続: 毎夜懲りず知りもしないことを持ちだす
投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/10/07 00:27 投稿番号: [23599 / 29399]
続き
イスラム教にもその源流のユダヤ教にも更にその源流のメソポタミアの伝承や信仰の中にも漏れなく光と闇が語られ、それと向き合うべき人間の在り様が説かれている。
それは、神道などと同じく極自然に人間は闇や光と共に在るものとして説かれる。
聖典で語られる唯一絶対神は、闇と静寂で在り、初めに音(言葉)を発する。
それが、神威発現の緒端だ。
その音が光を生み、そこから多くを分かち創造して世界が出来上がり、声明を息吹かせている。
聖書の中で、本来語り継がれていたのは”預言”と称する「神の御詞」とその予言を賜った背景描写に因る神の理の伝承だ。
福音書というのは、神の言質が受ける”預言者”という”器”に因って伝える表現が異なるのを”福音”という伝道者の方便で補おうとした言質を書に置き換えたものだ。
故に、福音書には錯誤や想い違いが含まれたり、偽書が紛れ込んだりするのだ。
聖書を通して読むだけで、そこには福音する者に因って生じる矛盾が多く登場する。
また、布教が統治という政治的思惑と一体であったが為に、本来の唯一神が自在に多面性を内在しているにもかかわらず、キリストを神と位置付けんが為に”三位一体”などという稚拙な協議を加えてしまった。
なぜそうなるのかと言えば、唯一神が内包する闇を”悪”として分離排他することで、唯一神は光の申し子の如く信じ込ませ、誘蛾灯に蛾が群がる如く信者を誘引しようと教会創建当初から努力を重ねていたからだ。
唯一神がこの世の総てを遍く内包する存在であり、旧約聖書にもその言質が残るように、唯一神は何処であろうとありとあらゆるものと共に在るのである。
世界が創造される以前から唯一神が闇と静寂として存在したなどという根源が、ありとあらゆるものと共にある所以であるので、闇を排他し敵視させ贖罪意識を植え続けさせる為には、唯一神が光の側だけの存在と信仰させる事を覆すわけにはいかなかったのだ。
”甘い言葉は悪魔の囁き”というのが、所謂キリスト教の真髄と言ってもよいだろう。
己の中の闇と正面から向き合わさせず、非とし悪と断じ排他することで、心の闇を贖罪意識に換え、”懺悔”として吐き出させ主が許すというレトリックで懺悔の都度その贖罪をリセットして闇を拭ったかのように錯覚させ、救いたもう神の御加護もつかの間、また闇を抱えてしまう己に贖罪意識を抱かせる、まるでドラッグ如き宗教なのだ。
これは メッセージ 23598 (maximirion さん)への返信です.
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