南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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揚子江を埋めた屍 2

投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/06/05 23:16 投稿番号: [16417 / 29399]
教導総隊(桂永清)、八十七師(王敬久)、八十八師(係元良)、七十四軍(兪済時)、六十六軍(葉肇・広東軍)、
それに南京警察などは、中山路に沿ってユウ江門を抜けて下関にゆこうと先を争って、誰も譲らなかった。
ユウ江門を守っていた三十六師(宋希濂)と激しい衝突となり、混乱は頂点に達した。

下関はさらに混乱、船は少なくなった。それでも人びとは船を奪い合い、勝手に発砲した。
船は重量に耐えられず、長江の半ばで転覆するものや、河に漕ぎ出した船を撃って、民船を沈没させる者もいた。
まさに、地獄絵そのものだった。

多くの将兵は、商店の扉や門の板を外して、速成の筏(いかだ)を作ったりしたが、
長江の流水を制御することが出来ず、転覆する者、溺死する者も、
千百人(百人が千ある。つまり「沢山」の意味)を越えた。
悲しみの声と救いを求める声は南北両岸に響き、嘆きの感情は鬼哭(きこく)に充ちて、
人の世の惨劇を呪っているようだった。


とある。
舟に乗った者も積載オーバーで沈没多くの兵士が溺れて流された。

この時、既に、舟がなくなり、脱出出来なかった兵士は城内に戻り、
市民を殺して衣服を剥ぎ取り、民間人に化けて安全区に隠れた。
八十八師長の孫元良も安全区に隠れた。

船もないのに、日本軍が進撃してくる時間帯、下関に大量の軍民がいる事自体おかしい。
本来なら、安全区にいるはずなのに。


ところで、海軍戦史叢書によれば、8月13日は

「13:30前衛隊、15:15主隊の順に泊地発、縦陣列で閉塞線を突破し、南京に向けて進撃を開始した。
江上、江岸は敗走する敵大部隊、舟艇、筏で充満していた。
各艦は、これに攻撃を加え、更に天河口・硫安工場付近の野砲陣地その他の抵抗を排除しつつ前進し、
先頭の「保津・勢多」は15:40、主隊は17:00南京に突入した。」

とある。
これを見れば、赤星義雄氏の話を裏付けそうだが、この話もおかしい。

なぜなら、南京城の北側、即ち、海軍が通る岸辺は、既に、軽装甲車中隊と歩兵が敵を殲滅しているからである。
海軍が通るころに、そのような敵大部隊がいるのは不自然。

  確実にあるのは、揚子江に浮かぶ死体だけ。
  海軍は、これに砲撃して、自分たちの手柄としたのではないか。
  その為、話を作っていないか。

陸軍の下関の戦果にしても、元々、そこにあった死体を、自分たちの手柄として報告してはいないか。
佐々木倒一少将私記にしても、最初からあった死体には一言もふれてないから、
戦果として報告されているはずだ。

そもそも、陸軍が来たころ、下関に、大量の軍民がいたという話自体が不自然な事。
装甲車に追われて来た兵はともかく。

12日の夜に舟は無くなり、兵はあきらめて城内の安全区に潜伏していた。
この話は元からあった死体や漂流死体を戦果にするために作られた話と考えるべきだろう。
それが、いつしか「本当」とされ、最後に南京大虐殺の材料にされてしまった。


次に、揚子江上流で起きた、もう一つの死体漂流の原因を挙げよう。

13日午前6時、江岸を北上する第六師団第45連隊第11中隊は、南下してきた中国軍第74軍と遭遇、戦闘となった。
危うく包囲されかけたが、大隊砲と連隊主力の応援で危機を切り抜け、逆に殲滅戦に移った。

第45連隊は追撃し、北河鎮を経て「大同製麺公司」工場にたてこもる残兵を一掃した。
次いで、江岸に機銃をすえ、筏や戸板にすがって渡河しようとする残兵を掃射した。
   児島襄著『日中戦争』文春文庫4巻220〜221頁

これも、赤星氏の見た漂流死体に加わっているはず。
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