公文書焼却指令は様々に・・
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2008/06/17 00:43 投稿番号: [20263 / 29399]
★第2
被告による敗戦前後の証拠隠滅
・・これを裏付ける朝枝繁春(参謀本部作戦課の対ソ作戦担当参謀・中佐)がなした731部隊長石井四郎への伝達がある。
すなわち、8月10日正午前、石井四郎は、「満州国」の首都新京(現在の長春)にある軍用飛行場で、
東京の河辺虎四郎(参謀次長)が派遣した朝枝から、次のような特命を伝えられた。
「参謀次長に代わって参謀次長のご意向をお伝えします。永久にこの地球上からいっさいの証拠物件を隠滅してください。貴部隊は用意した満鉄の特別急行列車で全員、大連まで退却してください」
「証拠はいっさいがっさい、地球上から永久に隠滅してください」
・・【同時に、「マルタ」と呼ばれていた中国人やロシア人などの捕虜を、全員、殺害した(甲31の14頁以下)。】・・
2 日本軍公式記録の焼却、隠匿
8月10日、ポツダム宣言受諾が決定されると、すぐに、内閣の閣議決定で公文書の焼却が決定された。それはポツダム宣言にあった「あらゆる戦争犯罪の処罰」という一節に対する被告の対応であった。
敗戦に際して日本国家がおこなった第1の行為は、証拠の隠滅だったのである。
とりわけ軍関係の証拠隠滅は徹底しておこなわれた。
公文書の焼却は、閣議決定の上、組織的に徹底的に行われた。
「鈴木貫太郎内閣の蔵相であった広瀬豊作が、『私もご承知のとおり終戦直後、資料は焼いてしまえという方針に従って焼きました。
これはわれわれが閣議で決めたことですから、われわれの共同責任のわけです』と回想しているし・・
次にこの閣議決定に基づいて、各省庁で公文書の焼却が行われた。
ポツダム宣言の受諾が決定し、天皇の「玉音放送」のある8月15日、
【陸軍省では連絡会議が開かれ、そこで阿南惟幾陸軍大臣からの証拠湮滅の指示が出された。】
後にそのことを明かした田村浩俘虜情報局長の記録が残っている。
1946年3月7日、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の国際検察局(IPS)のG・S・ウールワースの尋問に答えて、田村局長は、 「連合国側に見せてつごうの悪いような軍の文書は全て焼却せよ」(甲106の1、38頁)という命令を副官から口答で伝えられ、その命令に従ったと述べている。
・・
終戦の聖断直後、参謀本部総務課長及び陸軍省高級副官から全陸軍部隊に対し、機密書類焼却の依命通牒が発せられ、市ケ谷台上における焚書の黒煙は8月14日午後から16日まで続いた(甲294『現代歴史学と戦争責任』128頁)。
上記のような公文書の徹底した焼却により、戦犯裁判を統轄する立場にあったGHQも、めぼしい公文書が存在しないという状況に苦慮したようで、再三にわたって公文書の提供を日本政府に要求した。
・・
「47年1月9日の東京裁判の法廷に提出された第一復員局文書課長・美山要蔵の『証明書』(法廷証2000番)にも、
「本官は茲に昭和20年8月14日陸軍大臣の命令に依り高級副官の名を以て全陸軍部隊に対し『各部隊の保有する機密書類は速やかに焼却』すべき旨を指令されたことを証明する。
右は在京部隊に対しては電話に依り其の他に対しては電報を以て伝達された此の電報及原稿は共に焼却された」とあり、
電話による口頭連絡、あるいは電報等の焼却といった湮滅工作が碓認できる。」(同136頁)
また、公文書の最重要書類については、焼却指示にもかかわらず、所轄の軍将校が、隠匿し、GHQの追求から逃れた。
「天皇の陸軍に対する最高統帥命令である『大陸命』およびこれに基づいて参謀総長が発する指示=『大陸指』に関しても同様の隠匿が行われた。
これについて、現在、防衛庁防衛研究所戦史部が保管している『大陸命』、『大陸指』の原本に付せられた『経歴票』には、次のように記されている。
昭和20年8月14日大東亜戦争終戦に方り陸軍一般に保管書類焼却の指令が出されたが、
第二課〔参謀本部作戦課〕においては本大陸命(指)綴のみは焼却せず、
庶務将校椎名典義中尉が都内某所に隠匿し、第一復員省(局)史実調査部(資料整理部)編成に伴い、占領米軍の公私に亘る一般資料追及の監視を避けて部長宮崎周一中将が自宅に保管した。〔中略〕
