Re: 南京大虐殺・慰安婦強制連行の核心②
投稿者: oraha_orahazou 投稿日時: 2007/03/25 15:06 投稿番号: [14766 / 29399]
>思えば、陸軍兵への朝鮮人の大量動員が開始されたのは、日中戦争開始の翌1938年以降なのである。
日本の敗戦後の朝鮮については、oraha解説。
日本の敗戦後、朝鮮半島の取扱いについては米ソが対立し、朝鮮の独立問題については国連で審議されることになった。
国連で、ソ連は駐留している米ソ両軍の撤退と、朝鮮の自主独立を主張したが、米国は、国連監視下による民主選挙によって政府を樹立することを主張した。
結局、国連では、米国の提案(原案)にそって民主選挙で建国(政府樹立)することを決定したが、ソ連と朝鮮北部の政治勢力(今の北朝鮮)が此れに反発し、国連選挙監視団の立ち入りを拒絶したため、国連は已む無く38度線以南(現在の韓国)での単独選挙を支援することになる。
しかし、この38度線以南での単独選挙をついては、朝鮮南部だけで民主選挙を行おうとする政治勢力と、朝鮮南部での単独政府樹立に反対する政治勢力との対立を生み、後者の政治勢力は、朝鮮北部の政治勢力(金日成を中心とする共産主義勢力)と連携して単独政府樹立に反対した。
その後、1948年4月に済州島で単独政府樹立の反対と米駐留軍の撤退とを訴えて一部住民が武装蜂起し、役所や警察署を襲撃する事件(いわゆる済州島4・3事件)が発生したが、朝鮮南部での単独政府樹立については、1948年5月に民主選挙が実施され、同年8月に大韓民国政府が樹立された。そして、これに続く翌9月に朝鮮民主主義人民共和国が建国される。
その後は、南北は38度線付近で軍事的な小競り合いを続けるのだが、1950年6月25日、北朝鮮建国後わずか2年で、北朝鮮軍は38度線を越えて突然南侵することになる(いわゆる朝鮮戦争)。
この朝鮮戦争では、死傷者が100万人とも300万人とも伝えられているほか、軍による民間人虐殺などの事件(いわゆる1950年7月の老斤里事件)も発生している。
さて、この朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定が締結されて戦闘の終結をみるのだが、ここでも、歴史を眺めることが主たる目的ではない。
わが国の特定失踪者問題調査会によって公開されている失踪者リストは、何故か昭和23(1948年)から始まり、その数は公開者だけでも261名、非公開者も含めると、その数460名に上る。
昭和23年と言えば、北朝鮮が建国された年と重なることになる。
そして、昭和25年に朝鮮戦争がはじまる。
救う会と政府が認定した拉致被害者リストでは、最初に拉致された時期は、朝鮮戦争終結後、丁度10年ほど経った1963年となるが、これも、特定失踪者が北朝鮮による拉致被害者ではないことを示すものではない。
特定失踪者については、昭和20年代に遡る事例や、そもそも拉致の観点から捜査をされたものが少なく、捜査機関により家出や自殺と断定され、捜査を打ち切られたものも多数存在する。たとえ拉致被害者だったとしても、そう認定するだけの情報が決定的に不足しているに過ぎない。
永く北朝鮮政体は、拉致問題を否定し続けてきたが、平成14年9月17日、金正日が日本人拉致の存在を認め、軍の一部の盲動主義によるものなどと主張した。
また、今回北朝鮮によるルーマニア人拉致被害者ドイナさんの身元が判明したことで、北朝鮮による拉致犯罪が広く世界の各地で繰り広げられていた現実が明るみになり、この拉致犯罪が、日本の朝鮮支配などの歴史上の問題とは無縁なことも明らかになった。
戦前の日本軍は、日中戦争が開始されるまでは、軍紀の乱れによる広範囲な蛮行は知られていない。このことは、、日本軍の軍紀が適切に保持されてきたことを意味するものと思われる。
それが、日中戦争に突入し、日本人兵士だけでは不足するようになると、開戦の翌年から植民地支配によって抑圧されてきた朝鮮人を大量に“日本軍兵士”として徴用し、各戦地へ大量に動員している(勿論、日本語も話せる)。
日本軍の軍紀の乱れと、この朝鮮人の“日本軍兵士”としての大量動員とが無関係とは思えない。永く日本の植民地支配に苦しめられていた朝鮮人が、戦勝地で今度は自らが支配する側になるからだ。
また、北朝鮮は突然に南侵するという暴挙(朝鮮戦争)にも及んでいる。
さらには、金正日が北朝鮮による日本人拉致という蛮行の存在も認めている。
もっと言えば、いまだに北朝鮮では、自国民に対してさえも、残虐な蛮行という人権侵害が繰り広げられている。
