残虐な通州事件を知れ
投稿者: igutikeigi771 投稿日時: 2007/04/08 08:56 投稿番号: [15083 / 29399]
シナ人がいわゆる南京事件(1937年12月13日)より前に起こした、歴史の年表から消し去ろうとしている残虐な通州事件(昭和12(1937)年7月29日)を知れ。
シナ人の残虐性を知ることが出来る。シナ人によるシナ人の虐殺は明末における清軍の残虐をつづって、 清朝政府により発行を禁止されていた 皆殺しの民族史『明夷待訪録』 や 『揚州十日談』、 『嘉定大虐殺城記』
昭和12(1937)年7月29日、北京の東方は、冀東(きとう)防共自治政府の首都・通州で「大虐殺」がなされました。いわゆる「通州事件」と呼ばれるものです。「南京大虐殺」が大々的に取り上げられるのとは反対に、何故か、意図的に年表からも削除されている事が多く、教科書にも全く取り上げられる事の無い、この「通州事件」について、今回は書いてみたいと思います。
「通州事件」 ── 又の名を「通州大虐殺」とも呼ばれるこの事件は、「廬溝橋事件」の3週間後、起こりました。当時、通州には、「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子や朝鮮人(当時は日本国籍だった)を含む日本人居留民、天津特務機関長・細木繁中佐ら軍人等200余人が住んでいました。
通州には、日本軍の守備隊も駐屯していたのですが、たまたま、主力が南苑攻撃の為、町を離れ、僅か110名の留守部隊しか残っていなかった所へ、支那保安隊千数百名が襲撃を掛けたのです。
通州を襲撃した支那保安隊は、多勢にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させ、余勢を駆って、何とあろう事か、日本人居留民をも「標的」にしたのです。支那保安隊は、日本人居留民を通州城内に全員集め、城門を閉めた上で(要は城外へ逃げられない様にして)、日本人居留民の住宅一軒々々に火を放ち、女性には暴行を加えた上で局部に丸太を突き刺す等して殺害、子供は両手・両足を切断し、男性には首に縄を巻き付けた上で引き回す等、「残虐」の限りを尽くしたのです。前回のコラム(『83.「日本軍国主義」の象徴 ── 「南京大虐殺」等あり得ない!!』)で指摘した「皆殺し」。正にその「皆殺し」が現実のものとして、支那保安隊によって繰り広げられた訳です。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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