三十八連隊副官)の証言
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、
師団副官の声で、
【師団命令として『支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ』】
と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
・・・
参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが
【命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。 】
『証言による<南京戦史>(5)』
(内田『「戦後補償」を考える』p.35-36)
佐々木到一少将(第16師団 歩兵第30旅団(佐々木支隊)長) 私記 (12月13日)
その後、俘虜続々投降し来たり数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮する。多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば、兵隊ならずとも「皆やってしまえ」と言いたくなる。
白米はもはや一粒もなし、城内にはあるだろうが、
【俘虜に食わせるものの持ち合わせなんか我が軍には無い筈だった。】
「佐々木到一少将私記」
(笠原『南京事件』p.153-154)
第16師団歩兵第30旅団命令 (旅団長 佐々木到一少将、12月14日)
[各隊は担当区域を]掃蕩し支那兵を撃滅すべし。各隊は師団の指示あるまで俘虜を受けつくるを許さず
『南京戦史資料集』
(笠原『南京事件』p.154)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/horyo.htm
>ということなのですから。たしか、松井石根氏は、直接捕虜殺害や強姦などはしていなかったのではないでしょうか。
はい、実際には行っていなかったでしょう。
しかし、以下、(南京事件・・笠原十九司著)から・・
★中支那方面軍を率いて・・・これらの恐ろしい出来事が最高潮にあったときに、すなわち12月17日に、松井は同市に入場し、5日または7日の間滞在した。
・・・
この義務の遂行を怠った事について彼は犯罪的責任があると認めねばならぬ。
・・・
松井岩根だけが、南京事件の【違反行為阻止怠慢(残虐行為を阻止しようとする自己の義務に怠慢であった)】の罪、すなわち【不作為の責任】を問われて絞首刑を宣告されたこと・・・
どら・・いわゆるA級戦犯の【平和に対する罪・・侵略戦争の準備・計画・遂行など】とは、一寸違っていますが、A級戦犯として処刑されました。
そうですか?
当時の南京において、以下のように、【捕虜殺害許可】は、必要なかったようですが。
中島今朝吾中将(第16師団長) 日記 (12月13日)
・・・
一、【大体捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片付くることとなしたる】
(れ)ども、千五千一万の群集となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失ひ、ぞろぞろついてくるから安全なるものの、之が一旦掻擾(騒擾)せば始末に困るので ・・
一、後に至りて知る処に依りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、大平門(太平門)に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三○○其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
一、此七八千人之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百に分割したる後適当のヶ処(箇処)に誘きて処理する予定なり
『南京戦史資料集』
(笠原『南京事件』p.154-155)
『増刊歴史と人物』「南京攻略戦中島台十六師団長日記」
(内田『「戦後補償」を考える』p.34)
児玉義雄氏(第十六師団歩兵第三十八連隊副官)の証言
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、
師団副官の声で、
【師団命令として『支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ』】
と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
・・・
参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが
【命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。 】
『証言による<南京戦史>(5)』
(内田『「戦後補償」を考える』p.35-36)
佐々木到一少将(第16師団 歩兵第30旅団(佐々木支隊)長) 私記 (12月13日)
その後、俘虜続々投降し来たり数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮する。多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば、兵隊ならずとも「皆やってしまえ」と言いたくなる。
白米はもはや一粒もなし、城内にはあるだろうが、
【俘虜に食わせるものの持ち合わせなんか我が軍には無い筈だった。】
「佐々木到一少将私記」
(笠原『南京事件』p.153-154)
第16師団歩兵第30旅団命令 (旅団長 佐々木到一少将、12月14日)
[各隊は担当区域を]掃蕩し支那兵を撃滅すべし。各隊は師団の指示あるまで俘虜を受けつくるを許さず
『南京戦史資料集』
(笠原『南京事件』p.154)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/horyo.htm
>ということなのですから。たしか、松井石根氏は、直接捕虜殺害や強姦などはしていなかったのではないでしょうか。
はい、実際には行っていなかったでしょう。
しかし、以下、(南京事件・・笠原十九司著)から・・
★中支那方面軍を率いて・・・これらの恐ろしい出来事が最高潮にあったときに、すなわち12月17日に、松井は同市に入場し、5日または7日の間滞在した。
・・・
この義務の遂行を怠った事について彼は犯罪的責任があると認めねばならぬ。
・・・
松井岩根だけが、南京事件の【違反行為阻止怠慢(残虐行為を阻止しようとする自己の義務に怠慢であった)】の罪、すなわち【不作為の責任】を問われて絞首刑を宣告されたこと・・・
どら・・いわゆるA級戦犯の【平和に対する罪・・侵略戦争の準備・計画・遂行など】とは、一寸違っていますが、A級戦犯として処刑されました。
これは メッセージ 5277 (asdfas45 さん)への返信です.