つくる会、大江健三郎さんを標的に
投稿者: miraisatoru21 投稿日時: 2007/11/12 13:41 投稿番号: [19690 / 29399]
「集団自決」を引き起こした要因、を読みました。
つくる会によって、大江健三郎さんが標的にされていて、かわいそうです。
2 つくる会の策動
この検定の背後には「つくる会」があると言ってよいだろう。「つくる会」の歴史教科書では沖縄戦について、旧版(2001年検定合格)では、戦艦大和の海上特攻の話や「鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って」というような叙述がなされていた。女子学徒隊までもが「勇敢に戦って」と歪曲もはなはだしく、間違いだらけのものだった。それが現行版(2005年検定合格)では「4月、米軍は沖縄本島に上陸し、日本軍の死者約9万4千人、一般住民の死者も約9万4千人を出す戦闘の末、2ヶ月半のちに沖縄を占領した」と味も素っ気もない叙述になっている。採択率を上げるために、批判されるような叙述を控えたのかもしれない。
しかし2006年度から使用される中学教科書の採択が本格化していた時期に、沖縄戦についての教科書記述を書きかえるべく、「つくる会」は新たな動きを始めた。2005年4月、「つくる会」の中心人物であった藤岡信勝は自由主義史観研究会の機関誌『歴史と教育』において、「沖縄プロジェクト」への参加をよびかけるアピールを発表し、5月に「沖縄戦慰霊と検証の旅」と称するツアーをおこなった。藤岡は、「過去の日本を糾弾するために、一面的な史実を誇張したり、そもそも事実でないことを取り上げて」、児童・生徒に「失望感」や「絶望感」を持たせようとする傾向があるとし、その「事例の一つ」が「沖縄戦で民間人が軍の命令で集団自決させられた」ということであると指摘している。
この呼びかけと一緒に同誌に掲載された沖縄戦についての「歴史授業案 無念の授業『沖縄戦 集団自決の真実』」では、この問題が「日本軍の名誉に関わるものであり、児童生徒の健全な歴史認識及び国防意識の育成にとって見過ごすことができない」とし、「皇軍および無念の冤罪を着せられた軍人の名誉を回復する授業を提案したい」としている。皇軍の名誉回復と国防意識の育成が教育の目標であると公然と主張される。その内容を整理すると、渡嘉敷島と座間味島における「集団自決」では、「自決せよ」という軍命令は出されていなかった、軍が命令したというのは、「国から補償金をもらうために」村の幹部がついたウソだと決めつけている。そのうえで、「授業案」では、<国からの補償金を得るため(「援護法」)→ウソの証言→証言の拡大・定着>と「板書」し、教師が『このようにして、ウソが『事実』として拡大し、定着していったのです。恐ろしいですね」とまとめることとされている。
この動きを受けて、同年8月、「つくる会」などの支援の下に、座間味島の元日本軍部隊長と、渡嘉敷島の元部隊長の弟が、軍命令がなかったのにあったと書いたのは名誉毀損だとして大江健三郎氏と岩波書店を相手取って、「集団自決」に関する出版差し止めと損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。
そもそもこの二つの島での「集団自決」を最初に書いたのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風』(1950年、朝日新聞社、のちに沖縄タイムス社から刊行)だったにも関わらず、大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書、1970年)を訴訟の対象にしたのは、著名ではあるが、研究者ではない大江氏を攻撃し、沖縄戦での策動の突破口にしようとしたものと思われる。またかれらは同時に、岩波書店から出版されている、家永三郎『太平洋戦争』(初版1967年、第2版1986年)と中野好夫・新崎盛暉『沖縄問題二十年』(1965年)の出版販売差し止めも請求している。この訴訟の弁護士らは、日本軍が南京攻略にいたる過程での百人斬りはなかったとして、本多勝一氏や毎日新聞社、朝日新聞社を訴えていたメンバーと重なっている(当然のことながらかれらは敗訴した)。
本来であれば、沖縄タイムスを訴えるべきだろうが、そうすると沖縄全体を敵に回すことになるので、ヤマトンチューを相手に大阪で訴訟をおこなうという策に出たのかもしれない。
