南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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南京攻防戦の責任は中国にある3

投稿者: kin_wen_xue 投稿日時: 2007/12/12 10:50 投稿番号: [19762 / 29399]
『ドイツ外交官が見た南京事件』29p〜32p

資料7
添付書類
一九三七年一二月三〇日付北平分館報告(文書番号二七二二/四三七九/三七)に添付

  A・T・ステイールによる報告
中国、南京発。
  パニックに陥った人々というものは信じられない行動に出る。
南京で日本軍の猛烈な砲撃にさらされた中国軍の抵抗が突然崩壊したとき、私はこれまで六年に及ぶ中国での戦争取材で経験したことのない野蛮な混乱を目撃した。

(略)

  数人の将校が退却する大群の行く手に立ちはだかり、制止した。
怒声が響き、ピストルの銃声が鳴った。
  兵士はいやいや向きを変え、重い足取りでふたたび前線に向かい始めた。
  だが、長くは続かなかった。
  三〇分もしないうちに、中国軍の士気が衰え、全軍の潰走が明らかとなった。

  もはやかれらを止めるものは何もなかった。   何万もの兵士が、かれらに開かれた唯一の退却路である市の北西隅のユウ江門に向かって、通りを移動した。門の先半マイルに長江が流れており、そこでは先に到着する者を一群の艦船が待ち受けていた。

  崩壊の始まりは午後四時三〇分ごろで、当初はかなり秩序だった退却が、夕暮れには潰走と化した。逃走する軍隊は、日本軍の猛追撃を考えて余分な荷物を投げ捨て始めた。まもなく通りには、打ち捨てられた背嚢、弾薬ベルト、手榴弾や軍服が散乱した。

  主な退却路となった中山路からほんの数ヤード隔たった百万ドルの交通部庁舎に兵士が火を放つと、地獄絵図は激しく幕を開けた。

  そこは臨時の弾薬庫として使用されていたが、炎がその砲弾・爆薬庫に達すると、恐ろしい爆音が夜空に鳴り響いた。
  銃弾と砲弾の破片は鋭い音をたてて頭上を飛び交い、河岸へ向かう道をひしめき合いながら進む群集の恐怖と混乱を煽った。
  燃えさかる庁舎は巨大な炎を噴き上げ、物凄い熱を放った。

  パニックに陥った群集の行列は遅々として進まず、交通は渋滞した。
  大砲、トラック、オートバイ、荷馬車がひどい混乱のなかで玉突き衝突を起こし、うしろからは前へ前へと押し寄せてくるのだった。
  兵隊は死に物狂いで道を空けようとしていたが、徒労であった。路上の集積物に火が燃え移り、幹線道路をふさぐ炎の障壁をつくった。

  退却中の軍隊に残っていたわずかの秩序は完全に崩壊した。いまや誰も我が身だけを頼りにした。
  燃え盛る障害物を迂回し命からがら下関門に辿りついた者が見た光景は、ただ残骸と死体で塞がれた門の姿であった。

  そこで、人々はこの巨大な城壁を乗り越えようと殺到した。
  脱いだ衣服を結んでロープが作られ、毛布は繋ぎ合わされて、急ごしらえの梯子ができた。
  恐怖にかられた兵士は胸壁から歩兵銃と機銃をほうり投げ、這い降りた。

  だが、かれらはそこでふたたび自分たちが窮地に陥ったことに気づいた。
  すべての船が、首尾よく先に到着した人々を乗せて出払ってしまっていたのである。


  陸路で逃げるチャンスはなかった。
  なぜなら日本軍が四方八方から押し寄せていたからである。
  川は唯一の逃げ道であった。何百人もの人が長江に飛び込み、死んだと言われている。
  冷静な者は筏を作るために時間をかけ、川を越えるのに成功した。
  河岸沿いの建物に隠れた者もいたが、かれらは後に日本軍に追い立てられ、殺害された。

つづく
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