サンケイも、痔民党も
投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/01/03 22:32 投稿番号: [4206 / 29399]
みな「帰還事業」では、同罪だ。
朝日・社会・共産ばかりでなく。
日本の冷たい社会にも大いに責任があるんだね。
>また、朝日・岩波と言えば、以前北朝鮮を過剰に賛美し、多くの在日を『地上の楽園』に向かわせたという前科があります。
あらあら(笑)。
朝日だけじゃなく、サンケイもみな同じような記事を載せてるね。↓
彼らが、自分たち
の故郷でもない(ほとんどすべての在日の出身地は韓国の領域内)北に渡っ
たのは、
***厳しい差別のために日本での生活に何の希望も持てなかったからで
す。
*** 日本にいても就職もできない、家も借りられない、健康保険にも年金にも
入れない。だからこそ「楽園天国」と宣伝された北朝鮮の幻影にすがり、差
別のない土地で社会主義祖国の建設に参加しようと海を渡ったのです。
・・・
当時の日本人は、政府からマスコミまで、右も左も寄ってたかって、人道
の名のもとに「帰国者」の送り出しに協力しました。
誰一人として、差別を
なくしてこの国で共に生きていこうと手を差し伸べる者はいませんでした。
例えば、当時の新聞はこんな記事を載せています。
1959年12月24日 産経新聞
| 暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け
| 入れ【清津で坂本記者】
| 『出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、
| 国旗を持って港一帯から沿道は歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マ
| ンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はすぐ前の休憩
| 所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六
| 〇あり、あとは清潔なベンチが並んでいた。
| 熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、…こういうことのできる
| 母国の経済力に帰国者は驚き、安心したに違いない。
| …大アパート、六畳くらいの部屋には、タンス、家具はもちろん小型ラジ
| オまで至れりつくせりだ。…料理でも日本から帰った人にいきなり辛すぎる
| ものは刺激が強すぎるだろうと甘くしてあったり…。』
1959年12月26日 朝日新聞
| 〝働く力〟を組織/平壌、見事な復興
| 写真:平壌に入った第一次帰還者のバスを迎え市民の群
| 『北朝鮮の社会主義建設はめざましい。旅行者がちょっと平壌を見ただけ
| でも驚かされる。古い平壌は跡かたもなくなって新しい平壌が生まれた。…
| 道路の両側には近代的なビルが並び、それはことごとく労働者の住宅である』
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/hatsugen/korea-koizumi.htm
*しかも、自民党政府の閣議決定で決まったもの。↓
このような動きを受けて1959(昭和34).2.13日、日本政府はこの日の閣議決定で・・・
閣議決定を受け同年4月から日本赤十字社がジュネーブで北朝鮮赤十字と交渉を行い、その結果、8月13日にカルカッタで両赤十字社の間に「在日朝鮮人の北朝鮮帰還に関する協定」(以下、「カルカッタ協定」と記す)が署名された。
・・・
これを受けて日本赤十字社は、昭和34年9月11日、我が国政府に対し帰還業務実施について、正式に業務委託の通知を行うよう要精し、
***政府は同月29日付で日本赤十字社宛「在日朝鮮人帰還業務実施について」(厚生省発援第75号)と題する文書をもって、帰還業務実施を同社に委託する旨通知した。
・・・・
日本人側で帰国事業に積極的に協力したのは在日朝鮮人帰国協力会(会長=鳩山一郎、幹事長=帆足計、幹事=政党・労組代表・文化人ら17名、各県に支部)であり、
****自民党も社会党も共産党も、要するにあらゆる政党がこれを支持し、推進する立場にたった。窓口になったのは日本赤十字社であり、すべては「人道上の問題」として推進されていくことになった
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_nittyoseizishi_kikokuundo.htm
朝日・社会・共産ばかりでなく。
日本の冷たい社会にも大いに責任があるんだね。
>また、朝日・岩波と言えば、以前北朝鮮を過剰に賛美し、多くの在日を『地上の楽園』に向かわせたという前科があります。
あらあら(笑)。
朝日だけじゃなく、サンケイもみな同じような記事を載せてるね。↓
彼らが、自分たち
の故郷でもない(ほとんどすべての在日の出身地は韓国の領域内)北に渡っ
たのは、
***厳しい差別のために日本での生活に何の希望も持てなかったからで
す。
*** 日本にいても就職もできない、家も借りられない、健康保険にも年金にも
入れない。だからこそ「楽園天国」と宣伝された北朝鮮の幻影にすがり、差
別のない土地で社会主義祖国の建設に参加しようと海を渡ったのです。
・・・
当時の日本人は、政府からマスコミまで、右も左も寄ってたかって、人道
の名のもとに「帰国者」の送り出しに協力しました。
誰一人として、差別を
なくしてこの国で共に生きていこうと手を差し伸べる者はいませんでした。
例えば、当時の新聞はこんな記事を載せています。
1959年12月24日 産経新聞
| 暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け
| 入れ【清津で坂本記者】
| 『出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、
| 国旗を持って港一帯から沿道は歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マ
| ンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はすぐ前の休憩
| 所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六
| 〇あり、あとは清潔なベンチが並んでいた。
| 熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、…こういうことのできる
| 母国の経済力に帰国者は驚き、安心したに違いない。
| …大アパート、六畳くらいの部屋には、タンス、家具はもちろん小型ラジ
| オまで至れりつくせりだ。…料理でも日本から帰った人にいきなり辛すぎる
| ものは刺激が強すぎるだろうと甘くしてあったり…。』
1959年12月26日 朝日新聞
| 〝働く力〟を組織/平壌、見事な復興
| 写真:平壌に入った第一次帰還者のバスを迎え市民の群
| 『北朝鮮の社会主義建設はめざましい。旅行者がちょっと平壌を見ただけ
| でも驚かされる。古い平壌は跡かたもなくなって新しい平壌が生まれた。…
| 道路の両側には近代的なビルが並び、それはことごとく労働者の住宅である』
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/hatsugen/korea-koizumi.htm
*しかも、自民党政府の閣議決定で決まったもの。↓
このような動きを受けて1959(昭和34).2.13日、日本政府はこの日の閣議決定で・・・
閣議決定を受け同年4月から日本赤十字社がジュネーブで北朝鮮赤十字と交渉を行い、その結果、8月13日にカルカッタで両赤十字社の間に「在日朝鮮人の北朝鮮帰還に関する協定」(以下、「カルカッタ協定」と記す)が署名された。
・・・
これを受けて日本赤十字社は、昭和34年9月11日、我が国政府に対し帰還業務実施について、正式に業務委託の通知を行うよう要精し、
***政府は同月29日付で日本赤十字社宛「在日朝鮮人帰還業務実施について」(厚生省発援第75号)と題する文書をもって、帰還業務実施を同社に委託する旨通知した。
・・・・
日本人側で帰国事業に積極的に協力したのは在日朝鮮人帰国協力会(会長=鳩山一郎、幹事長=帆足計、幹事=政党・労組代表・文化人ら17名、各県に支部)であり、
****自民党も社会党も共産党も、要するにあらゆる政党がこれを支持し、推進する立場にたった。窓口になったのは日本赤十字社であり、すべては「人道上の問題」として推進されていくことになった
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_nittyoseizishi_kikokuundo.htm
これは メッセージ 4191 (kalkakuman さん)への返信です.