Re: 漢方薬としての食人
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/12/16 01:21 投稿番号: [13028 / 29399]
> 人間の肝臓は人胆丸という高価な漢方薬であり、それを売ることを許されていたのも山田浅右衛門だけであった。
「漢方薬」だろ?
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西太后と光緒帝の関係であるが、一八九八年以前から西太后が甥の皇帝を憎悪していたことは間違いない。それについて私は、宮廷の多くの老宦官から、次のような話を耳にしている。古くからあるシナの通念を知らない者は、そのような宦官たちの話をほとんど理解できないだろうし、信じられないかもしれない。その通念とは、重篤の病人がいた場合、息子や親戚縁者、忠実な友人や召使が、進んで自らの人肉を差し出して、薬と調合して飲ませると、病人の健康が回復するという類のものである。この忌むべき迷信の根拠となる理論というのが、痛ましい犠牲を払ってまでして親孝行や忠義にもとづく献身的行為をなすのを見た天上の神々は、心を動かされ、病人を回復させ給うというものだ。
その上で、私が宦官たちから聞いた話というのは、次のようなものである。日清戦争の始まる少し前、西太后が重病にかかったことがあった。心配した光緒帝は、その病床を見舞った。皇帝が病床の傍らにいたとき(そのとき部屋にいた唯一の第三者は総管太監の李蓮英だけである)、西太后は情けなさそうに深いため息をついて「きっと助からないことは分かっています。私の病気を治せる、たったひとつの薬を捧げてくれるような忠義の者が誰もいないものですから」と漏らした。そう語りかけながら、まず光緒帝の顔をじっと見つめ、それから総管太監の顔を眺めたが、二人とも、西太后の言わんとしている薬が何であるかを重々承知していながら、はっきりと聞き取れるような返事をしなかった。
それから間もなくして、「老仏爺」の病気は急に快方に向かいはじめ、すっかり快復した。西太后は、総管太監の李蓮英が二、三日欠勤しているのを知って、その理由を尋ねた。すると李は病気だと聞かされた。その後、きっと李の部下の宦官が漏らしたのだろうが、病気の内容が西太后に明かされた。李は自分の腿の肉を切り取って料理させ、それを西太后に食べさていたのである。
宦官たちの話によれば、それ以来、あれよあれよという間に李蓮英は西太后の寵愛を受けるようになった。一方、養子縁組で西太后の子となった光緒帝は、期待されていたにもかかわらず、孝道の誠を尽くせなかったため、「面子を失い」、西太后の憎悪と侮蔑の対象になったという
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(R・F・ジョンストン著 中山理訳『完訳 紫禁城の黄昏 上』)
人肉が薬となる、というのは中国から日本に伝えられた忌むべき迷信であることは間違いないだろう。
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唐の時代は中華文明が隆昌を極めた時期であるとともに、食人文化の開花期でもあった。というのはこの時代に至って、人の肉と内臓が病気治療の薬材として広く用いられるようになったからだ。人肉の薬効を記した陳蔵器の『本草拾遺』 (本草とは薬用となる動植鉱物の総称)が世に出たのもこの時代だった。明の李時珍が書いた不朽の大著『本草綱目』の「人の部」は、この 『本草拾遺』を下地に書かれたものだ。
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(黄文雄著『日中戦争は侵略ではなかった』)
文字通り、「漢方薬」だった訳だ。
まあここまでなら、日本でも似たようなことがあった訳だ。
比べものにならないくらい小規模で、しかも中国から輸入した文化だが。
「漢方薬」だろ?
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西太后と光緒帝の関係であるが、一八九八年以前から西太后が甥の皇帝を憎悪していたことは間違いない。それについて私は、宮廷の多くの老宦官から、次のような話を耳にしている。古くからあるシナの通念を知らない者は、そのような宦官たちの話をほとんど理解できないだろうし、信じられないかもしれない。その通念とは、重篤の病人がいた場合、息子や親戚縁者、忠実な友人や召使が、進んで自らの人肉を差し出して、薬と調合して飲ませると、病人の健康が回復するという類のものである。この忌むべき迷信の根拠となる理論というのが、痛ましい犠牲を払ってまでして親孝行や忠義にもとづく献身的行為をなすのを見た天上の神々は、心を動かされ、病人を回復させ給うというものだ。
その上で、私が宦官たちから聞いた話というのは、次のようなものである。日清戦争の始まる少し前、西太后が重病にかかったことがあった。心配した光緒帝は、その病床を見舞った。皇帝が病床の傍らにいたとき(そのとき部屋にいた唯一の第三者は総管太監の李蓮英だけである)、西太后は情けなさそうに深いため息をついて「きっと助からないことは分かっています。私の病気を治せる、たったひとつの薬を捧げてくれるような忠義の者が誰もいないものですから」と漏らした。そう語りかけながら、まず光緒帝の顔をじっと見つめ、それから総管太監の顔を眺めたが、二人とも、西太后の言わんとしている薬が何であるかを重々承知していながら、はっきりと聞き取れるような返事をしなかった。
それから間もなくして、「老仏爺」の病気は急に快方に向かいはじめ、すっかり快復した。西太后は、総管太監の李蓮英が二、三日欠勤しているのを知って、その理由を尋ねた。すると李は病気だと聞かされた。その後、きっと李の部下の宦官が漏らしたのだろうが、病気の内容が西太后に明かされた。李は自分の腿の肉を切り取って料理させ、それを西太后に食べさていたのである。
宦官たちの話によれば、それ以来、あれよあれよという間に李蓮英は西太后の寵愛を受けるようになった。一方、養子縁組で西太后の子となった光緒帝は、期待されていたにもかかわらず、孝道の誠を尽くせなかったため、「面子を失い」、西太后の憎悪と侮蔑の対象になったという
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(R・F・ジョンストン著 中山理訳『完訳 紫禁城の黄昏 上』)
人肉が薬となる、というのは中国から日本に伝えられた忌むべき迷信であることは間違いないだろう。
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唐の時代は中華文明が隆昌を極めた時期であるとともに、食人文化の開花期でもあった。というのはこの時代に至って、人の肉と内臓が病気治療の薬材として広く用いられるようになったからだ。人肉の薬効を記した陳蔵器の『本草拾遺』 (本草とは薬用となる動植鉱物の総称)が世に出たのもこの時代だった。明の李時珍が書いた不朽の大著『本草綱目』の「人の部」は、この 『本草拾遺』を下地に書かれたものだ。
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(黄文雄著『日中戦争は侵略ではなかった』)
文字通り、「漢方薬」だった訳だ。
まあここまでなら、日本でも似たようなことがあった訳だ。
比べものにならないくらい小規模で、しかも中国から輸入した文化だが。
これは メッセージ 13024 (forever_omegatribe さん)への返信です.