ソ連の対日 宣戦布告 なんだな(笑)1
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/08/09 06:57 投稿番号: [18863 / 29399]
日本は
宣戦布告も
警告も無く
侵略
侵攻
戦争開始したけどね。
ひと味違う 宣戦布告なんだよ(笑)
ソ連対日宣戦布告
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満州国の首都新京を進軍するソ連軍のSU-76自走砲ソ連対日宣戦布告(ソれんたいにちせんせんふこく Soviet Declaration of War on Japan)とは、1945年8月にソ連が日ソ中立条約を破棄し日本に対して行った宣戦布告を言う。
[編集] 概要
この布告では、連合国が発表したポツダム宣言を黙殺した日本に対し、世界平和を早急に回復するために武力攻撃を行うことが宣言されている。
この宣言に基づいてソ連軍は対日参戦を実行し、満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻し、日本軍と各地で戦闘になった。
布告が日本の佐藤尚武駐ソ連大使に伝達されたのはモスクワ時間1945年8月8日深夜で、9日午前零時を以って戦闘開始されている。
[編集] 内容
ソ連対日宣戦布告においては、ソ連対日参戦の旨とその理由が述べられた。その理由として、まず
(1)日本政府が7月26日の米英中による3国宣言(ポツダム宣言)を拒否したことで、日本が提案していた和平調停の基礎は完全に失われたこと、
(2)日本の宣言無視に対して連合国はソ連に日本の侵略に対する連合国の戦争に参戦して世界平和の回復に貢献することを提案したこと、
(3)ソ連政府は連合国に対する義務に従って右提案を受諾し、7月26日の3国宣言にソ連も参加することを決め、各国人民をこれ以上の犠牲と苦難から救い、日本人を無条件降伏後の危険と破壊から救うためにソ連は対日参戦に踏み切ること、
(4)以上の理由からソ連政府は8月9日から日本と戦争状態に入るべきこと、が宣言された。
[編集] 背景
[編集] 連合国
この宣戦布告が発表された背景には、連合国間の政治的な駆け引きが影響している。1945年になってから連合国はドイツの戦後処理と日本の本土攻略に焦点を当てていた。この討議のためヤルタにおいて会談が開催されることになり、ソ連参戦が議論された。
当時日本と太平洋戦争を遂行していた米国政府はソ連と連携して日本を攻略することを考えており、1945年2月のヤルタ会談において米国はソ連の参戦を「外モンゴルの現状維持」「満州におけるソ連の権益を回復」「大連港を国際化」「南樺太の奪還」「千島併合」の五項目要求をのちに蒋介石の了解を得るという条件で認め、ヤルタ会談で英国も加えて秘密合意に達した。
また5月のポツダム予備会談においてスターリンは極東ソ連軍団が8月中に攻勢作戦を発動すること、満州国領域における中国の主権を尊重すること、朝鮮半島を米ソ英中が信託統治すること、などの旨を表明し、さらに対日処理については、無条件降伏と徹底的な軍備撤廃、ソ連軍による日本占領を主張し、米国に戦略物資の支援を要求した。しかし米国統合参謀本部は、ソ連が戦争の決着がついた所に便乗してくるとの見方を強めていた。
[編集] 日本
日本においては小磯国昭内閣が和平工作を推進し、危機的な状況を主に外交交渉によって打開しようと模索していた。小磯内閣は発足当初、戦争の完遂と同時に対ソ戦争回避を目標として対外政策を進めた。
そのため、小磯内閣は戦争遂行とともにソ連との国交を好転させ、和平工作を進めることに努力した。
しかしソ連は既に日本に対する侵略準備の兆しを見せており、
1944年にスターリンは革命記念日の演説において日本を侵略国と発言し、また7月から8月及び11月から12月に各2回の国境地区における不法行為が発生している。
日本はヤルタの秘密協定の合意を知らず、ソ連の侵略政策を知ることができなかった。
また1945年4月6日にソ連は日ソ中立条約を延長しないことを一方的に決定して日本に通告した。
その理由として「情勢が締結当時と一変し、今日本はソ連の敵国ドイツと組して、ソ連の盟友米英と交戦しており、このような状態において日ソ中立条約の意義は失われた」と述べられた。
同条約の効力が失われるのは1946年4月25日であったが、当時の政府及び軍関係者はソ連の対日参戦の意思をこの時点で認識できなかった。
