Re: 沖縄3市議会が意見書 教科書削除に抗
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/05/17 20:57 投稿番号: [15825 / 29399]
とっくの昔に間違いとして、訂正されていたものが、過去を知らない者によって、
また虚構の歴史として、持ち上げられている。
本当は、曽野綾子氏の本が良いのだが、無いので『正論』で引用する。
『正論』2006年9月号
133ページ
渡嘉敷島の集団自決が赤松元大尉の自決命令によるものだとする 《赤松命令説》 が覆ったのは、
昭和48年に曽野綾子氏が著した 『ある神話の背景』 の発行による。
曽野氏の徹底した現地調査と綿密な考証によって、それは、根拠のない虚構であったことが明らかにされたのだ。
平成12年10月に開かれた司法制度改革審議会において、曽野氏は、この問題を紹介し、
「これほど激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決命令を出した、
という証言は、ついにどこからも得られませんでした」と述べている。
例えば、住民の玉砕を決めた将校会議に立会ったとされている知念元少尉は、
曽野氏の取材に対し、これを完全に否定し、
急遽守備隊に転身し山に登った状況下で 「将校会議ができるような壕など全くありえない」 と証言した。
また、命令があったと告発していた古波蔵村長は軍から命令を直接受けたことはないと言い、
あらゆる命令は安里元巡査を通じて受け取ることになっていたと証言した。
ところが命令を伝達したはずの安里元巡査はこれを完全に否定し、
逆に赤松元大尉から 「あんたたちは非戦闘員だから、最後まで生きてくれ、生きられる限り生きてくれ。
只、作戦の都合があって邪魔になるといけないから部隊の近くのどこかへ避難させておいてくれ」 と言われ、
住民を「生かすために」山の中に避難させたところ 「村長以下、みな幹部もね、捕虜になるより死んだほうがいい」
と半狂乱になった状況を証言した。村長が集団自決の音頭をとっていた様子は、
『沖縄県史第10巻』 に収められた村民の証言からも確認できる。
更に、その古波蔵村長や赤松隊関係者の証言から、赤松隊が自決に失敗した村民の救護のために
衛生兵を派遣して治療にあたらせていたことが明らかになったのだ。
自決命令を出した部隊が自決に失敗した負傷者の救護を行うことはありえない。
『ある神話の背景』 における曽野氏の論証は圧倒的である。
結局のところ、『鉄の暴風』 の 《赤松命令説》 は、知念元少尉、安里元巡査といった鍵を握る沖縄側の証人への
取材もないまま、不確かな伝聞を頼りに執筆者の想像で書かれたものに過ぎなかった。
それは創作された 「神話」 であった。
梅澤元少佐の意見陳述
134〜135ページ
夜10時頃、戦備に忙殺されて居た本部壕へ村の幹部が5名来訪して来ました。
助役・宮里盛秀、収入役・宵平正次郎、校長・玉城政助、吏員・宮平恵達、女子青年団長・宮城初枝の各氏です。
その時の彼らの言葉は今でも忘れることが出来ません。
「いよいよ最後の時が来ました。お別れの挨拶を申し上げます。
老幼婦女子は、予ての決心の通り、軍の足手纏いにならぬ様、又食糧を残す為自決します。
就きましてはひと思いに死ねる様、村民一同忠魂碑前に集合するから中で爆薬を破裂させて下さい。
それが駄目なら手榴弾を下さい。役場に小銃が少しあるから実弾を下さい。以上聞き届けて下さい。」
その言葉を聞き、私は愕然としました。・・・ 私は5人に、毅然として答えました。
『決して自決するでない。軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる。
村民も壕を掘り食糧を運んであるではないか。壕や勝手知った山林で生き延びて下さい。
共に頑張りましょう。弾薬、爆薬は渡せない』
つづく
また虚構の歴史として、持ち上げられている。
本当は、曽野綾子氏の本が良いのだが、無いので『正論』で引用する。
『正論』2006年9月号
133ページ
渡嘉敷島の集団自決が赤松元大尉の自決命令によるものだとする 《赤松命令説》 が覆ったのは、
昭和48年に曽野綾子氏が著した 『ある神話の背景』 の発行による。
曽野氏の徹底した現地調査と綿密な考証によって、それは、根拠のない虚構であったことが明らかにされたのだ。
平成12年10月に開かれた司法制度改革審議会において、曽野氏は、この問題を紹介し、
「これほど激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決命令を出した、
という証言は、ついにどこからも得られませんでした」と述べている。
例えば、住民の玉砕を決めた将校会議に立会ったとされている知念元少尉は、
曽野氏の取材に対し、これを完全に否定し、
急遽守備隊に転身し山に登った状況下で 「将校会議ができるような壕など全くありえない」 と証言した。
また、命令があったと告発していた古波蔵村長は軍から命令を直接受けたことはないと言い、
あらゆる命令は安里元巡査を通じて受け取ることになっていたと証言した。
ところが命令を伝達したはずの安里元巡査はこれを完全に否定し、
逆に赤松元大尉から 「あんたたちは非戦闘員だから、最後まで生きてくれ、生きられる限り生きてくれ。
只、作戦の都合があって邪魔になるといけないから部隊の近くのどこかへ避難させておいてくれ」 と言われ、
住民を「生かすために」山の中に避難させたところ 「村長以下、みな幹部もね、捕虜になるより死んだほうがいい」
と半狂乱になった状況を証言した。村長が集団自決の音頭をとっていた様子は、
『沖縄県史第10巻』 に収められた村民の証言からも確認できる。
更に、その古波蔵村長や赤松隊関係者の証言から、赤松隊が自決に失敗した村民の救護のために
衛生兵を派遣して治療にあたらせていたことが明らかになったのだ。
自決命令を出した部隊が自決に失敗した負傷者の救護を行うことはありえない。
『ある神話の背景』 における曽野氏の論証は圧倒的である。
結局のところ、『鉄の暴風』 の 《赤松命令説》 は、知念元少尉、安里元巡査といった鍵を握る沖縄側の証人への
取材もないまま、不確かな伝聞を頼りに執筆者の想像で書かれたものに過ぎなかった。
それは創作された 「神話」 であった。
梅澤元少佐の意見陳述
134〜135ページ
夜10時頃、戦備に忙殺されて居た本部壕へ村の幹部が5名来訪して来ました。
助役・宮里盛秀、収入役・宵平正次郎、校長・玉城政助、吏員・宮平恵達、女子青年団長・宮城初枝の各氏です。
その時の彼らの言葉は今でも忘れることが出来ません。
「いよいよ最後の時が来ました。お別れの挨拶を申し上げます。
老幼婦女子は、予ての決心の通り、軍の足手纏いにならぬ様、又食糧を残す為自決します。
就きましてはひと思いに死ねる様、村民一同忠魂碑前に集合するから中で爆薬を破裂させて下さい。
それが駄目なら手榴弾を下さい。役場に小銃が少しあるから実弾を下さい。以上聞き届けて下さい。」
その言葉を聞き、私は愕然としました。・・・ 私は5人に、毅然として答えました。
『決して自決するでない。軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる。
村民も壕を掘り食糧を運んであるではないか。壕や勝手知った山林で生き延びて下さい。
共に頑張りましょう。弾薬、爆薬は渡せない』
つづく
これは メッセージ 15804 (news_provider_neu さん)への返信です.