Re: >簡単に反論はできませんが、
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2010/08/25 00:21 投稿番号: [21888 / 29399]
>一.国家の資格要件
モンテビデオ条約1条
1.永久的住民
その国の国籍を取得し、領域との結合による安定的な共同社会形成についての共通の忠誠関係を基礎に成立する人間集団
→その基準は個々人の意思を基準(主観説)
「その国の国籍を取得し、領域との結合による安定的な共同社会形成についての共通の忠誠関係を基礎に成立する人間集団 」て、すでに国家を前提にしている。
国家(社会)から切り離された自然人とか個々人とかいうのは抽象的理念じゃないのか。
すこし話はずれるが人間(個人)とか人権とかは 、
★ しかもそれ(注;人間の形象の出現)は、古い不安からの解放でも、千年来の関心事の光りかがやく意識への移行でも、信仰や哲学のなかに長いこととらわれてきたものの客観性への接近でもなかった。それは知の基本的諸配置[知の枠組みー引用者注]のなかでの諸変化の結果にほかならない。人間は、われわれの思考の考古学によってその日付けの新しさが容易に示されるような発明品[ホッブスとかー引用者注]にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。
★ もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれがせめてその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが18世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば――そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。
<ミッシェル・フーコー『言葉と物』末尾(新潮社1974)、原著1966>
http://blog.goo.ne.jp/wamgun/e/03284334ab511168cd908e9189b26e55衡平の原理とやらは、アリストテレスあたりまで遡るようだが、それも所詮人間とか正義とかすでに脱構築されつくされている概念に拠るものであろう。デリダ『法の力』参照。
これは メッセージ 21863 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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