慰安所は南京事件から拡大・・
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/11/08 00:29 投稿番号: [21384 / 29399]
★・・どうしてこんなに否定論が出てくるのか
・・ 確かに曖昧なところはあるんです。犠牲者の数が何人なのかはっきりしないからです。
どうしてはっきりしないのか、あとで実際に日本兵が見た光景をお話しますので、それで大体原因が判ります。
結論から言いますと、遺体を揚子江に流してしまっているんです、大量に。
ですから、調べるにも調べようがないんです。南京で亡くなった人は、そこで遺体が確認されて埋葬記録が残る。
ところが、これは戦闘で亡くなったのか、虐殺なのか、なかなか区別ができません。そして南京というのは揚子江に面していますので、主に虐殺された人の遺体というのは組織的に河に流されてしまった。ですから、その数が掴めないのです。
でも、数がはっきりしないからと言って虐殺は無かった、というのは極端な話です。実は犠牲者の数がはっきりしないというのは、どんな戦争でもあることです。
例えば沖縄戦の犠牲者の数も正確には判らない。
なぜなら、戸籍まで焼かれてしまったからです。
ですから、〈平和の礎〉には、名前が刻まれている人もいますし、名前が判らず「誰々の子」と書かれている人もいます。
そういうふうに、実は犠牲者の数が正確には判らないというようなことは、むしろ普通のことなんです。
その時、南京にいた日本兵は何を見たのか
今日お話したいのは、現場で、そこに居た人が何を見たのか、ということです。これは大事なことです。先ほどの小山内さんのお話も非常に迫力があったのは、実際に現場で小山内さんがご覧になったことだからです。
当時、南京大虐殺の現場を多くの日本人が見ているはずなんです。当然そこには多くの日本兵が参加しているわけですから。実は新聞記者も見ているはずなんですが、新聞記者でそれをはっきり記録に残している人はいません。
ましてや当時の新聞には、南京に行った記者のそのような報告は載せられていません。
しかし、載せられていないから、その人たちが何も見なかったのかというと、決してそうではありません。当時、軍人が残した日記の中には、しばしば新聞記者が出てきます。
ですから、新聞記者が現場にいて状況を見ていたことは確かなんです。
しかし、戦争と言論の統制というのはセットになっていて、そこで見たことを新聞記者は書けないんです。それを記事にしたところで採用されないわけですから、最初から記事にしないんです。・・
南京事件は慰安婦問題の原点でもある
虐殺、それから徴発、略奪行為が相当行われていて、これがますます中国人の抗日意識を燃え上がらせました。
それから、性暴力です。
これも南京事件のとき多発したことは明らかで、実は日本軍自身もこれにはちょっと困ったんです。困ったんですが、憲兵が取り締まれないんです。
あまりにも無秩序な状態になっていて、憲兵も取り締まれない。
もちろん、日本の憲兵と言えども性暴力を許しているわけではないので、中には捕まる人もいる。捕まえて、憲兵隊に連れてこられると、当然その人たちは、別に俺たちだけじゃない、何が悪いんだ、みたいなことを言うわけです。中には起訴される人もいましたが、それは本当にごく一部で、ほとんど野放し状態なんです。
さすがに、これは日本軍の威信を低下させることだ、と当時の日本軍と言えども考えたようで、その対策として、それだったら慰安所を置こうか、という発想になるわけです。
ですから、南京陥落後、中国の戦地には非常にたくさんの慰安所が置かれるようになります。
日本側としては、そういった激増する性暴力対策として慰安所を置きます。慰安所を作っても、中に誰もいないというわけにはいかないので、当然、「慰安婦」をどこからか供給するということになり、主として朝鮮からということになるんです。
ですから南京事件というのは、その後の「慰安婦」問題の、ある意味では原点でもあるわけです。慰安所自体はもっと前からありますが、南京事件以降、これが爆発的に拡大します。・・
http://kenpo-9.net/document/071208_yamada.html#h2-06
・・ 確かに曖昧なところはあるんです。犠牲者の数が何人なのかはっきりしないからです。
どうしてはっきりしないのか、あとで実際に日本兵が見た光景をお話しますので、それで大体原因が判ります。
結論から言いますと、遺体を揚子江に流してしまっているんです、大量に。
ですから、調べるにも調べようがないんです。南京で亡くなった人は、そこで遺体が確認されて埋葬記録が残る。
ところが、これは戦闘で亡くなったのか、虐殺なのか、なかなか区別ができません。そして南京というのは揚子江に面していますので、主に虐殺された人の遺体というのは組織的に河に流されてしまった。ですから、その数が掴めないのです。
でも、数がはっきりしないからと言って虐殺は無かった、というのは極端な話です。実は犠牲者の数がはっきりしないというのは、どんな戦争でもあることです。
例えば沖縄戦の犠牲者の数も正確には判らない。
なぜなら、戸籍まで焼かれてしまったからです。
ですから、〈平和の礎〉には、名前が刻まれている人もいますし、名前が判らず「誰々の子」と書かれている人もいます。
そういうふうに、実は犠牲者の数が正確には判らないというようなことは、むしろ普通のことなんです。
その時、南京にいた日本兵は何を見たのか
今日お話したいのは、現場で、そこに居た人が何を見たのか、ということです。これは大事なことです。先ほどの小山内さんのお話も非常に迫力があったのは、実際に現場で小山内さんがご覧になったことだからです。
当時、南京大虐殺の現場を多くの日本人が見ているはずなんです。当然そこには多くの日本兵が参加しているわけですから。実は新聞記者も見ているはずなんですが、新聞記者でそれをはっきり記録に残している人はいません。
ましてや当時の新聞には、南京に行った記者のそのような報告は載せられていません。
しかし、載せられていないから、その人たちが何も見なかったのかというと、決してそうではありません。当時、軍人が残した日記の中には、しばしば新聞記者が出てきます。
ですから、新聞記者が現場にいて状況を見ていたことは確かなんです。
しかし、戦争と言論の統制というのはセットになっていて、そこで見たことを新聞記者は書けないんです。それを記事にしたところで採用されないわけですから、最初から記事にしないんです。・・
南京事件は慰安婦問題の原点でもある
虐殺、それから徴発、略奪行為が相当行われていて、これがますます中国人の抗日意識を燃え上がらせました。
それから、性暴力です。
これも南京事件のとき多発したことは明らかで、実は日本軍自身もこれにはちょっと困ったんです。困ったんですが、憲兵が取り締まれないんです。
あまりにも無秩序な状態になっていて、憲兵も取り締まれない。
もちろん、日本の憲兵と言えども性暴力を許しているわけではないので、中には捕まる人もいる。捕まえて、憲兵隊に連れてこられると、当然その人たちは、別に俺たちだけじゃない、何が悪いんだ、みたいなことを言うわけです。中には起訴される人もいましたが、それは本当にごく一部で、ほとんど野放し状態なんです。
さすがに、これは日本軍の威信を低下させることだ、と当時の日本軍と言えども考えたようで、その対策として、それだったら慰安所を置こうか、という発想になるわけです。
ですから、南京陥落後、中国の戦地には非常にたくさんの慰安所が置かれるようになります。
日本側としては、そういった激増する性暴力対策として慰安所を置きます。慰安所を作っても、中に誰もいないというわけにはいかないので、当然、「慰安婦」をどこからか供給するということになり、主として朝鮮からということになるんです。
ですから南京事件というのは、その後の「慰安婦」問題の、ある意味では原点でもあるわけです。慰安所自体はもっと前からありますが、南京事件以降、これが爆発的に拡大します。・・
http://kenpo-9.net/document/071208_yamada.html#h2-06