Re: 関東軍の逃亡
投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/10/05 23:43 投稿番号: [23564 / 29399]
現地召集の関東軍はスターリンの命令で極寒のシベリアへ奴隷労働に送ら
れ、数万の凍死、餓死、病死を出した。早期に日本内地や南方へ移動させら
れた本物の関東軍が生き残った。上海市街を通過した本物の関東軍が通過し
た時期は記憶していないが、冬であった。>
伯父も義伯父も現地召集の関東軍としてソ連侵攻に直面しました。
ソ連軍は、平原の国境線に横数列に戦車を並べて侵攻してきたのだとのこと。
そして、国境近くの多くの住民が人種や民族に関係なく戦車に踏みつぶされて”ぺしゃんこ”になって亡くなったとのことです。
現地召集された将兵達は、大した武器もなく戦車の足止めを試みて民衆の逃げる時間を稼ごうと奮闘して多くが亡くなったり捕虜となったのだそうです。
そんな中で、たまたま最期まで住民を逃がしながら生き残った将兵達中に伯父達が居たわけです。
ソ連軍戦車をある程度足止めしたことで、現地の住民達が知る逃亡ルートを使ってソ連軍から逃げ遂せた一団と共に在ったこれらの将兵は、この後広く繋がる支那人のネットワークに因って日本に換えることが出来たのだそうですが、詳しい話は聞かせてもらえないままとなりました。
毛沢東や蒋介石の軍閥政府や継承者の現政府がどれだけ人民解放や民衆の代表を謳った処で、当時の民衆の多くは彼らとは別に在ったわけです。
民衆にとっては、政治に因って統治を完成しない軍閥政府など横暴な諸侯や野盗山賊の類と変わりなかったのですね。
だから、市井の民はそういう権勢の及ばないネットワークを作って隠遁する術を持っていたのです。
”中国”と戦時下に確固たる統一国家が在ったかのような錯誤を前提としてしたり顔で近代史を語る者は、実は歴史を知らないのだということなわけです。
これは メッセージ 23553 (unhoo さん)への返信です.
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