沖縄の従軍慰安婦
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2003/06/07 22:39 投稿番号: [1741 / 29399]
沖縄本島や、もっと南の南西諸島などにも「慰安所」は、ありました。
1944年には、沖縄県内には約「130箇所」あったそうです。
小さな島々にも、女性達は送られました。
玉城※※(旧姓※※・※※出身)
当時大山医院の看護婦として勤務していた。慰安婦たちの性病検査にあたったときの様子である。
「大山医院には、朝鮮人慰安婦の人たちが定期的に性病の検診のため連れてこられていました。一か月に一回から二週間に一回の割合で、一〇人から一五人ぐらいの女性たちが、憲兵に強制的に引っ立てられて来ました。その扱われ方といったら、まるで動物を追い立てるみたいなやり方でした。
朝鮮人慰安婦はみな美しい娘たちで、色白ですらりとした姿がとても印象的でした。どうやら年のころも十六、七歳と、私と同い年ぐらいに見えました。
今日でこそ、彼女たちは強制的に慰安婦にさせられたんだとわかりますが、当時は全く知りませんでした。憲兵は彼女たちのことを『自分で望んで朝鮮から商売に来ている』と私たちに説明しました。私はそれを聞いて『どうしてこんなに美しいお嬢さんたちが、沖縄のような遠いところで、こんな商売しなければならないんだろうか』と不思議でたまりませんでした。
また、彼女たちの多くは暗い表情でうな垂れていたり、またある者はあからさまな反抗を示していました。それを見ると『自分で望んで来てる筈なのにどうしてなのだろうか』と何かしら腑に落ちない気がしていましたが、それほどには気にとめていないんですね。あの頃は戦時中で、人のことをゆっくり考えている余裕はなかったんです。
慰安婦の一人に、とてもイジグヮー(気)が強い人がいました。性病の検診ですから若い娘には恥ずかしくて嫌だったんでしょう。診察台に絶対にのらないと、病院の中を逃げまわったりしていつも反抗していました。すると憲兵が追いかけて、怖い顔をして、冷たく厳しい声で『なんで、お前、どうしたんだ。行け、やれ』そう言って慰安婦を殴るんですよ。私はびっくりして『あんなにまでして。嫌がっているのに、検診もさせなければいいのに』と思いました。
かわいそうな彼女たちに話かけたいんだけど、言葉も分からないので、ただ彼女たちにつけられている日本名を呼んで、『こっちに寝なさい、服を脱いでここに来て』など、看護婦としての業務に関わることをジェスチャーを交えて伝えるのが精一杯でした。また彼女たちの方でも、私たち看護婦に対してすら反発心を持っていたように思います。
当然ですね、日本人にあんな目に遭わされていたんですから。それでも、反抗的な態度をとった者が叩きのめされてからは、残りの人はみな『はい』と言って私たちの指示にも従いました。
こうした屈辱的な検診の結果、朝鮮人慰安婦の中に梅毒や淋病などの性病に感染している人が四、五人いることが判明しました。しかし性病だと分かっても、大山医院には薬が無かったので、治療はできませんでした。
性病の治療法としては 〔六〇六号〕 という薬を静脈から注入するなどの方法がありましたが、この薬は高価で貴重な薬だったので、まったく使われませんでした。医院では住民に処方する薬も欠乏している状況だったので、どうしようもなかったのです。
検診の結果は院長先生から憲兵に直接伝えられました。私はそばで聞いていたのですが、先生は『ここに治療薬はないから、軍のほうで処方してくれ』とおっしゃっていました。ですが軍で薬を用意していたかどうかはわかりません。
とにかく性病はどんどん人に感染するんですけど、彼女たちは性病との診断を受けて、その後はどうなったのでしょうかよくわかりません。
将校の相手をするジュリ(遊女)たちは、同じ慰安婦でも朝鮮の人たちとは違って大山医院での検診はありませんでした」。
1944年には、沖縄県内には約「130箇所」あったそうです。
小さな島々にも、女性達は送られました。
玉城※※(旧姓※※・※※出身)
当時大山医院の看護婦として勤務していた。慰安婦たちの性病検査にあたったときの様子である。
「大山医院には、朝鮮人慰安婦の人たちが定期的に性病の検診のため連れてこられていました。一か月に一回から二週間に一回の割合で、一〇人から一五人ぐらいの女性たちが、憲兵に強制的に引っ立てられて来ました。その扱われ方といったら、まるで動物を追い立てるみたいなやり方でした。
朝鮮人慰安婦はみな美しい娘たちで、色白ですらりとした姿がとても印象的でした。どうやら年のころも十六、七歳と、私と同い年ぐらいに見えました。
今日でこそ、彼女たちは強制的に慰安婦にさせられたんだとわかりますが、当時は全く知りませんでした。憲兵は彼女たちのことを『自分で望んで朝鮮から商売に来ている』と私たちに説明しました。私はそれを聞いて『どうしてこんなに美しいお嬢さんたちが、沖縄のような遠いところで、こんな商売しなければならないんだろうか』と不思議でたまりませんでした。
また、彼女たちの多くは暗い表情でうな垂れていたり、またある者はあからさまな反抗を示していました。それを見ると『自分で望んで来てる筈なのにどうしてなのだろうか』と何かしら腑に落ちない気がしていましたが、それほどには気にとめていないんですね。あの頃は戦時中で、人のことをゆっくり考えている余裕はなかったんです。
慰安婦の一人に、とてもイジグヮー(気)が強い人がいました。性病の検診ですから若い娘には恥ずかしくて嫌だったんでしょう。診察台に絶対にのらないと、病院の中を逃げまわったりしていつも反抗していました。すると憲兵が追いかけて、怖い顔をして、冷たく厳しい声で『なんで、お前、どうしたんだ。行け、やれ』そう言って慰安婦を殴るんですよ。私はびっくりして『あんなにまでして。嫌がっているのに、検診もさせなければいいのに』と思いました。
かわいそうな彼女たちに話かけたいんだけど、言葉も分からないので、ただ彼女たちにつけられている日本名を呼んで、『こっちに寝なさい、服を脱いでここに来て』など、看護婦としての業務に関わることをジェスチャーを交えて伝えるのが精一杯でした。また彼女たちの方でも、私たち看護婦に対してすら反発心を持っていたように思います。
当然ですね、日本人にあんな目に遭わされていたんですから。それでも、反抗的な態度をとった者が叩きのめされてからは、残りの人はみな『はい』と言って私たちの指示にも従いました。
こうした屈辱的な検診の結果、朝鮮人慰安婦の中に梅毒や淋病などの性病に感染している人が四、五人いることが判明しました。しかし性病だと分かっても、大山医院には薬が無かったので、治療はできませんでした。
性病の治療法としては 〔六〇六号〕 という薬を静脈から注入するなどの方法がありましたが、この薬は高価で貴重な薬だったので、まったく使われませんでした。医院では住民に処方する薬も欠乏している状況だったので、どうしようもなかったのです。
検診の結果は院長先生から憲兵に直接伝えられました。私はそばで聞いていたのですが、先生は『ここに治療薬はないから、軍のほうで処方してくれ』とおっしゃっていました。ですが軍で薬を用意していたかどうかはわかりません。
とにかく性病はどんどん人に感染するんですけど、彼女たちは性病との診断を受けて、その後はどうなったのでしょうかよくわかりません。
将校の相手をするジュリ(遊女)たちは、同じ慰安婦でも朝鮮の人たちとは違って大山医院での検診はありませんでした」。