百人斬り-浅海特派員の反省
投稿者: c6h5ch2oh 投稿日時: 2006/06/21 17:59 投稿番号: [12133 / 29399]
山本七平、私の中の日本軍(1983.5.25 文春文庫)抜粋
向井少尉と最後まで同じ拘置所にいたK氏のその手紙の一部を次に引用させていただく。
<前略、失礼いたします。
偶然な機会に「週間新潮」七月二十九日号の「南京百人斬り」の虚報で死刑戦犯を見殺しにした記者が・・・・云々の記事を見ました。
私は当時南京戦犯拘置所で向井、野田、田中、その他の人たちと一緒にいた者で、彼らが内地から送還されて来た時から死刑になるまで共に語り合った者ですが、当時の拘置所は木造の二階建で、元陸軍教化隊であるとかで一階が各監房、二階半分が監理室、半分が軍事法廷になっており、耳をすませば二階の裁判の模様がわかるほどでした。(中略)
彼らは死刑判決を受け、直ちに柵を隔てた向うの監房に収容されたが、書籍、煙草を送ることや、話をすることは出来た。しかし判決前に彼らが話していたのは、貴誌既報の如く、全くの創作、虚報であり、浅海がこのことを証明してくれるであろうといっていた。
そして判決後、その浅海記者の証言書をとりよせるため、航空便を矢つぎ早に出した。彼らにはその費用もなく、僕の背広を看守に流してその金で航空便や、彼らに煙草の差入れをした。そしてやっと待望の証言書が届いた。彼は独房から、きましたかと、声をあげて泣いた。しかしその内容は誠に老獪というか狡猾というような文章で、創作であるとは書いてなかった。そして彼らは執行された。
われわれ残る者は泣いて浅海記者の不実をなじった。浅海記者になんの思惑があったかは知らないが、何ものにもかえ難い人命がかかっていたのに新聞記者なんて不実な者よと憤慨した。
裁判もまたでたらめであった。たしか二回くらいで次は判決であったと思う。証拠もその記事が唯一の証拠であった。
彼らは克明に日記、遺書等を書いていた。われわれは手分けしてこれらや遺髪、爪を遺族に届けることにした。(中略)向井のは後に上海拘置所へ移転したとき、無罪で帰還する三重県の人に託し、巣鴨拘置所に帰ってから向井婦人(北岡千恵子)に照会したところ、確かに受取っていた。
私はこの手紙を書くに当って、今さら空しいことをとも考えたが、僕たちが最後まで世話し、そして新聞記者の虚報のために犠牲となって死んで行った彼らのためにあえて書きました(後略)>
・・・・・
<・・・・最後にもう一度、浅海氏が発言を求めてこられたので加える。
「戦争中の私の記者活動は、軍国主義の強い制圧下にあったので、当時の多くの記者がそうであったのと同じように、軍国主義を推し進めるような文体にならざるを得なかった。そのことを私は戦後深く反省して、新しい道を歩んでおるのです」>
これが「反省」なのか、これが「反省」という日本語の意味なのか。もしそうなら、こういう意味の「反省」をする気は私には毛頭ない。
抜粋おわり
向井少尉と最後まで同じ拘置所にいたK氏のその手紙の一部を次に引用させていただく。
<前略、失礼いたします。
偶然な機会に「週間新潮」七月二十九日号の「南京百人斬り」の虚報で死刑戦犯を見殺しにした記者が・・・・云々の記事を見ました。
私は当時南京戦犯拘置所で向井、野田、田中、その他の人たちと一緒にいた者で、彼らが内地から送還されて来た時から死刑になるまで共に語り合った者ですが、当時の拘置所は木造の二階建で、元陸軍教化隊であるとかで一階が各監房、二階半分が監理室、半分が軍事法廷になっており、耳をすませば二階の裁判の模様がわかるほどでした。(中略)
彼らは死刑判決を受け、直ちに柵を隔てた向うの監房に収容されたが、書籍、煙草を送ることや、話をすることは出来た。しかし判決前に彼らが話していたのは、貴誌既報の如く、全くの創作、虚報であり、浅海がこのことを証明してくれるであろうといっていた。
そして判決後、その浅海記者の証言書をとりよせるため、航空便を矢つぎ早に出した。彼らにはその費用もなく、僕の背広を看守に流してその金で航空便や、彼らに煙草の差入れをした。そしてやっと待望の証言書が届いた。彼は独房から、きましたかと、声をあげて泣いた。しかしその内容は誠に老獪というか狡猾というような文章で、創作であるとは書いてなかった。そして彼らは執行された。
われわれ残る者は泣いて浅海記者の不実をなじった。浅海記者になんの思惑があったかは知らないが、何ものにもかえ難い人命がかかっていたのに新聞記者なんて不実な者よと憤慨した。
裁判もまたでたらめであった。たしか二回くらいで次は判決であったと思う。証拠もその記事が唯一の証拠であった。
彼らは克明に日記、遺書等を書いていた。われわれは手分けしてこれらや遺髪、爪を遺族に届けることにした。(中略)向井のは後に上海拘置所へ移転したとき、無罪で帰還する三重県の人に託し、巣鴨拘置所に帰ってから向井婦人(北岡千恵子)に照会したところ、確かに受取っていた。
私はこの手紙を書くに当って、今さら空しいことをとも考えたが、僕たちが最後まで世話し、そして新聞記者の虚報のために犠牲となって死んで行った彼らのためにあえて書きました(後略)>
・・・・・
<・・・・最後にもう一度、浅海氏が発言を求めてこられたので加える。
「戦争中の私の記者活動は、軍国主義の強い制圧下にあったので、当時の多くの記者がそうであったのと同じように、軍国主義を推し進めるような文体にならざるを得なかった。そのことを私は戦後深く反省して、新しい道を歩んでおるのです」>
これが「反省」なのか、これが「反省」という日本語の意味なのか。もしそうなら、こういう意味の「反省」をする気は私には毛頭ない。
抜粋おわり
これは メッセージ 12132 (unhoo さん)への返信です.