情報蒐集能力に欠けるのは当時も今も 同じだね(笑)
ひと味違う 宣戦布告なんだよ(笑)
ソ連対日宣戦布告
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満州国の首都新京を進軍するソ連軍のSU-76自走砲ソ連対日宣戦布告(ソれんたいにちせんせんふこく Soviet Declaration of War on Japan)とは、1945年8月にソ連が日ソ中立条約を破棄し日本に対して行った宣戦布告を言う。
[編集] 概要
この布告では、連合国が発表したポツダム宣言を黙殺した日本に対し、世界平和を早急に回復するために武力攻撃を行うことが宣言されている。
この宣言に基づいてソ連軍は対日参戦を実行し、満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻し、日本軍と各地で戦闘になった。
布告が日本の佐藤尚武駐ソ連大使に伝達されたのはモスクワ時間1945年8月8日深夜で、9日午前零時を以って戦闘開始されている。
[編集] 内容
ソ連対日宣戦布告においては、ソ連対日参戦の旨とその理由が述べられた。その理由として、まず
(1)日本政府が7月26日の米英中による3国宣言(ポツダム宣言)を拒否したことで、日本が提案していた和平調停の基礎は完全に失われたこと、
(2)日本の宣言無視に対して連合国はソ連に日本の侵略に対する連合国の戦争に参戦して世界平和の回復に貢献することを提案したこと、
(3)ソ連政府は連合国に対する義務に従って右提案を受諾し、7月26日の3国宣言にソ連も参加することを決め、各国人民をこれ以上の犠牲と苦難から救い、日本人を無条件降伏後の危険と破壊から救うためにソ連は対日参戦に踏み切ること、
(4)以上の理由からソ連政府は8月9日から日本と戦争状態に入るべきこと、が宣言された。
[編集] 背景
[編集] 連合国
この宣戦布告が発表された背景には、連合国間の政治的な駆け引きが影響している。1945年になってから連合国はドイツの戦後処理と日本の本土攻略に焦点を当てていた。この討議のためヤルタにおいて会談が開催されることになり、ソ連参戦が議論された。
当時日本と太平洋戦争を遂行していた米国政府はソ連と連携して日本を攻略することを考えており、1945年2月のヤルタ会談において米国はソ連の参戦を「外モンゴルの現状維持」「満州におけるソ連の権益を回復」「大連港を国際化」「南樺太の奪還」「千島併合」の五項目要求をのちに蒋介石の了解を得るという条件で認め、ヤルタ会談で英国も加えて秘密合意に達した。
また5月のポツダム予備会談においてスターリンは極東ソ連軍団が8月中に攻勢作戦を発動すること、満州国領域における中国の主権を尊重すること、朝鮮半島を米ソ英中が信託統治すること、などの旨を表明し、さらに対日処理については、無条件降伏と徹底的な軍備撤廃、ソ連軍による日本占領を主張し、米国に戦略物資の支援を要求した。しかし米国統合参謀本部は、ソ連が戦争の決着がついた所に便乗してくるとの見方を強めていた。
[編集] 日本
日本においては小磯国昭内閣が和平工作を推進し、危機的な状況を主に外交交渉によって打開しようと模索していた。小磯内閣は発足当初、戦争の完遂と同時に対ソ戦争回避を目標として対外政策を進めた。
そのため、小磯内閣は戦争遂行とともにソ連との国交を好転させ、和平工作を進めることに努力した。
しかしソ連は既に日本に対する侵略準備の兆しを見せており、
1944年にスターリンは革命記念日の演説において日本を侵略国と発言し、また7月から8月及び11月から12月に各2回の国境地区における不法行為が発生している。
日本はヤルタの秘密協定の合意を知らず、ソ連の侵略政策を知ることができなかった。
また1945年4月6日にソ連は日ソ中立条約を延長しないことを一方的に決定して日本に通告した。
その理由として「情勢が締結当時と一変し、今日本はソ連の敵国ドイツと組して、ソ連の盟友米英と交戦しており、このような状態において日ソ中立条約の意義は失われた」と述べられた。
同条約の効力が失われるのは1946年4月25日であったが、当時の政府及び軍関係者はソ連の対日参戦の意思をこの時点で認識できなかった。
情報蒐集能力に欠けるのは当時も今も 同じだね(笑)
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.