南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 揚子江を埋めた屍 1

投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/06/05 23:05 投稿番号: [16416 / 29399]
赤星義雄氏が揚子江に浮かぶ死体を見たのは事実だろう。
その時期、そこに浮かんでいるはずだから。
だが、その死体ができた原因の伝聞はどうだろうか。


海軍が下関に着いたのは13日の15:40なのだ。

ところが、その前の午前10時頃には、佐々木倒一少将の部下の軽装甲車中隊が下関に突進している。
佐々木倒一少将私記によれば、

「軽装甲車中隊午前十時頃先ず下関に突進し、江岸に蝟集し或いは江上を逃れる敗敵を掃討して
無慮一万五千発の弾丸を撃ち尽くした。この間歩三八は城北に面する五個の城門を占領して敵の退路を絶ち、
連隊長は三三の大隊と共に装甲車に追及して西面ユウ江門付近に進出し、逃げ遅れた敵兵と戦闘を交えた。」

とある。
どうして、海軍が来たときに、下関から浦口へ向かう船があるだろうか。あるはずがない。
というか、軽装甲車隊が来る、はるか前に船はなくなっていたのだ。

では、大量の死体の漂流は、佐々木倒一少将の部下が作ったのか。
実はこれも、怪しい、なぜなら、日本軍が来る前、
既に、下関には大量の死体の山と大量の死体漂流が出来ていたからだ。


原因は、中国側の同士討ちにあった。

南京の守城を任された唐生智は、部下に徹底抗戦を命じておきながら、
12月12日、自分の手勢を連れて船で逃げた。
その時、部下が逃げないよう、大きな船を持って行った。

唐生智が逃げた事を知った中国兵は我先にと下関の港に殺到、しかしユウ江門が狭くて出られない。
殺到する兵に前の者が、押し倒され、踏み潰されて死体の山が出来た。

港へ出ても船がない。小舟の奪い合いで死体の山が出来た。
そして、船に乗った者も、積載オーバーで沈没、溺れた。


中国側   訒竜光の回顧録

わが方は第八十三軍(広東軍、訒竜光)が命令通り、棲霞山付近にいた敵軍の前を迂回して脱出に成功しただけで、
他はすべて下関に押し寄せ、勝手放題に船を求めて殺到した。このことが、十二日夜、
ユウ江門、下関一帯に極度の混乱を招き、戦史の上でも稀にみる、一大悲劇を招いた原因になった。

長江両岸を連絡する下関と浦口との間には、もともと二隻のフェリーが就航していた。
このフェリーは一回に七、八百人を乗船させることが可能で、一往復するのに、四、五十分かかる。
午後五時には暗くなるので、夜明けまでに十四時間航行することが出来
(昼間は空襲があるので航行出来ない=原註)、

もし防衛長官がこのフェリーを確保していれば、少くとも三万人の渡河が可能だったであろう。
しかし、彼等(唐生智司令部)は、この二隻のフェリーを既に漢口に行かせてしまっていた。
下関の船着き場に残っていたのは数隻のランチ(せいぜい、百馬力ほどのもの=原註)と、
二、三百隻の民船だけであった。

これだけ多くの人員が渡ろうとしていることと、船がこれだけしかないことが、
また悲惨な事件への導火線となった。
(その中で)唐生智はすぐに渡河をはじめたが、各部隊は指示通り前方突破には向わなかった。

つづく
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)