「白痴」こそが真実を知る
投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/10/12 18:09 投稿番号: [23660 / 29399]
ドストエフスキーの「白痴」は未読ですが、それを映画化した黒澤明の「白痴」はDVDで鑑賞しました。
人間心理の深淵を覗き込もうとするそれは、動的な作風を好む黒澤らしくないものではありましたが、とことん人間の善意を押し進めた人間は、この世界では「白痴」になるしかないという痛切な逆説的「主題」を「白痴」である青年の無垢で純粋な心を通して描き、重く暗い演出の中に常識にとらわれない人間の本質を浮き上がらせるという哲学的なものでした。
つまりドストエフスキーが意図した「白痴」は、「近代」が人類にもたらしたものと引き換えに失ったものをいまだ保持し続ける人たちであるのです。そしてそれは我々が通常「正常」であると考える一般人が、ある認識能力を著しく欠いているという意味でもあるのです。
それは例えば、南京大虐殺という「史実」すら受け入れられない日本人の一部にも見ることができるでしょう。
産業革命以降の「近代化」による欲望の肥大は、人間心理の構造に改変をもたらし、無意識の欲望=イド、欲望を現実に沿ったものに調和させる=自我、イドを押さえつける道徳精神=超自我という心のバランスを大きく変容させ、それは、「認識」の能力が感性的理性にとらわれ「悟性」の範囲にとどまり、近代以前に人間が持っていた実践理性能力の弱体化を意味するものなのです。それはまた17世紀以降の社会契約論者、功利主義者たちによって指摘されてきたところでもあります。
ですから「白痴」であることはけっして恥ずべきことではありません。
「白痴」は現代人が失った能力を持ちます、真実を知るという能力を。
ニャンコさんはニャンコさんらしくそのままのニャンコでいてくださいね♪ (^Д^)
これは メッセージ 23659 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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