Re: 「終戦日記」を読む・・野坂昭如
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/11/14 13:29 投稿番号: [26472 / 29399]
軍人の家族は、避難民ではない。
軍命により撤収する最中に終戦を迎えて、足止めを食らっていたもの達だ。
故に私物を持ち、食料を持っているのだ。
避難勧告されても、現地召集で夫や兄弟あるいは父親が前線にいた家族はぎりぎりまで避難をせずに待っていて終戦を迎えた。
故に、私物も持たず、食料も十分調達できずに逃げるしかなかったのだ。
どちらも非があるわけではない。
非があるとすれば、終戦に対して十分な準備をすることを妨げた本土決戦派の軍人達にある。
軍命で朝鮮半島経由で撤収した多くの軍属家族や官吏の家族は、終戦を朝鮮半島で迎えて苦境に遭う事となった。
一方、ぎりぎりまで待って終戦を迎えた避難民である引揚者は、ソ連の非道を避けて大連付近の港から出航する引き揚げ船を目指した。
長い陸路で、食料や飲料水は満足ではなかったが、全くなかったわけではない。
そればかりか、沿線の支那住民や引揚者の防衛に当たっていた日本兵などによって指し入れもあり、病になるものは国民党政府や連合軍下の野戦診療所や医療施設で診療を受ける事もできた。
だが、客車でなく貨物列車に集団で乗り込み、軍閥兵士などの目から女子供を隠しながらの逃避行で、多くの人が結核や肺炎で離脱した。
だが、戦時下の郊外や辺境では、物資が既に不足気味であった。
それを日本軍のせいだと決め付けるのは、無知の至りだ。
終戦以前は繰り返される支那軍閥や賊による略奪で、終戦と共に二つの中国政府の軍が物資その他の収奪を繰り広げたために、民衆の下や地方に十分な物資が存在していなかったのだ。
野坂昭如は、終戦当時小学生だ。
この藤原と言う御仁も終戦当時はまだ小学生だったと記憶する。
「行李の(こうりの)中からは缶詰や砂糖やいろいろ出てきて、楽しそうに食べている姿がうらやましかった」と言う記憶が、妬みや嫉みとなって後の戦前批判へ大きく影響を及ぼしている。
当時の現実を事実として向き合うに足るメンタリティーを備えていない御仁達だ。
野坂昭如の場合は、晩年になって逸れに気付き言論を控え改めるようになったと伝え聞く。
これは メッセージ 26469 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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