南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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真っ赤な嘘吐く江戸っ子

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/03/04 08:26 投稿番号: [24866 / 29399]
「江戸っ子」と言っても厳密に言えば3つの時期に分けて考えられると言われている。

まず最初は天明期に現れた地方出身者や彼らに支えられた幕府権力への強い反骨精神に支えられた日本橋・神田の町人や蔵前の札差が歌舞伎の『助六』や山東京伝の洒落本、川柳・浮世絵の流行などに代表される貪欲な文化的関心と、強い社会批判の精神を併せ持ち、天下祭(神田祭・山王祭)・三社祭・町火消・歌舞伎・遊郭などを発信元として江戸独自の文化を形成していった。江戸の上層の町民を江戸っ子と称したのである。江戸っ子の反社会的な性格に気付いた江戸幕府は寛政の改革を行ってこうした動きを抑圧していくことになる。山東京伝が「江戸の水道を産湯とした」「宵越しの銭は持たない」「粋と(意地の)張りを本領とする」と定義づけた「江戸っ子」の本来の姿とはこの時期のものである。

第二期として、文化・文政年間がある。江戸の経済発展によって生活的なゆとりがわずかながらも生み出されてきた下層の人々(主に長屋住まいの借家人)が強く(別の見方をすればやたら乱暴に)江戸っ子意識を振りかざすようになる。この時期の「江戸っ子」像が以後も引き継がれているため、この時期の江戸っ子が「江戸っ子」の典型例とされているが、寛政の改革などを経て江戸っ子本来が有した反骨精神などが弱められた江戸っ子の姿であり、武家主体の政治都市・消費都市に相応しい江戸っ子であったとも言える。とは言え、彼らに支えられて江戸に化政文化が花開き、江戸っ子気質は下層の庶民だけでなく下層の武士にも広く共有されるものになり、江戸っ子の気質や江戸言葉は日光街道筋など江戸周辺の町や農村地域にも影響を与えた。この時代の江戸っ子の姿を今に伝えるのが、不良旗本だった勝小吉(勝海舟の父)が喧嘩に明け暮れた半生を口述した『夢酔独言』である。

第三期は、明治以後に新しい支配層となった京都や薩長土肥など他の地方出身者が「東京」と改称した江戸に乗り込んだ明治時代である。西日本出身の役人や華族が東京で幅をきかせるようになり、かつての武家屋敷の跡であるいわゆる「山の手」の台地に居を構えた事への古くからの江戸町民の反感があり、これには薩長の下級武士ら地方出身者そのものへの反発とその政治(明治政府)に対する反発があった。そこには従来の江戸っ子だけではなく、旧名主階層や上層の旗本出身者などの東京(旧江戸)在住の旧支配層の一部も加わるものであり、伝統的な江戸っ子の文化・精神を維持する事によって自己のアイデンティティの維持を図るものであった。この点について歌舞伎を例に見ると、幕末から明治にかけての代表的作者河竹黙阿弥の作品群が特徴的である。黙阿弥は、幕末には盗賊が活躍する派手で娯楽的な作品を多く制作したが(『白浪五人男』『三人吉三』等)、明治になると、江戸の庶民や下級武士の生き様を活写した作品を多数送り出している(『梅雨小袖昔八丈(髪結新三)』『天衣紛上野初花(河内山・雪夕暮入谷畦道)』など)。これは黙阿弥自身の志向の変化にとどまらず、当時それを評価し受容する観客層が存在したことを物語っている。
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