Re: 頭の悪い勘違い野郎?jptmd2004
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/10/12 22:49 投稿番号: [10463 / 29399]
>頭が悪いじゃないの?
>日時ははっきりとしなかったが、
>あの大型船が2艦漢口へ行ったままか、上海や香港へも行き来したはずだ。
大型船2艘が漢口へ行ったまま下関(南京)の港に戻って来なくなったのは、12月12日に南京防衛軍司令官・唐生智が手勢を連れて南京を逃げ出す直前の話だ。
その頃(11日)には、既に渡河希望者は揚子江を渡り終えていたんだ。
これでも理解できないか?
これでも理解できなきゃ、俺はjptmd2004の理解力欠乏症に降参する。
算数を教えても理解しない豚に膨大な時間と労力を費やして説明している気分になってきた。
オマエとは去年の春も、このトピで同じ話題についてやったな・・・
>それに、日本人の残虐非道さを知った上海方面からの避難民や、
>その噂を知った避難民は
>再び上海へ向かうと思うかね?
寝言を言うな。
支那人が知っていたのは、支那軍の残虐非道だ。
オマエ、支那人のくせにそんなことも知らないのか?
支那軍の極悪非道は昔からの常識だが、南京戦直前にも以下のような記録が残っている。
ラーベ:
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。
孫元良:
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏:
わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏:
上海から南京へ行く途中のある部落で、稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。
部落民にその理由を尋ねたところ、それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。
上海一九三七年十二月八日発「東京日日新聞」は次のように報じている。
「南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている」
『南京戦史』二七三頁
>南京大虐殺については被虐殺34万人との計算となり、極東裁判で検証済み。
日本軍占領直前に約20万人だった南京の人口が1ヵ月後には約25万人に増えた。
支那では、【20万人−34万人=25万人】と算数を教えているのか?
文字どおり、オマエは算数を教えても理解しない豚だよ。
>日時ははっきりとしなかったが、
>あの大型船が2艦漢口へ行ったままか、上海や香港へも行き来したはずだ。
大型船2艘が漢口へ行ったまま下関(南京)の港に戻って来なくなったのは、12月12日に南京防衛軍司令官・唐生智が手勢を連れて南京を逃げ出す直前の話だ。
その頃(11日)には、既に渡河希望者は揚子江を渡り終えていたんだ。
これでも理解できないか?
これでも理解できなきゃ、俺はjptmd2004の理解力欠乏症に降参する。
算数を教えても理解しない豚に膨大な時間と労力を費やして説明している気分になってきた。
オマエとは去年の春も、このトピで同じ話題についてやったな・・・
>それに、日本人の残虐非道さを知った上海方面からの避難民や、
>その噂を知った避難民は
>再び上海へ向かうと思うかね?
寝言を言うな。
支那人が知っていたのは、支那軍の残虐非道だ。
オマエ、支那人のくせにそんなことも知らないのか?
支那軍の極悪非道は昔からの常識だが、南京戦直前にも以下のような記録が残っている。
ラーベ:
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。
孫元良:
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏:
わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏:
上海から南京へ行く途中のある部落で、稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。
部落民にその理由を尋ねたところ、それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。
上海一九三七年十二月八日発「東京日日新聞」は次のように報じている。
「南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている」
『南京戦史』二七三頁
>南京大虐殺については被虐殺34万人との計算となり、極東裁判で検証済み。
日本軍占領直前に約20万人だった南京の人口が1ヵ月後には約25万人に増えた。
支那では、【20万人−34万人=25万人】と算数を教えているのか?
文字どおり、オマエは算数を教えても理解しない豚だよ。
これは メッセージ 10454 (jptmd2004 さん)への返信です.