沖縄タイムズの報道
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/06 11:19 投稿番号: [26714 / 29399]
1982年9月14日沖縄タイムス
米軍の捕虜となり、部落の裏山に避難している一般住民を救出するため(一部の証言では救出ではなく、部落の避難小屋にあった食糧を取りに行くため)、名護市許田へ向かった金城幸三氏と幸正の兄弟について、次のように書かれている。
幸三さんと幸正さんは、部落裏山の避難小屋近くで日本皇軍宇土部隊に見つかり、許可証なども持っていたことなどからスパイとして拷問を受ける。
敗残兵は3人で、幸三さんと幸正さんを木に縛り、耳を切り落とすなどして惨殺した。
米軍に敗れた後の宇土部隊は、南はウフシッタイから北は伊湯岳の間にあって、各地に出没し住民から食糧を奪ったり、スパイ容疑で住民を拷問したり、殺害したりしている。
なかには、クリ舟と漕ぎ手を徴発して、与論・沖永良部方面へ脱出し、奄美大島、鹿児島へと逃れた者もいた。
この日本陸軍宇土部隊は、五月には大宜味村渡野喜屋(現在の白浜)で読谷山村出身の避難民を含む数人を虐殺し、残りの避難民家族を浜辺に集め、手りゅう弾を投げ込んで虐殺した。「
五月十二日夜間、塩屋の渡野喜屋で曹長に率いられた日本兵一〇人が、住民三五人を殺し、一五人に負傷させる。そのほとんどが婦女子である。この集団は、その村落の指導者四、五人を連れて山に戻った」。『沖縄戦学習のために』(安仁屋政昭著、三八頁)、『沖縄県史
沖縄戦記録2』(五六九頁)、『浦添市史
第五巻』(二九〇頁)
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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