南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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RAA・・・敗戦直後の【政府主導の慰安所】

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2006/02/08 23:30 投稿番号: [11003 / 29399]
★RAA

1945年、8月15日、無条件降伏となり、米軍を主力とする占領軍が日本本土へ進駐してくるとなったとき、

進駐してくる占領軍が日本軍のかつて、中国大陸などでやったのと同じ事を日本国内でやる事を恐れた日本政府は、

そっくりの制度というか施設をあわてて国内でも作っていった。


それは日本軍が侵略した土地でどんな事をやったのかの逆証でもあったが、

8月15日午後、

【当時の大蔵省主計局長だった前尾繁三郎(後衆院議長)、主税局長だった池田勇人(後総理大臣)の二人がまず】

【政府資金でもって】、占領軍相手の慰安所を作る事を話し合ってる。



同じ事は、当時の警察機関の総元締めである内務省でも考えられており、

【両者が話し合った末、内務省が売春業者を集め、特殊団体を作る。】


そこへ、政府保証で日本勧業銀行から三千三百万円を無担保で融資し、

【進駐してくる占領軍専用の慰安所を作り】、併行してその金で慰安婦を集めると言う事をしていった。



当時の三千三百万円は、今日の数千億円に当たる。

その特殊団体の名称は「レクレーション・アミューズメント・アソシエーション」(RAA)とされ、

【8月18日には、内務省警保局長名で、全国の警察部長から末端の署長までそこで働く慰安婦集めの協力せよ、との指令が出された。】


関特演の時、朝鮮総督府が全朝鮮の警察機関に出した指示と同じだ。


この結果、わずか十日そこそこで、二万人の女性が集められたと報告されている。

RAAを作ったのは売春業者だが、かつての従軍慰安婦集めの時と同じで、

【商売道具だから、彼らは自分達が抱えている売春婦は出さない。】


集められたのは、

【戦火で夫はじめ家族を失った未亡人、家を焼かれ、住むところがなくなった上、家族とも別れ別れになった女性、身寄りの無い戦争未亡人だったとこれも報告されている。】


そして、8月28日、占領軍の第一陣が神奈川県厚木に到着する日に開業されたが、

【この日集められた売春婦の代表三百人を、天皇陛下のいる宮城(皇居)前広場へ、整列させ、】


「時あり命くだりてかねての我らが職域を通じ、戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐慰安の難事業を課せられる。

命重くかつ大なり、同士血盟して信念の命ずる処に直従し、『昭和のお吉』幾千かの人柱の上に、狂らんを阻む防波堤を築き、民族の純潔を百年の彼方に護持せんとす。」と【内務省代表が訓示】している。


米軍の進駐が8月30日にのびたので正式開業もその日まで延ばされたが、

【慰安婦のほうはその後の警察やRAAの努力で三万人までになっていった。】

これだけの慰安婦を差し出すから、一般婦女子に手を出さないでくれと言う事だった。


1938年1月に日本軍が上海郊外で慰安所を開設したとき、

上海にいた外国特派員が「日本軍は売春宿も経営している」などとからかったように、


このときもフランスの通信社の記事が同じような記事を書いたから、

翌年1月28日で占領軍命令で閉鎖された。

そこに集められた慰安婦はすべて日本の女性だった。

(従軍慰安婦とは何か・・・千田夏光)より
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