こうして歴史を眺めてみると、不思議と日中戦争以降のアジアの蛮行がひとつの線で繋がって見えてくる。(了)
日本の敗戦後の朝鮮については、oraha解説。
日本の敗戦後、朝鮮半島の取扱いについては米ソが対立し、朝鮮の独立問題については国連で審議されることになった。
国連で、ソ連は駐留している米ソ両軍の撤退と、朝鮮の自主独立を主張したが、米国は、国連監視下による民主選挙によって政府を樹立することを主張した。
結局、国連では、米国の提案(原案)にそって民主選挙で建国(政府樹立)することを決定したが、ソ連と朝鮮北部の政治勢力(今の北朝鮮)が此れに反発し、国連選挙監視団の立ち入りを拒絶したため、国連は已む無く38度線以南(現在の韓国)での単独選挙を支援することになる。
しかし、この38度線以南での単独選挙をついては、朝鮮南部だけで民主選挙を行おうとする政治勢力と、朝鮮南部での単独政府樹立に反対する政治勢力との対立を生み、後者の政治勢力は、朝鮮北部の政治勢力(金日成を中心とする共産主義勢力)と連携して単独政府樹立に反対した。
その後、1948年4月に済州島で単独政府樹立の反対と米駐留軍の撤退とを訴えて一部住民が武装蜂起し、役所や警察署を襲撃する事件(いわゆる済州島4・3事件)が発生したが、朝鮮南部での単独政府樹立については、1948年5月に民主選挙が実施され、同年8月に大韓民国政府が樹立された。そして、これに続く翌9月に朝鮮民主主義人民共和国が建国される。
その後は、南北は38度線付近で軍事的な小競り合いを続けるのだが、1950年6月25日、北朝鮮建国後わずか2年で、北朝鮮軍は38度線を越えて突然南侵することになる(いわゆる朝鮮戦争)。
この朝鮮戦争では、死傷者が100万人とも300万人とも伝えられているほか、軍による民間人虐殺などの事件(いわゆる1950年7月の老斤里事件)も発生している。
さて、この朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定が締結されて戦闘の終結をみるのだが、ここでも、歴史を眺めることが主たる目的ではない。
わが国の特定失踪者問題調査会によって公開されている失踪者リストは、何故か昭和23(1948年)から始まり、その数は公開者だけでも261名、非公開者も含めると、その数460名に上る。
昭和23年と言えば、北朝鮮が建国された年と重なることになる。
そして、昭和25年に朝鮮戦争がはじまる。
救う会と政府が認定した拉致被害者リストでは、最初に拉致された時期は、朝鮮戦争終結後、丁度10年ほど経った1963年となるが、これも、特定失踪者が北朝鮮による拉致被害者ではないことを示すものではない。
特定失踪者については、昭和20年代に遡る事例や、そもそも拉致の観点から捜査をされたものが少なく、捜査機関により家出や自殺と断定され、捜査を打ち切られたものも多数存在する。たとえ拉致被害者だったとしても、そう認定するだけの情報が決定的に不足しているに過ぎない。
永く北朝鮮政体は、拉致問題を否定し続けてきたが、平成14年9月17日、金正日が日本人拉致の存在を認め、軍の一部の盲動主義によるものなどと主張した。
また、今回北朝鮮によるルーマニア人拉致被害者ドイナさんの身元が判明したことで、北朝鮮による拉致犯罪が広く世界の各地で繰り広げられていた現実が明るみになり、この拉致犯罪が、日本の朝鮮支配などの歴史上の問題とは無縁なことも明らかになった。
戦前の日本軍は、日中戦争が開始されるまでは、軍紀の乱れによる広範囲な蛮行は知られていない。このことは、、日本軍の軍紀が適切に保持されてきたことを意味するものと思われる。
それが、日中戦争に突入し、日本人兵士だけでは不足するようになると、開戦の翌年から植民地支配によって抑圧されてきた朝鮮人を大量に“日本軍兵士”として徴用し、各戦地へ大量に動員している(勿論、日本語も話せる)。
日本軍の軍紀の乱れと、この朝鮮人の“日本軍兵士”としての大量動員とが無関係とは思えない。永く日本の植民地支配に苦しめられていた朝鮮人が、戦勝地で今度は自らが支配する側になるからだ。
また、北朝鮮は突然に南侵するという暴挙(朝鮮戦争)にも及んでいる。
さらには、金正日が北朝鮮による日本人拉致という蛮行の存在も認めている。
もっと言えば、いまだに北朝鮮では、自国民に対してさえも、残虐な蛮行という人権侵害が繰り広げられている。
こうして歴史を眺めてみると、不思議と日中戦争以降のアジアの蛮行がひとつの線で繋がって見えてくる。(了)
これは メッセージ 14762 (korehafikushon_dosu さん)への返信です.