壊れたテープレコーダー(2)
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2007/09/08 00:18 投稿番号: [19339 / 29399]
何を言っているのか聞き分けるのに一苦労だw
> 国際社会においても 東京裁判の有効性は認められてるの知っておいた方がいいんじゃないの(笑)
分かりやすい嘘をつくなよ。
東京裁判の有効性が国際社会で認められているなら、どうして東京裁判以降「平和に対する罪」で裁かれた戦犯が一人もいないんだよ?
「平和に対する罪」の具体的な定義が未だに定まっていない理由を説明してみな。
> 願望は立派な動機なんですけどね、、この程度も理解できませんかね(笑)
願望だけあっても犯罪にはならないということが理解できないのかね(嘲笑)
まあ、ヨミくんなら理解できなくても不思議はないか(藁
> いま あんたと話してんのは 日本政府と日本軍の犯した恥部の話なんだよ(笑)
ああ、つまり文革で殺された中国人や自国軍隊に殺された朝鮮人は「アジアの民衆」ではないとw
いや、流石に私も中国人や朝鮮人は人間未満なんて主張するつもりはないんだが(苦笑)
まあいいや、では聞こうか。
日本軍が何処で民衆を虐殺したって?
> 中国大陸で虐殺、強奪 強姦 など やりたい放題やった日本軍の話をしてるんだよ
実例を挙げてみな。
例えば「三光」か?
『・・・・序に附言して置くが、日中の共産党は、この私の三戒標語を、「岡村寧次の可焼、可犯、可殺の三光政策」と偽作し宣伝し、驚いたことには日本の進歩的学者までがその著書などに引用しているのである。あまりの出鱈目で自ら弁明するの要も無いが、第三者である支那派遣軍隷下の師団長であった船引正之氏が、昭和三十五年九月十日発行「政界往来」に『汚辱にみちた日本軍への誤解』と題して書いた文中、これに関する部分を摘記してみよう。
岩波書店出版の『昭和史』に「岡村寧次大将のひきいる北支方面軍は四一、四二年に大規模の掃蕩戦をおこない、中国側から三光政策と呼ばれた残虐な戦術――みな焼け、みな殺せ、みな奪へ――が行こなわれた」とある。また同書店から出た「中国の革命思想」には「日本軍は戦争末期には、"みな焼け、みな殺せ、みな奪へ″のいわゆる三光政策をとって解放区の成長を妨げた。このため一時は解放区の人口が半分に減ったほどである。
三光政策という言葉は私達には初耳である。史学者ともあろう者が一方的の史料のみを鵜呑みにして、まことしやかに公表するのはおかしい。
それはともかくとして、この三光政策なるものは全く事実に反する。(中略)岡村大将の新戦陣訓の第一項が、「焼くな、犯すな、殺すなを三戒とせよ」であったことを私は明確に記憶している。毎日少くとも一回、点呼のとき「焼くな、犯すな、殺すな」を兵隊が合唱しているのが聞えた。
このような無責任な史書が氾濫すると、青少年の将来はどうなるであろうか。
右船引君が証明してくれたとおり共産党の出鱈目は御家芸であるとするも、日本の文化人、学者等が、かくも解かりきった嘘ごとを平気で公表するに至っては驚くの外なく、憎みても余りあることである。
なお後の昭和十八年三月九日附で訓示した『北支部派遣軍将兵に告ぐ』(文句異なるかもしれぬ、本文は戦史室資料に在り)は公表し内地にも伝わったが、その内容は右の不焼、不犯、不殺の外、県政に干渉するな、優越感を放棄せよなど、予てからの私の対中国人意見を多く織り込んだもので、内地でも好評噴々であると来訪者は語った。・・・・』
(『岡村寧次大将資料 上 戦場回想篇』)
> 国際社会においても 東京裁判の有効性は認められてるの知っておいた方がいいんじゃないの(笑)
分かりやすい嘘をつくなよ。
東京裁判の有効性が国際社会で認められているなら、どうして東京裁判以降「平和に対する罪」で裁かれた戦犯が一人もいないんだよ?
「平和に対する罪」の具体的な定義が未だに定まっていない理由を説明してみな。
> 願望は立派な動機なんですけどね、、この程度も理解できませんかね(笑)
願望だけあっても犯罪にはならないということが理解できないのかね(嘲笑)
まあ、ヨミくんなら理解できなくても不思議はないか(藁
> いま あんたと話してんのは 日本政府と日本軍の犯した恥部の話なんだよ(笑)
ああ、つまり文革で殺された中国人や自国軍隊に殺された朝鮮人は「アジアの民衆」ではないとw
いや、流石に私も中国人や朝鮮人は人間未満なんて主張するつもりはないんだが(苦笑)
まあいいや、では聞こうか。
日本軍が何処で民衆を虐殺したって?
> 中国大陸で虐殺、強奪 強姦 など やりたい放題やった日本軍の話をしてるんだよ
実例を挙げてみな。
例えば「三光」か?
『・・・・序に附言して置くが、日中の共産党は、この私の三戒標語を、「岡村寧次の可焼、可犯、可殺の三光政策」と偽作し宣伝し、驚いたことには日本の進歩的学者までがその著書などに引用しているのである。あまりの出鱈目で自ら弁明するの要も無いが、第三者である支那派遣軍隷下の師団長であった船引正之氏が、昭和三十五年九月十日発行「政界往来」に『汚辱にみちた日本軍への誤解』と題して書いた文中、これに関する部分を摘記してみよう。
岩波書店出版の『昭和史』に「岡村寧次大将のひきいる北支方面軍は四一、四二年に大規模の掃蕩戦をおこない、中国側から三光政策と呼ばれた残虐な戦術――みな焼け、みな殺せ、みな奪へ――が行こなわれた」とある。また同書店から出た「中国の革命思想」には「日本軍は戦争末期には、"みな焼け、みな殺せ、みな奪へ″のいわゆる三光政策をとって解放区の成長を妨げた。このため一時は解放区の人口が半分に減ったほどである。
三光政策という言葉は私達には初耳である。史学者ともあろう者が一方的の史料のみを鵜呑みにして、まことしやかに公表するのはおかしい。
それはともかくとして、この三光政策なるものは全く事実に反する。(中略)岡村大将の新戦陣訓の第一項が、「焼くな、犯すな、殺すなを三戒とせよ」であったことを私は明確に記憶している。毎日少くとも一回、点呼のとき「焼くな、犯すな、殺すな」を兵隊が合唱しているのが聞えた。
このような無責任な史書が氾濫すると、青少年の将来はどうなるであろうか。
右船引君が証明してくれたとおり共産党の出鱈目は御家芸であるとするも、日本の文化人、学者等が、かくも解かりきった嘘ごとを平気で公表するに至っては驚くの外なく、憎みても余りあることである。
なお後の昭和十八年三月九日附で訓示した『北支部派遣軍将兵に告ぐ』(文句異なるかもしれぬ、本文は戦史室資料に在り)は公表し内地にも伝わったが、その内容は右の不焼、不犯、不殺の外、県政に干渉するな、優越感を放棄せよなど、予てからの私の対中国人意見を多く織り込んだもので、内地でも好評噴々であると来訪者は語った。・・・・』
(『岡村寧次大将資料 上 戦場回想篇』)
これは メッセージ 19331 (yominokuni56 さん)への返信です.