・・
http://asyura2.com/0311/jisin102
・・これを裏付ける朝枝繁春(参謀本部作戦課の対ソ作戦担当参謀・中佐)がなした731部隊長石井四郎への伝達がある。
すなわち、8月10日正午前、石井四郎は、「満州国」の首都新京(現在の長春)にある軍用飛行場で、
東京の河辺虎四郎(参謀次長)が派遣した朝枝から、次のような特命を伝えられた。
「参謀次長に代わって参謀次長のご意向をお伝えします。永久にこの地球上からいっさいの証拠物件を隠滅してください。貴部隊は用意した満鉄の特別急行列車で全員、大連まで退却してください」
「証拠はいっさいがっさい、地球上から永久に隠滅してください」
・・【同時に、「マルタ」と呼ばれていた中国人やロシア人などの捕虜を、全員、殺害した(甲31の14頁以下)。】・・
2 日本軍公式記録の焼却、隠匿
8月10日、ポツダム宣言受諾が決定されると、すぐに、内閣の閣議決定で公文書の焼却が決定された。それはポツダム宣言にあった「あらゆる戦争犯罪の処罰」という一節に対する被告の対応であった。
敗戦に際して日本国家がおこなった第1の行為は、証拠の隠滅だったのである。
とりわけ軍関係の証拠隠滅は徹底しておこなわれた。
公文書の焼却は、閣議決定の上、組織的に徹底的に行われた。
「鈴木貫太郎内閣の蔵相であった広瀬豊作が、『私もご承知のとおり終戦直後、資料は焼いてしまえという方針に従って焼きました。
これはわれわれが閣議で決めたことですから、われわれの共同責任のわけです』と回想しているし・・
次にこの閣議決定に基づいて、各省庁で公文書の焼却が行われた。
ポツダム宣言の受諾が決定し、天皇の「玉音放送」のある8月15日、
【陸軍省では連絡会議が開かれ、そこで阿南惟幾陸軍大臣からの証拠湮滅の指示が出された。】
後にそのことを明かした田村浩俘虜情報局長の記録が残っている。
1946年3月7日、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の国際検察局(IPS)のG・S・ウールワースの尋問に答えて、田村局長は、 「連合国側に見せてつごうの悪いような軍の文書は全て焼却せよ」(甲106の1、38頁)という命令を副官から口答で伝えられ、その命令に従ったと述べている。
・・
終戦の聖断直後、参謀本部総務課長及び陸軍省高級副官から全陸軍部隊に対し、機密書類焼却の依命通牒が発せられ、市ケ谷台上における焚書の黒煙は8月14日午後から16日まで続いた(甲294『現代歴史学と戦争責任』128頁)。
上記のような公文書の徹底した焼却により、戦犯裁判を統轄する立場にあったGHQも、めぼしい公文書が存在しないという状況に苦慮したようで、再三にわたって公文書の提供を日本政府に要求した。
・・
「47年1月9日の東京裁判の法廷に提出された第一復員局文書課長・美山要蔵の『証明書』(法廷証2000番)にも、
「本官は茲に昭和20年8月14日陸軍大臣の命令に依り高級副官の名を以て全陸軍部隊に対し『各部隊の保有する機密書類は速やかに焼却』すべき旨を指令されたことを証明する。
右は在京部隊に対しては電話に依り其の他に対しては電報を以て伝達された此の電報及原稿は共に焼却された」とあり、
電話による口頭連絡、あるいは電報等の焼却といった湮滅工作が碓認できる。」(同136頁)
また、公文書の最重要書類については、焼却指示にもかかわらず、所轄の軍将校が、隠匿し、GHQの追求から逃れた。
「天皇の陸軍に対する最高統帥命令である『大陸命』およびこれに基づいて参謀総長が発する指示=『大陸指』に関しても同様の隠匿が行われた。
これについて、現在、防衛庁防衛研究所戦史部が保管している『大陸命』、『大陸指』の原本に付せられた『経歴票』には、次のように記されている。
昭和20年8月14日大東亜戦争終戦に方り陸軍一般に保管書類焼却の指令が出されたが、
第二課〔参謀本部作戦課〕においては本大陸命(指)綴のみは焼却せず、
庶務将校椎名典義中尉が都内某所に隠匿し、第一復員省(局)史実調査部(資料整理部)編成に伴い、占領米軍の公私に亘る一般資料追及の監視を避けて部長宮崎周一中将が自宅に保管した。〔中略〕
・・
http://asyura2.com/0311/jisin102