Re: >千田夏光
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2006/02/16 23:22 投稿番号: [11009 / 29399]
なんだか【中川八洋】の著書から、並べているようだけど、
私は中川の著書なんて読んでいません。
>俺は、千田の本なんて読んだことないが、中川八洋氏が『歴史を偽造する韓国』で、千田夏光の『従軍慰安婦』に記載された荒唐無稽な創作を暴いていたので、一部を紹介してておくよ。
―――――――――――――――――――
><千田の創作1>
朝鮮からの慰安婦(売春婦)の朝鮮総督府への依頼、総督府による募集、「八千人」という慰安婦の集合、満州北部への輸送は、仮に七月七日に開始されたとしても、なんとたった一ヶ月未満の八月二日までに完了した、というのである。軍隊の動員より早く、かつ動員された軍隊よりその輸送も迅速だった、というのである。
【朝鮮総督府】の号令で、【朝鮮国内】から女性達が連行されたそうです。
皇軍進軍ははまず【慰安所】作りから。
><千田の創作2>
朝鮮全土で公然と朝鮮人の面長(村長)と村の巡査とを叱咤しての、「八千人」という巨大募集は、完全に秘密裡に実行された。一個師団にほぼ近い、売春婦「八千人」と恐らくその置屋の関係者約一千人以上が、朝鮮から満州北部に完全に秘密裡に輸送された。
【植民地朝鮮には日本人が、数十万人?だか百万人だったか植民されていたから】、この朝鮮国内で噂が広まったら、まずいという事でしょ。
占領地の【中国・東南アジア】では、住民の目の前でも、やりたい放題だった。
・・
><千田の創作4>
従軍慰安婦「八千人」が仮に八月上旬に満州北部に到達したとすれば、その「二ヶ月後」は十月上旬である。「関特演」は八月九日に中止になっていた。それでも、ある師団長はシベリア用慰安婦が欲しいとこの十月頃に関東軍参謀部の兵站班に泣きついた。
それだけ【慰安婦】を切望した、情けない皇軍だったね。
><千田の創作5>
「従軍置屋」の担当は憲兵部隊であるのに、関東軍では実戦部隊の兵站班が所轄した
ああ、様々なケースがあるらしいからね。以下略。
★現実にどのように強圧による
徴集が行われたかについて、「従軍慰安婦」という用語を作り出した作家の千
田夏光氏はこう語りました(注2)。
「朝鮮半島で慰安婦要員の若い女性をかき集めたのは、「軍御用商人」の鑑
札(木製、焼き印)をもった手合いだった。関特演を前に京城(現ソウル、半
月城注)に飛んだ慰安婦集めの参謀の実務担当者が、その一部始終を見ている。
併合後、一大惨事となった3・1独立運動以来、
軍・警察はきわめて激しい弾圧を展開し、朝鮮総督府は背後に軍の力をチラつかせながら創氏改名、朝鮮語の抑圧にはじまる有形無形の弾圧を展開した。
弾圧におののく朝鮮人にとって、「軍」の名を冠した「御用商人」の鑑札は弾圧、強制ととらえられていたのである。
その鑑札を見せつけながら若い女性を徴募するのは、強制に等しいことだった。
当時の有形無形の圧力のすさまじさは、43年、日本人学生の学徒動員にあわせ、朝鮮人学生を志願させようとしたときに、当時の朝鮮軍司令部と在朝鮮の警察のとった行動を詳述した姜徳相滋賀県立大学教授の『朝鮮人学徒出陣』(岩波書店)が大いに参考になるだろう」
・・
http://www.han.org/a/half-moon/hm047.html
私は中川の著書なんて読んでいません。
>俺は、千田の本なんて読んだことないが、中川八洋氏が『歴史を偽造する韓国』で、千田夏光の『従軍慰安婦』に記載された荒唐無稽な創作を暴いていたので、一部を紹介してておくよ。
―――――――――――――――――――
><千田の創作1>
朝鮮からの慰安婦(売春婦)の朝鮮総督府への依頼、総督府による募集、「八千人」という慰安婦の集合、満州北部への輸送は、仮に七月七日に開始されたとしても、なんとたった一ヶ月未満の八月二日までに完了した、というのである。軍隊の動員より早く、かつ動員された軍隊よりその輸送も迅速だった、というのである。
【朝鮮総督府】の号令で、【朝鮮国内】から女性達が連行されたそうです。
皇軍進軍ははまず【慰安所】作りから。
><千田の創作2>
朝鮮全土で公然と朝鮮人の面長(村長)と村の巡査とを叱咤しての、「八千人」という巨大募集は、完全に秘密裡に実行された。一個師団にほぼ近い、売春婦「八千人」と恐らくその置屋の関係者約一千人以上が、朝鮮から満州北部に完全に秘密裡に輸送された。
【植民地朝鮮には日本人が、数十万人?だか百万人だったか植民されていたから】、この朝鮮国内で噂が広まったら、まずいという事でしょ。
占領地の【中国・東南アジア】では、住民の目の前でも、やりたい放題だった。
・・
><千田の創作4>
従軍慰安婦「八千人」が仮に八月上旬に満州北部に到達したとすれば、その「二ヶ月後」は十月上旬である。「関特演」は八月九日に中止になっていた。それでも、ある師団長はシベリア用慰安婦が欲しいとこの十月頃に関東軍参謀部の兵站班に泣きついた。
それだけ【慰安婦】を切望した、情けない皇軍だったね。
><千田の創作5>
「従軍置屋」の担当は憲兵部隊であるのに、関東軍では実戦部隊の兵站班が所轄した
ああ、様々なケースがあるらしいからね。以下略。
★現実にどのように強圧による
徴集が行われたかについて、「従軍慰安婦」という用語を作り出した作家の千
田夏光氏はこう語りました(注2)。
「朝鮮半島で慰安婦要員の若い女性をかき集めたのは、「軍御用商人」の鑑
札(木製、焼き印)をもった手合いだった。関特演を前に京城(現ソウル、半
月城注)に飛んだ慰安婦集めの参謀の実務担当者が、その一部始終を見ている。
併合後、一大惨事となった3・1独立運動以来、
軍・警察はきわめて激しい弾圧を展開し、朝鮮総督府は背後に軍の力をチラつかせながら創氏改名、朝鮮語の抑圧にはじまる有形無形の弾圧を展開した。
弾圧におののく朝鮮人にとって、「軍」の名を冠した「御用商人」の鑑札は弾圧、強制ととらえられていたのである。
その鑑札を見せつけながら若い女性を徴募するのは、強制に等しいことだった。
当時の有形無形の圧力のすさまじさは、43年、日本人学生の学徒動員にあわせ、朝鮮人学生を志願させようとしたときに、当時の朝鮮軍司令部と在朝鮮の警察のとった行動を詳述した姜徳相滋賀県立大学教授の『朝鮮人学徒出陣』(岩波書店)が大いに参考になるだろう」
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http://www.han.org/a/half-moon/hm047.html
これは メッセージ 11004 (deliciousicecoffee さん)への返信です.