日本の占領区は「楽園」だった5
投稿者: kin_wen_xue 投稿日時: 2007/12/22 08:16 投稿番号: [19864 / 29399]
満鉄時代の列車はいまよりも速かった
金文学著『中国人による中国人大批判』−日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫
150 p
わたしは満州瀋陽(旧名・奉天)に生まれ、大学時代は長春(新京)で過ごした正真正銘の「満州の子」です。
わたしが「満州」をたっぷり体験したのは、生まれ故郷の瀋陽でも、九・一八(満州事変)の記念碑でもなく、かつての満州国の首都長春でした。
長春は駅前の広場から、三本の幹線道路が放射線状に延びる整然とした街です。
中でも街を一直線に貫いて南下するスターリン大街は、幅五四メートルの近代的道路で八キロ続きます。その西洋並みのスケールと整然としたさまは、今日も鮮明に記憶しています。
164〜167p
わたしは、一九九七年から数年間、学術論文のため、満州映画を中心に、東北の長春などで聞き込み調査を行なったことがあります。
(略)
わたしの聞き込み調査の中で、大変驚いた証言が返ってきました。
当時満州国で暮らした多くの人々は、実体験を交えながら、こう語りました。
「現在の共産党時代は国民党時代より劣り、国民党時代は日本の満州国時代より劣る」
「もしも満州国がそのまま維持されたならば、現在のようなみじめなことはなかった。日本みたいに発展したはずだ」
満州映画制作所で働いていたZ氏は、「日本人は残虐だ、悪人だと言うけれど、わたしはそんな日本人には会ったことはない。
われわれは仲良くやりましたよ」と回想しています。
これは、一九八八年のことですが、瀋陽からハルビンに向かう列車に乗っていたとき、親しくなった向かいの席の老人は、わたしにこう言いました。
「満州国時代の列車は、今の列車よりも速くて快適だったのよ。
満州国から四十数年が経ったのに、列車のスピードが遅いというのは、時代の退歩だよ!」と。
その当時、わたしは本当かと思ったのですが、のちに来日して調べてみると、まさにそのとおりでした。
満鉄の代名詞ともなった大陸特急「あじあ」号は、一九三四年十一月から大連−新京間を運行していましたが、七〇〇キロを八時間で疾駆するという、当時の世界最速列車でした。
ところが一九九〇年代まで実際この区間を走っていた中国の列車は、一〇時間もかかったのです。
老人の言うとおり、スピードで計算すれば、「時代の退歩」そのものではないでしょうか。
(略)
われわれ中国人は満州国の貢献を堂々と肯定する態度を持つべきです。
今日の中国三〇省の中で、旧満州国に属した東北三省が経済レベルにおいてずっと上位に入っていることが、満州国の貢献を雄弁に物語っています。
多数の中国人満州体験者が証言するとおり、満州国がもしも、そのまま日本の領有下にあったならば、今日の朝鮮半島も含めて満州は、日本のような強国になったことは間違いないと思います。
残念ながら、大日本帝国の崩壊により幻夢に終わりましたが、満州国の理念と精神は、依然グローバルに生き続けているのです。
152〜153p
一九四五年四月、毛沢東は延安で開かれた中共第七次全国代表大会の講話で、次のような構想を述べています。
「たとえ、われわれがすべての根拠地を喪失したとしても、東北さえあれば、それをもって中国革命の基礎を築くことができるものだ」
次回につづく
金文学著『中国人による中国人大批判』−日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫
150 p
わたしは満州瀋陽(旧名・奉天)に生まれ、大学時代は長春(新京)で過ごした正真正銘の「満州の子」です。
わたしが「満州」をたっぷり体験したのは、生まれ故郷の瀋陽でも、九・一八(満州事変)の記念碑でもなく、かつての満州国の首都長春でした。
長春は駅前の広場から、三本の幹線道路が放射線状に延びる整然とした街です。
中でも街を一直線に貫いて南下するスターリン大街は、幅五四メートルの近代的道路で八キロ続きます。その西洋並みのスケールと整然としたさまは、今日も鮮明に記憶しています。
164〜167p
わたしは、一九九七年から数年間、学術論文のため、満州映画を中心に、東北の長春などで聞き込み調査を行なったことがあります。
(略)
わたしの聞き込み調査の中で、大変驚いた証言が返ってきました。
当時満州国で暮らした多くの人々は、実体験を交えながら、こう語りました。
「現在の共産党時代は国民党時代より劣り、国民党時代は日本の満州国時代より劣る」
「もしも満州国がそのまま維持されたならば、現在のようなみじめなことはなかった。日本みたいに発展したはずだ」
満州映画制作所で働いていたZ氏は、「日本人は残虐だ、悪人だと言うけれど、わたしはそんな日本人には会ったことはない。
われわれは仲良くやりましたよ」と回想しています。
これは、一九八八年のことですが、瀋陽からハルビンに向かう列車に乗っていたとき、親しくなった向かいの席の老人は、わたしにこう言いました。
「満州国時代の列車は、今の列車よりも速くて快適だったのよ。
満州国から四十数年が経ったのに、列車のスピードが遅いというのは、時代の退歩だよ!」と。
その当時、わたしは本当かと思ったのですが、のちに来日して調べてみると、まさにそのとおりでした。
満鉄の代名詞ともなった大陸特急「あじあ」号は、一九三四年十一月から大連−新京間を運行していましたが、七〇〇キロを八時間で疾駆するという、当時の世界最速列車でした。
ところが一九九〇年代まで実際この区間を走っていた中国の列車は、一〇時間もかかったのです。
老人の言うとおり、スピードで計算すれば、「時代の退歩」そのものではないでしょうか。
(略)
われわれ中国人は満州国の貢献を堂々と肯定する態度を持つべきです。
今日の中国三〇省の中で、旧満州国に属した東北三省が経済レベルにおいてずっと上位に入っていることが、満州国の貢献を雄弁に物語っています。
多数の中国人満州体験者が証言するとおり、満州国がもしも、そのまま日本の領有下にあったならば、今日の朝鮮半島も含めて満州は、日本のような強国になったことは間違いないと思います。
残念ながら、大日本帝国の崩壊により幻夢に終わりましたが、満州国の理念と精神は、依然グローバルに生き続けているのです。
152〜153p
一九四五年四月、毛沢東は延安で開かれた中共第七次全国代表大会の講話で、次のような構想を述べています。
「たとえ、われわれがすべての根拠地を喪失したとしても、東北さえあれば、それをもって中国革命の基礎を築くことができるものだ」
次回につづく
これは メッセージ 19863 (kin_wen_xue さん)への返信です.