敗戦後の態度で、日本は間違えた2
投稿者: kin_wen_xue 投稿日時: 2007/12/28 07:00 投稿番号: [19901 / 29399]
日本の戦争をアジアは理解している
金文学著『中国人による中国人大批判』 −日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫
110p
アメリカを筆頭とする欧米(中国も含めて)が、あれほど日本はアジアを侵略したと糾弾するのは、日本が欧米列強の植民地政策と戦ったからです。
何もアジアの民衆と戦ったのではありません。
このあたりのことは、実はアジア諸国の民衆がもっとも理解しているのです。
中国ですらも、毛沢東は日本人の「侵略」に率直に感謝をしています。
東南アジアの民衆もそうです。
彼らはむしろ西欧の植民地から解放してくれた日本人に好意を持ち、日本人を信頼しています
皮肉にもアメリカや中国の喧伝、叫びに容易に騙され信じてしまうのは、日本人だけです。
毛沢東は日本に「感謝」していた
66〜68p
毛沢東が延安にいた頃、日本軍が南京を陥落したニュースを聞いて、極度に喜び、酒を大飲みして祝杯を挙げた話は有名です。
「北上抗日」を叫んできた共産軍の指導者が自国の首都が陥落したことに祝杯を挙げるのはなぜでしょう。
この謎は、毛沢東の告白から解けるのです。これによって毛沢東が「親日家」だったことが如実に実証されます。
その告白とは一九六一年、毛沢東が日本社会党訪中団と会見したとき、団長の黒田寿男(くろだひさお)氏に述べたものです。
「日本の皇軍こそ、中国人民を教育した。
日本の侵略がなかったら、中国人民は覚醒しなかったし、一致団結できなかった。
この意味で、日本の皇軍はわれわれに良いことをしたから、わたしは日本皇軍に感謝するのだ」
中国の偉大な指導者が、日本に「感謝」したのは、おそらく初めてのことではないかと思います。
もうひとつ毛沢東の親日エピソードを挙げましょう。
かつて、七〇年代一介の農民から一躍国務院副総理の座まで上った陳永貴という人物がいました。
当時、彼が日中戦争のとき「漢奸」だった自分の過去を毛沢東に告白したそうです。
すると、毛沢東は一笑に付しながら、陳氏にこう言いました。
「日本人はわが救命恩人だ。命の恩人の手伝いをし、漢奸になったということは、つまりわたしに忠誠を尽くしたということだ」
毛沢東は、新中国建国後も一貫して「親日」政策を実施し、反日や憎日という今日のようなひどい現実とは比べものにならないほど、日本に対して親善的、友好的でした。
毛沢東時代には基本的に今日のような反日洗脳もプロパガンダも存在しませんでした。
したがって「教科書問題」「南京大虐殺」「謝罪強要」「靖国神社」「従軍慰安婦問題」もまったくなかったのです。
毛沢東は親日路線を選択し、とりあえず西洋、ことにアメリカなどへの警戒から、同じ東洋の日本と友好関係を保持し、「和平五原則」を結び、かつてない日中友好の黄金時代を築き上げました。
毛沢東と周恩来が主導した「平和」精神は、日本だけでなく、アメリカとの国交樹立にも成功し、のちの世界冷戦構造の崩壊にもつながる二十世紀の快挙となりました。
毛沢東が死去したとき、当時の福田赳夫(たけお)首相は「いかなる高い評価も過言ではない」と敬意を払いました。
次回につづく
金文学著『中国人による中国人大批判』 −日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫
110p
アメリカを筆頭とする欧米(中国も含めて)が、あれほど日本はアジアを侵略したと糾弾するのは、日本が欧米列強の植民地政策と戦ったからです。
何もアジアの民衆と戦ったのではありません。
このあたりのことは、実はアジア諸国の民衆がもっとも理解しているのです。
中国ですらも、毛沢東は日本人の「侵略」に率直に感謝をしています。
東南アジアの民衆もそうです。
彼らはむしろ西欧の植民地から解放してくれた日本人に好意を持ち、日本人を信頼しています
皮肉にもアメリカや中国の喧伝、叫びに容易に騙され信じてしまうのは、日本人だけです。
毛沢東は日本に「感謝」していた
66〜68p
毛沢東が延安にいた頃、日本軍が南京を陥落したニュースを聞いて、極度に喜び、酒を大飲みして祝杯を挙げた話は有名です。
「北上抗日」を叫んできた共産軍の指導者が自国の首都が陥落したことに祝杯を挙げるのはなぜでしょう。
この謎は、毛沢東の告白から解けるのです。これによって毛沢東が「親日家」だったことが如実に実証されます。
その告白とは一九六一年、毛沢東が日本社会党訪中団と会見したとき、団長の黒田寿男(くろだひさお)氏に述べたものです。
「日本の皇軍こそ、中国人民を教育した。
日本の侵略がなかったら、中国人民は覚醒しなかったし、一致団結できなかった。
この意味で、日本の皇軍はわれわれに良いことをしたから、わたしは日本皇軍に感謝するのだ」
中国の偉大な指導者が、日本に「感謝」したのは、おそらく初めてのことではないかと思います。
もうひとつ毛沢東の親日エピソードを挙げましょう。
かつて、七〇年代一介の農民から一躍国務院副総理の座まで上った陳永貴という人物がいました。
当時、彼が日中戦争のとき「漢奸」だった自分の過去を毛沢東に告白したそうです。
すると、毛沢東は一笑に付しながら、陳氏にこう言いました。
「日本人はわが救命恩人だ。命の恩人の手伝いをし、漢奸になったということは、つまりわたしに忠誠を尽くしたということだ」
毛沢東は、新中国建国後も一貫して「親日」政策を実施し、反日や憎日という今日のようなひどい現実とは比べものにならないほど、日本に対して親善的、友好的でした。
毛沢東時代には基本的に今日のような反日洗脳もプロパガンダも存在しませんでした。
したがって「教科書問題」「南京大虐殺」「謝罪強要」「靖国神社」「従軍慰安婦問題」もまったくなかったのです。
毛沢東は親日路線を選択し、とりあえず西洋、ことにアメリカなどへの警戒から、同じ東洋の日本と友好関係を保持し、「和平五原則」を結び、かつてない日中友好の黄金時代を築き上げました。
毛沢東と周恩来が主導した「平和」精神は、日本だけでなく、アメリカとの国交樹立にも成功し、のちの世界冷戦構造の崩壊にもつながる二十世紀の快挙となりました。
毛沢東が死去したとき、当時の福田赳夫(たけお)首相は「いかなる高い評価も過言ではない」と敬意を払いました。
次回につづく
これは メッセージ 19900 (kin_wen_xue さん)への返信です.