南京事件の背景に関する考察②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2010/11/05 22:39 投稿番号: [23904 / 29399]
前述したように
日本軍には、すくなくとも
中国兵捕虜に対して、
他国の兵士のような処置は不要だ、という差別意識が根付いていた。
さらに、念頭に置くべきことは、日中戦争が 全面化し始めたとき、
日本軍部は、これを 「戦争」ではなく 「事変」であるから
戦時国際法は 適用しなくてもよい、と 決定したことだ。
支那駐屯軍が華北で総攻撃を開始した直後の 1937年8月5日、
陸支密第198号 支那駐屯軍参謀長宛 陸軍次官通牒
「交戦法規ノ適用ニ関スル件」には、次のように 示されている。
一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ
さらには「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ
言動、例ヘバ戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」 などについては、
「努メテ避ケヨ」 と指示している。
つまり、国際法規は適用しない、戦利品や俘虜という言葉は使うな、
と命じたのだ。 国際法上の「戦争」ではないと印象づけるためだ。
戦争ではないのだから、中国兵は 交戦法規に関する諸条約による
捕虜として処遇しなくても 一向にかまわない、ということになる。
こうした 軍中央部の方針は、ただちに 現地軍に伝えられた。
「他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁」する必要はなく
「之レヲ殺害」しても「問題トナルコト無シ」とされた 中国兵を、
わざわざ 収監、護送するなどの 面倒な手間は、不要だった。
そのうえ、戦争ではないから 戦時法規の適用は 必要なし――
そう指示されたのだから、予想以上の抗戦によって戦友を殺傷した
憎い中国人兵士に対しての 国際法に基づく「人道的処遇」などは
日本軍兵士の 念頭から 霧散消滅したのは、当然のことだ。
とくに 上海戦での苦戦によって敵愾心にあふれた 第一戦部隊に、
捕虜を躊躇なく殺す例が 数多くあらわれたのは こうした理由だ。
日本軍による包囲網の完成により、南京城内及び 周辺地域には
少なくとも10万人程度の中国兵が逃げ遅れ、投降したとされる。
ところが 日本軍側には、捕虜収容の用意は まったくなかった。
総じて日本軍の補給体制軽視の傾向は、結果、大戦の全般を通じ
戦死者数を 餓死者数が上回る という惨状を招くことになるが、
その体質は、すでに 南京攻略戦の時点でも 表れていたのだ。
しかも、各大隊が先陣を競うように 南京を目指した進撃速度は、
軍自身の当初予想を上回るほど急進だったため 補給が追つかず、
食料をはじめ物資のほとんどは 現地調達に 頼るほかなかった。
日本兵が自らの給養を確保することさえも困難な状況のところに、
大量の捕虜をかかえて 収容を維持することは 不可能だった。
飢餓に陥る危険をおかしてまで 中国の敗残兵に 乏しい食糧を
分け与えながら、収容するだけの設備も 体制も、心構えさえも
日本軍にはなかった。これを裏付ける資料として、後述のとおり
大量の捕虜の処置に窮し、司令部が殺害を命じたという証言がある。
他国の兵士のような処置は不要だ、という差別意識が根付いていた。
さらに、念頭に置くべきことは、日中戦争が 全面化し始めたとき、
日本軍部は、これを 「戦争」ではなく 「事変」であるから
戦時国際法は 適用しなくてもよい、と 決定したことだ。
支那駐屯軍が華北で総攻撃を開始した直後の 1937年8月5日、
陸支密第198号 支那駐屯軍参謀長宛 陸軍次官通牒
「交戦法規ノ適用ニ関スル件」には、次のように 示されている。
一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ
さらには「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ
言動、例ヘバ戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」 などについては、
「努メテ避ケヨ」 と指示している。
つまり、国際法規は適用しない、戦利品や俘虜という言葉は使うな、
と命じたのだ。 国際法上の「戦争」ではないと印象づけるためだ。
戦争ではないのだから、中国兵は 交戦法規に関する諸条約による
捕虜として処遇しなくても 一向にかまわない、ということになる。
こうした 軍中央部の方針は、ただちに 現地軍に伝えられた。
「他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁」する必要はなく
「之レヲ殺害」しても「問題トナルコト無シ」とされた 中国兵を、
わざわざ 収監、護送するなどの 面倒な手間は、不要だった。
そのうえ、戦争ではないから 戦時法規の適用は 必要なし――
そう指示されたのだから、予想以上の抗戦によって戦友を殺傷した
憎い中国人兵士に対しての 国際法に基づく「人道的処遇」などは
日本軍兵士の 念頭から 霧散消滅したのは、当然のことだ。
とくに 上海戦での苦戦によって敵愾心にあふれた 第一戦部隊に、
捕虜を躊躇なく殺す例が 数多くあらわれたのは こうした理由だ。
日本軍による包囲網の完成により、南京城内及び 周辺地域には
少なくとも10万人程度の中国兵が逃げ遅れ、投降したとされる。
ところが 日本軍側には、捕虜収容の用意は まったくなかった。
総じて日本軍の補給体制軽視の傾向は、結果、大戦の全般を通じ
戦死者数を 餓死者数が上回る という惨状を招くことになるが、
その体質は、すでに 南京攻略戦の時点でも 表れていたのだ。
しかも、各大隊が先陣を競うように 南京を目指した進撃速度は、
軍自身の当初予想を上回るほど急進だったため 補給が追つかず、
食料をはじめ物資のほとんどは 現地調達に 頼るほかなかった。
日本兵が自らの給養を確保することさえも困難な状況のところに、
大量の捕虜をかかえて 収容を維持することは 不可能だった。
飢餓に陥る危険をおかしてまで 中国の敗残兵に 乏しい食糧を
分け与えながら、収容するだけの設備も 体制も、心構えさえも
日本軍にはなかった。これを裏付ける資料として、後述のとおり
大量の捕虜の処置に窮し、司令部が殺害を命じたという証言がある。
これは メッセージ 23902 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.