いえ、黄錦周さんを用意してました。
投稿者: totalx3 投稿日時: 2003/06/10 11:07 投稿番号: [1759 / 29399]
クマラスワミCoomaraswamy報告にもでてくる、黄錦周さんの証言の移り変わり
--------------
-
「12歳の時100円で売られ、1938年ソウルで女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって
満州に連行され慰安婦となる」高木健一tagagi kennichi『従軍慰安婦と戦後補償』
「威興の女学Zに在学中(売られて女中になっても学校に行かせてもらったのか?q)の
17歳の時1939年に、国民徴用令で動員され、軍需工場に行くと思っていたが、着いた所は
吉林の慰安所だった」平成7年朝日asahi新聞インタビュー
「私は、19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ、仕方なく慰安所に行ったんだ!
日本人に便所と言われ、もうこれ以上我慢できない!あの時死んでおけばよかったんだ!
これ以上生きててもしょうがない!もう死んでやる、殺してくれ!」TBS「ここが変だよ日本人」より
「満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を出すように伝達をしました。
何をするのかよく分からなかったのですが、ソウルの工場か何かで働くのだろうと思っていました。
姉は家から離れて生活していていなかったので、私が代わって出ることになりました。」
(日韓社会科教育交流団韓国を訪問)1997.夏
集会でハルモニは、「14歳のとき、いわゆる少女供出で満州に連行され、
皇軍兵士のセックスのはけ口にされた、つらい体験を語りました。」
(黄錦周さんの証言を聞く会)2001.07.17 東京大学にて
クマラスワミ報告
1996年1月4日
17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に
働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。
3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。
かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったので抵抗しました。
私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、
下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いました。そしてふたたび
気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。
これは メッセージ 1758 (donndokodonn123 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/1759.html