ヒロシマの有る国で考えること
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/06 11:37 投稿番号: [18791 / 29399]
被爆国の閣僚が、広島・長崎への原爆投下を「しょうがない」と言い放ち、
また一方では政権与党の政治家の中から核武装論まで持ち出される今日、
我々は
62回目の「原爆の日」を迎えた。
原爆投下が日本の敗戦を決定づけただとか、犠牲者を最小限にとどめたなどという、
このような
米軍に都合のよい後づけの大義名分を持ち出しても、
罪なき市民を無差別に殺害した核兵器の使用が正当化されるはずはない。
原爆投下が必要であったという理論は、戦後の軍事大国が好んで用いる「核抑止論」、
つまり核が戦争を抑止して平和維持に役立っているという理屈に
つながっている。
原爆で犠牲となった人々にとって絶対に承服しかねる核兵器正当化、軍事力優先の
禍々しい思想が
そこにある。
いま、武力を放棄し不戦を誓った日本国憲法9条を葬ろうとする策動が展開されている。
その策動の中心にあるのが
この核正当化、軍事力優先の思想に固執する勢力なのだ。
日本の憲法改悪に執着するものは、どこまでも核兵器にしがみつく米国と、
その米国の核と軍事力を信奉し、隷従し続ける勢力にほかならない。
こうした勢力から、被爆者の心を踏みにじる「しょうがない」論や、核廃絶の願いを
蔑ろにする「核の傘で平和が守られる」論が垂れ流されるのは
当然といえる。
罪のない子供たちが焼き殺されたことが「しょうがない」と言える感覚だからこそ、
軍事力を放棄することで世界に類例のない平和を築いた憲法を
邪魔だと感じるのだ。
半世紀以上もの期間一度も他国と戦火を交えず、一兵たりとも殺さず、殺されず、
平和ボケと揶揄されるほどの史上例なき平和と安定、世界の羨望を集める繁栄は、
軍事力に固執する「普通の国」ではない平和国家だからこそ実現したものだ。
ヒロシマ・ナガサキがある国、核兵器を作らず
持たず
持ち込ませない国、
被爆者の願いを背負って核廃絶を呼びかける立場の国にあって、いまこそ日本人が
なすべきことは、米国の意向に従うだけの「普通の国」になることなどではないと思う。
超大国の強大な軍事力をもってしても世界平和が達成されることはない。
軍事力行使が平和を構築するどころか、むしろ
新たな憎悪と悲しみを生み、
恐怖と不信を増幅し、テロを醸成して
破壊と殺戮の泥沼を深め続けている。
国際貢献という名目の米軍支援は、その泥沼への入り口に踏み込むものだ。
世界に誇るべき
この平和国家を、「普通の国」などにしてはならない。
それは、62年前に焼け死んだ人々の犠牲を
無駄にする行為でもある。
これは メッセージ 18660 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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