日本軍将兵の証言・手記 慰安婦強制の実態
投稿者: nukabosi 投稿日時: 2013/01/13 17:38 投稿番号: [29107 / 29399]
[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1 より
慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。
それら口述資料を用いて個々の事例を考察していきます。
最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。
■第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言
場所:中国中部の山東省
一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.382)
この証言について歴史研究者の永井和教授は論文『日本軍の慰安所政策について 』の中で次のように述べています。
この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。
軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。
一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。
論文に出てくる『内務省警保局長通牒』には、現在の警察庁長官に相当する内務省警保局長から全国の各庁府県長官宛に出された通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』 (1938年2月23日)というものがあります。
この通牒は「婦女・児童の売買を禁止する国際条約」(未成年の女性を売春に従事させることを禁止し、成年であっても、詐欺(誘拐)などによる強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めた国際条約。)に接触しないよう指示した箇所があるのですが、初めから「北支、中支方面に向ふ者に限り当分の間之を黙認」して出国に必要な「身分証明を付与」すると抜け穴が作られているのです。
さらにこの通牒は日本国内に限定されたもので、朝鮮・台湾といった植民地では出されていないのです。そのため植民地からは未成年の女性たちが制限無しに国外に誘拐・拉致、人身売買といった強制的手段で連れて行かれたと考えられています。
(以下略)
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1 より
慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。
それら口述資料を用いて個々の事例を考察していきます。
最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。
■第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言
場所:中国中部の山東省
一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.382)
この証言について歴史研究者の永井和教授は論文『日本軍の慰安所政策について 』の中で次のように述べています。
この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。
軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。
一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。
論文に出てくる『内務省警保局長通牒』には、現在の警察庁長官に相当する内務省警保局長から全国の各庁府県長官宛に出された通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』 (1938年2月23日)というものがあります。
この通牒は「婦女・児童の売買を禁止する国際条約」(未成年の女性を売春に従事させることを禁止し、成年であっても、詐欺(誘拐)などによる強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めた国際条約。)に接触しないよう指示した箇所があるのですが、初めから「北支、中支方面に向ふ者に限り当分の間之を黙認」して出国に必要な「身分証明を付与」すると抜け穴が作られているのです。
さらにこの通牒は日本国内に限定されたもので、朝鮮・台湾といった植民地では出されていないのです。そのため植民地からは未成年の女性たちが制限無しに国外に誘拐・拉致、人身売買といった強制的手段で連れて行かれたと考えられています。
(以下略)
これは メッセージ 1 (yuu*ou*eiwa さん)への返信です.