Re: 公文書からみるスマラン事件、他
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/15 12:03 投稿番号: [29137 / 29399]
13人の日本人が有罪になった、バタビアBC級戦犯裁判のスマラン慰安所開設の公判記録は、事件を再現するに耐えられるだけの情報が公文書として残っていた。このスマラン慰安所事件の戦犯裁判の為に集められた情報から、ジャワの慰安所設置の許可は地元の兵站部から出され慰安所経営者は、一人一人の女性が売春する意志があるか確認、趣旨書に署名、定期検診、そして定期的に金銭の支払いがおこなわれているか確認しなければならなかったということがわかった。一方、ジャカルタの桜バー(桜倶楽部)に関する一連の資料は、軍の関与が非常に少なかったことを示している。しかし、定期的に軍警察または憲兵が点検にきたり、行政区長官が要請して開設したりといった状況は、他のケースと大変類似していたらしい。証拠となる公文書は充分見つかっていないが、ジャワにあった多くの慰安所は、公の許可は必要であったが個人が(私的に)経営していたようである。このような公的許可と私的経営のシステムは、基本的には日本の婦女子売買禁止国際条約への参加によって変容した公娼制度と同様であった。もちろん、こういった制度があろうが、日本や戦前のインドネシア(少なくともジャワ)のように、無許可や「不法」な売春業も多数存在していた。軍隊公娼制或いは慰安所の開設の許可は、ジャワの第16軍だけが特別おこなったというわけではない。海軍統括のボルネオ島ポンティアナックでは、軍当局が、地元のインドネシア人や中国人女性との関係の代替として、軍人、軍属、一般邦人用の
慰安所を作ることを命じている。ハルマヘラにあった数件の慰安所や、モア島にあった慰安所は軍の部隊が直接管理していた。また、アンボン、カリジャティ、ティモールにあった慰安所は、軍指定や軍経営の慰安所であったが、他の多くの地域にあった「慰安所」が軍に関連があったか、またどのように関係があったかに関しては更なる調査が必要である。
これは メッセージ 29125 (*uk**o*i さん)への返信です.
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