つくる会によって、大江健三郎さんが標的にされていて、かわいそうです。
2 つくる会の策動
この検定の背後には「つくる会」があると言ってよいだろう。「つくる会」の歴史教科書では沖縄戦について、旧版(2001年検定合格)では、戦艦大和の海上特攻の話や「鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って」というような叙述がなされていた。女子学徒隊までもが「勇敢に戦って」と歪曲もはなはだしく、間違いだらけのものだった。それが現行版(2005年検定合格)では「4月、米軍は沖縄本島に上陸し、日本軍の死者約9万4千人、一般住民の死者も約9万4千人を出す戦闘の末、2ヶ月半のちに沖縄を占領した」と味も素っ気もない叙述になっている。採択率を上げるために、批判されるような叙述を控えたのかもしれない。
しかし2006年度から使用される中学教科書の採択が本格化していた時期に、沖縄戦についての教科書記述を書きかえるべく、「つくる会」は新たな動きを始めた。2005年4月、「つくる会」の中心人物であった藤岡信勝は自由主義史観研究会の機関誌『歴史と教育』において、「沖縄プロジェクト」への参加をよびかけるアピールを発表し、5月に「沖縄戦慰霊と検証の旅」と称するツアーをおこなった。藤岡は、「過去の日本を糾弾するために、一面的な史実を誇張したり、そもそも事実でないことを取り上げて」、児童・生徒に「失望感」や「絶望感」を持たせようとする傾向があるとし、その「事例の一つ」が「沖縄戦で民間人が軍の命令で集団自決させられた」ということであると指摘している。
この呼びかけと一緒に同誌に掲載された沖縄戦についての「歴史授業案 無念の授業『沖縄戦 集団自決の真実』」では、この問題が「日本軍の名誉に関わるものであり、児童生徒の健全な歴史認識及び国防意識の育成にとって見過ごすことができない」とし、「皇軍および無念の冤罪を着せられた軍人の名誉を回復する授業を提案したい」としている。皇軍の名誉回復と国防意識の育成が教育の目標であると公然と主張される。その内容を整理すると、渡嘉敷島と座間味島における「集団自決」では、「自決せよ」という軍命令は出されていなかった、軍が命令したというのは、「国から補償金をもらうために」村の幹部がついたウソだと決めつけている。そのうえで、「授業案」では、<国からの補償金を得るため(「援護法」)→ウソの証言→証言の拡大・定着>と「板書」し、教師が『このようにして、ウソが『事実』として拡大し、定着していったのです。恐ろしいですね」とまとめることとされている。
この動きを受けて、同年8月、「つくる会」などの支援の下に、座間味島の元日本軍部隊長と、渡嘉敷島の元部隊長の弟が、軍命令がなかったのにあったと書いたのは名誉毀損だとして大江健三郎氏と岩波書店を相手取って、「集団自決」に関する出版差し止めと損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。
そもそもこの二つの島での「集団自決」を最初に書いたのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風』(1950年、朝日新聞社、のちに沖縄タイムス社から刊行)だったにも関わらず、大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書、1970年)を訴訟の対象にしたのは、著名ではあるが、研究者ではない大江氏を攻撃し、沖縄戦での策動の突破口にしようとしたものと思われる。またかれらは同時に、岩波書店から出版されている、家永三郎『太平洋戦争』(初版1967年、第2版1986年)と中野好夫・新崎盛暉『沖縄問題二十年』(1965年)の出版販売差し止めも請求している。この訴訟の弁護士らは、日本軍が南京攻略にいたる過程での百人斬りはなかったとして、本多勝一氏や毎日新聞社、朝日新聞社を訴えていたメンバーと重なっている(当然のことながらかれらは敗訴した)。
本来であれば、沖縄タイムスを訴えるべきだろうが、そうすると沖縄全体を敵に回すことになるので、ヤマトンチューを相手に大阪で訴訟をおこなうという策に出たのかもしれない。
これは メッセージ 19676 (dorawasabi5001 さん)への返信です.