やはり白痴なt_ohtaguro_2 ♪
投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/09/28 13:35 投稿番号: [23094 / 29399]
時系列も歴史も分らないお馬鹿は、投稿中にある琉球に関する説明からん当時の琉球が置かれた立場も分らないらしい。
琉球は維新以前から既に薩摩の統治下にあり、薩摩藩が琉球独自の文化と清国に対して朝貢国であることを継続させたので、維新後に明治政府が立ち上がった後、外務省管轄に置いて変わらず独自の文化と清国への朝貢を継続させて外交上の諍いを避け、交易を優先する政策をとった。
今で言うなら、中国に返還された香港に近い扱いだな。
ただ違う処は、”琉球”とは朝貢国として清国に相対する時の国号であって、”沖縄”とは薩摩に併合される以前から大和に向けて自称する時の国号だったというように、2カ国にたいして共通の朝貢国であったと同時に独立国であるという歴史を持っていたのだね。
それが、清朝末期にオランダなどの諸外国が、清の属国である台湾ではなく独立国として交易拠点となっていた琉球に押し寄せて通商条約を結ぶなどの状況が生まれ、同時に植民地化の脅威にも晒されていた。
そういう状況で、薩摩藩が琉球経由での交易を独占すべく出兵侵略目的の西洋艦船を排斥したうえで降伏を迫り、吸収属国とした。
属国とした後も琉球に独立交易国を装わせて当初の目的通り、その通商権益を独占した。
日本に於いて、内実共に植民地化した歴史というのは、明治政府に引き渡すまでの薩摩のこの実効支配の期間だけである。
事件当時の琉球が、清国の朝貢国であっても属国ではなく、日本の一地域と化していることなど、清朝も諸外国も既に承知していたのだね。
その一方で、台湾は内実共に清朝の属国だったのだよ。
そういう状況で、沖縄住民に対する台湾王府の所業に対して朝貢国であって領有国ではないという態度を採って、その責任を朝廷が採ることを拒否したわけだよね。
つまりそれは、台湾王府に対する柵封とその封土である台湾に対する主権を云わば放棄したに等しい言質となったわけだよ。
まあ、実際には日清戦争まで領有権を清朝が手放すものではなかったけどね。
これは メッセージ 23037 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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